しばらく前から霊的なことを書くのが面倒くさくなりました。
去年の秋ごろから、霊的重さがハンパありません。
まるで世界を背負っているよう
もっとも、本当に私が世界を背負っているわけではありませんが…
一年通して、イエズス様の受難の黙想(祈り)をしているので、私と共にいてくださるイエズス様は、栄光に輝く勝利のイエズス様ではなくて、ぼろ雑巾のように扱われた、見るも無惨なお姿のイエズス様です。
血だらけ、傷だらけ、受けた殴打で見分けのつかなくなったお顔
世界の回心のために、霊魂の救いのために、心を圧縮機に潰されたのごとくひき潰され、魂からは血の涙を流し、ご自分のすべてを私たちの罪の償いのために御父の御前に捧げられたイエズス様です。
そしてそれは2000年前に1度だけあった出来事ではなく、霊的に今日も繰り返されています。
そんな祈りを繰り返していると、自分のために恵みを願うのではなく、イエズス様のお苦しみ、痛み、お悲しみ、それらを和らげるためには自分は何をしたらよいのかと考えます。
イエズス様の痛みをほんの一瞬でも和らげ、お喜んでいただけるには、自分が何をしたらよいかと考えます。
イエズス様の私たちの霊魂の救いを願う燃えるような情熱。
身を焼き尽くすほどの霊魂への渇き。
それ以上に燃える愛の炎
地獄が霊魂を焼く炎だとすれば、イエズス様の御心はそれ以上の愛の炎に違いありません。
また今日もぼろ雑巾のようなイエズス様がその聖なる御肩に世界の罪が凝縮された十字架を背負って、カルワリオの道を歩いて行きます。
つまずき、転び、石を投げられ、罵声を浴び、つき倒され、無理やり立ち上がらされ、また転がされ、土まみれ、ホコリまみれになり、
背を地面に着くほどまげ、中腰になり、やっとのことで十字架を引きずって行きます。
これらは今、世界がイエズス様に与えている冒涜のすべてを表しています。
多くの人は、我々は神を冒涜していないと言うかもしれません。
しかし、神様が創られたこの世界と人々を傷つけることは、イエズス様を何千回も、何万回もムチ打ち、殴打しているのとかわりありません。
神は憐れみでもあるけど
正義でもあります。
それは私たちの思いを超えたところにある正義です。
最近世界のために祈っていても
これほど空しく感じられることはないくらい空しいです。
個人的な思い込みかもしれませんが、多くの人は神を求めるけど、神の御心の中まで入ることを望んでいないように思います。
世界の回心のため、罪の償いのために祈って下さいと皆さんにお願いするのに、何の意味があるかと悪魔にささやかれているようです。
でも意味のないことなんかない
どうか皆さん世界の回心の恵みがいただけるように神様に祈って下さい。また、御母マリアの清らかな御手で、その祈りを神のみもとへ届けていたたけるように、聖母にお取り次ぎを願って下さい。
そして2月が無事乗り越えられるように、何事もないように祈って下さい。
夜中なので少し感傷的になっているかもしれません。
神様への愛と賛美と感謝をこめて
皆さんに神様の祝福がありますように.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.
主のご受難の24時間の祈り⬇️