心の平穏を手に入れて

本来のあなたが輝き出す人生へナビゲート!

自分開花ナビゲーターこばやし かなこ

 

 

\心-身体-環境が整うと人生が整う♡/

 

 

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突然始まった

「こばやし かなこ物語」📖✨(笑)

 

 

要約すると・・・

 

汚部屋出身の

27年間片付けられない女だったわたしが

 

おうちストレスで心身を壊し

 

「捨てる」から始めない

「選ぶ」片付けに出会ったことで

 

とっ散らかった部屋と心が整い

 

ご機嫌ママに!🕊💕

 

 

そんな経緯を、

過去から振り返って書いています✍️

 

 

▼第1話

 

▼第2話

 

 

 

  プロポーズからスピード入籍

 

ドクターストップで

働き続けることができなくなり、

自分の本心を閉じ込めて

無理してがんばり続ける生活が

強制終了となったわたし。

 

会社の寮を出て

実家に戻ることになりました。

 

 

 

汚部屋出身で

片付けられない女だったわたしも

寮で1人暮らししている頃は

好きなインテリアを

思う存分楽しんでいました。

 

憧れだった天蓋付きベッドで

姫気分を満喫していたし、

居住スペースより大きなバルコニーで

お休みの日にのんびりランチをしたり

それなりに暮らしは楽しんでいたな〜。

 

 

 

週の半分くらいずつを

実家と主人の家で過ごしながら

しばらく休養をとっている間に

主人からプロポーズ💍

 

そして以前から興味のあった

不動産関係の事務の仕事に就き

 

プロポーズから約2ヶ月半で

主人とスピード入籍。

埼玉に嫁いできました。

 

 

…今思い返せばこのあたり、

数ヶ月の間に生活が二転三転して

怒涛の変化をしていますね(笑)

 

 

 

高卒で就職していたわたしは

当時まだ20歳。

主人は15歳年上。

 

周囲にはかなり結婚を反対されました。

 

 

 

わたしは昔から小さい子が好きだったので

早く子どもが欲しいと思っていたし

 

付き合っているときに突如

「あ、わたしこの人の遺伝子が欲しい…!」

って猛烈に感じてしまったので←

 

結婚を先延ばしにするとか

この人と結婚しないとか

 

そんな選択肢はなかった!

 

 

両親をなんとかいなしながら

めでたくゴールインしました!!💒

 

 

  流産・切迫流早産を乗り越え2児の母に

 

 

結婚後、すぐに妊娠しましたが

そのときは流産という結果に。

 

 

 

そして、その流産をきっかけに

ちょっとずつパートナーシップに

ズレが生じ始めました。

 

(このあたりの詳細は

体験会や説明会でお話しさせていただきますね)

 

 

 

 

夫婦2人暮らしの間は

 

もともと持ち物が少なめの主人と

実家から必要最低限だけで出てきたわたしで

物の総量が少なかったので、

片付けはそこまで苦労はしませんでした。

 

お休みの日は

時間をまるまる自由に使えたしね!

 

 

 

流産から1年ちょっと経って、

再度妊娠が発覚。

 

切迫早産での安静生活を乗り越えて

娘を無事出産♡

 

このとき仕事は辞めて

専業主婦になりました。

 

 

 

 

そしてしばらくしてまた妊娠できて

こちらも切迫流産&切迫早産での

入院生活を乗り越えたのち

先天性奇形障がいをもつ息子を出産。

 

1歳4ヶ月差の年子の母になりました^^

 

(やたら切迫状態が多いのは子宮奇形で

着床しづらい&流早産しやすい体質だったから)

 

 

 

専業主婦生活中の子育ては

主人が夜型の仕事をしていたこともあり

 

午前中は家にいるけどほぼ寝ているし

お昼過ぎに出勤してから

帰宅は深夜3時前後。

 

そのためほぼワンオペ育児でした。

 

 

 

娘が2歳になる直前、

息子が生後8ヶ月くらいの時に

3LDKのマンションを購入して

それまで住んでいた1LDKのアパートからお引っ越し。

 

 

家族が増え、空間と収納が増え、

モノが増えました。

 

 

それでもどうにか

育児の合間に片付けをしたり

月に一度は大掃除の日を設けて

せっかくのマイホームを

キレイなままでキープできるように

努力はしていたんです。

 

 

 

 

 

引っ越して半年をすぎたくらいから

娘が超絶イヤイヤ期に突入。

 

 

息子はハイハイやたっちで

家中を動き回るようになるし

離乳食も手がかかる。

 

(1歳を過ぎて幼児食になったあとも

障がいのため口腔内の手術を受けたりして

一度離乳食に戻さなくてはいけない時期があったんです)

 

 

 

1人でこの状況にいるのが

結構しんどくなってきていて

わたしは子どもたちを保育園に預け

働きに出ることにしました。

 

 

娘が3歳間近、息子が1歳半すぎ、

わたしが25歳のときのことです。

 

 

 

 

さて、次回は

『病み期に突入したワンオペ育児ワーママ時代編です。

 

 

 

部屋も心もとっ散らかった

片付けられない女なわたしが

 

どうして片付けを仕事にして

人に伝えるまでになったか

 

ぜひ次回も読んでみてくださいね❣️

 

 

 

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