この前の喜多方ラーメンを食べに行った帰り道ですが・・・
耶麻郡猪苗代町にある摺上原合戦の古戦場に寄り道しました。
私も戦国時代ちょっと好き人間ですから、伊達政宗が大大名になるきっかけとなった
摺上原の戦いというのは知っておりましたが、摺上原が猪苗代にあったとは知らなかったのです
場所はココ
1589年(天正十七年)、この地で伊達政宗と蘆名義広が合戦を行います。
結果とすれば・・・政宗の一方的大勝利となり、
会津の大名だった蘆名氏はこの合戦の数時間で一挙に滅亡と凄い結末となりました
猪苗代湖と会津磐梯山に挟まれた丘陵地帯を摺上原(磨上原)と称していたようです。
江戸時代まで会津は日本有数の穀作地帯で農業生産力に秀でた豊かな場所だったらしい。
この会津地方を手に入れるのは、磐梯山と猪苗代湖の間を通るのは必至であり、
この地で南東北の雌雄を決する合戦が行われたのも納得とも言えます。
この三忠碑が合戦の痕跡を現す記念碑となっていますね。
この道を自家用車で入っていきましたが・・・
駐車場とか全くないもんな。
松林の中に突如と現れる石碑。
全く読めませんが・・・
この地で蘆名氏の重臣だった金上盛備、佐瀬常種、佐瀬常雄が戦死したそうで
その忠魂を後世に伝えるために会津藩主だった松平容敬(容保のお父さん)が建立したとあります。
この忠魂碑の脇に旧二本松街道松並木の表示もあり。
きっと摺上原の戦いは当時の二本松街道に沿って戦われたんだろうなぁ
多分この凹地状の空間が旧二本松街道だと思われますが、雪が積もっていると全く分かりませんな
戦国時代の摺上原は原野だったと思われますが、今の風景とは違っていたに違いない。
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猪苗代町の市街にある猪苗代城跡にも寄り道しました。
猪苗代城は蘆名氏の一門衆だった猪苗代氏が代々治めていたそうですが・・・
ところが城主の(正確に言えば城主猪苗代盛胤の父親だった)猪苗代盛国が伊達政宗の調略で寝返り、
伊達氏に味方したことが発端となって摺上原の戦いが起こったそうですからね。
フムフム・・・正門はどうやら枡形虎口のようですね。
石垣は乱積みのようですが、戦国末期(近世初期)のままなのかなぁ
城内にはこの地で生まれ育った野口英世の首像があります。
胸像はよく見かけますが、首像はちょっと気持ち悪いかも
本丸御殿跡。
本丸から旧会津街道(越後街道)がバッチリ見えます。
この城が要衝の地にあることが分かりますね。
城跡の散策はやっぱり楽しいなぁ
山城は疲れますが、平山城程度だったら良い運動です。
お城の上から眺める景色が気持ち良いのです