長沼城跡を散策する・・・の巻 | 乾パンのブログ

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用事で須賀川市の西側に行ってきましたが・・・

地図を出して眺めてみると、どう見ても城下町っぽい街並みの場所がありまして。

須賀川市長沼という場所。

 

最近まで岩瀬郡長沼町という自治体のですが、「平成の大併合」で須賀川市の一部となったようです。

何だか山城っぽい舌状丘陵張り出した何とも良い雰囲気。

長沼城という古城があったとのこと。

 

 

場所はここ上矢印

 

 

1976年(昭和五十一年)の国土地理院の航空写真の長沼の街並み。

街中で街道が鍵形に屈曲してますなラブラブ

誰がどう見ても城下町グッド!

 

両側から丘陵がピンボールのフリッパーのごとく張り出していて、

その隙間に住居を密集させて大軍の移動を困難にしてます。

赤丸の箇所に長沼城があったようです。

 

 

この時に行った安子島城との関係を上矢印に示します。

会津と中通り地方との連絡には猪苗代湖の北側か南側を通るしかなく、

長沼城も安子島城もその要所にあったことが確認できます。

 

面白いのは両城とも戦国時代は会津の大名蘆名氏が所有していたこと。

今でこそ郡山一帯は広大な水田が広がっていますが、明治時代の安積疏水が完成するまでは、

水に乏しくて開発不可な荒野が広がっていたそうですからね。

 

一方の会津は昔から米どころで有名だったらしく、農業生産性では会津の方が圧倒。

今の中通り地方と会津地方との関係性とは全く違っていたと。

 

これらの城は郡山や須賀川を領地とする小戦国大名には目の前のたんこぶであり、

様々な攻防戦が繰り広げられたとさメラメラ

 

 

須賀川市街から国道118号線を真っ直ぐ西へ車

扇状地の扇子の要である、丘陵の根元辺りは平野の中でもまだ水利が良かったと思われますな。

 

 

今はバイパスが出来ていることもあって、城下町の中を通る車両はまばらです。

 

 

長沼小学校の隣に長沼城址があります。

 

 

昭和戦前に建立されたと思われる忠魂碑がありますが、

何の由来の表示もなく歴史の闇ですな汗

 

 

桜の木が沢山植わっていて春には花見で賑わうらしい。

 

 

須賀川方面が一望できて、この地に山城を築いたのも納得。

 

 

頂上の広くて平たい場所が本丸跡かなはてなマーク

 

 

二の丸だか三の丸だかを通過しようとも、本丸から丸見え。

こりゃ防御力もあったと察します。

 

 

お稲荷さんがあって、この裏手側に今でも昔の石垣が残っているそうですが・・・

リサーチ不足で後から知りましたドクロ

 

 

銀杏の実が無数に落ちていて臭いのなんのってガーン

 

 

平地の中に張り出した丘陵にある山城で散策には手頃です。

 

 

近くには石背国造神社もあって、きっと昔から賑わっていた場所なんでしょうねぇ

 

 

水路が充実しているのも城下町の特徴であります。

 

今回は用事の後でほんの短い時間しか残されていなかったんですが、

今度はちゃんと時間を作って来たい場所です。