経済効果云々の「利」の祭典「ガクト祭」改め、上杉謙信公の遺徳を偲ぶ「義」の祭典「謙信公祭」になりそうです!!。
https://www.joetsutj.com/articles/50082812
さて、「義」の精神はいつまで続くでしょうか?。しかし、参加費5万円出してまでの謙信公役ねぇ・・・。ちっと考えちゃいます!!。
経済効果云々の「利」の祭典「ガクト祭」改め、上杉謙信公の遺徳を偲ぶ「義」の祭典「謙信公祭」になりそうです!!。
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さて、「義」の精神はいつまで続くでしょうか?。しかし、参加費5万円出してまでの謙信公役ねぇ・・・。ちっと考えちゃいます!!。
キターーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!。直江兼続ーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!。
国元の信濃川与板橋入口の「Welcome to YOITA」の歓迎看板の肖像画と同じだーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!。
是非行きたかった「米沢市上杉博物館」の、直江山城守400回忌記念「特別展・直江兼続」、去る5月27日の最終日に行ってきました!!。
又同日は、別会場で直江山城守400回忌関連のイベントもあり、それに合わせての訪米でしたが、午前中はそこで思いっきり兼続パワーを頂き、午後より、兼続公が祀られた「春日山林泉寺墓所」「松岬神社」参拝をしたのち、「上杉博物館」に行きました。
10年前にも「直江山城守生誕450年記念」として、兼続公関連のイベントが1年中ありましたが、今回は「400回忌」ということで、兼続公を主とした展示はそれ以来かと思います。
当然館内は撮影禁止ですので、何があったのか文章で説明します。
カウンターでチケットを買い、受付で半券を切られ、館内に入ると、キターーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!。直江兼続―――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!!!!!。
っであり、記念館入口上やポスターの肖像画になってる、上杉博物館所蔵の官衣を着て杓を持った兼続公肖像の掛け軸が出迎えてくれました。
「秋葉山常安寺(長岡市栃尾)」「春日山林泉寺(山形県米沢市)」「新潟県立歴史博物館(長岡市関原)」の各所で所蔵する生の兼続公肖像画は見た事はありますが、この「米沢市上杉博物館」所蔵の生の原画は初めて見ました。一般家庭にある1尺5寸幅くらいの掛け軸に表装されたものだったんですねぇ。
兼続公の肖像は何種類か存在しますが、兼続公本人に一番近い肖像は、新潟県立歴史博物館所蔵のものといわれており、その画は、兼続公が亡くなった時、お船の方が、紀州高野山に、兼続公の菩提を弔うために奉納したのですが、火災で焼失してしまい、残念ながら存在してません。しかし、明治時代のその写し「集古十種」なる本が、長岡の歴博が所蔵しており、今回米沢へ貸し出され出展されました。
「大坂城天守閣」「会津若松市(鶴ヶ城)」「本間美術館(山形県酒田市)」から借りた、見覚えのある展示物もありましたが、まだ行ったこともないし見た事のない「加賀本多博物館」「仙台市博物館」から借りてきた、兼続公ゆかりの展示物があったりと、兼続パワーさく裂しましたねぇ(笑)!!。
何が展示してあったのか、図録が販売されてますので、良かったら買ってご覧になってください。
今回の展示で、特に興味を引いたのは「先祖由緒帳、与板組」「与板組先祖書」なる、越後与板城主時代より仕えた、兼続公の家臣集団「与板衆」に所属した、越後与板から移住し、現在の米沢市堀川町(旧与板町)周辺に住んでいた各家臣ごとの身元リスト名簿みたいな本があるんだなって、これは初めて知りました!!。
開いて展示してありましたが、やはりありましたねぇ!!「元・夏戸城(現長岡市トキ分散飼育センターの山)主・志駄氏」の名が!!。越後与板城の裏山にある夏戸城主「志駄家」は、代々直江家に仕えた側近中の大重臣で、大河「天地人」でも時々登場しました。
この資料、現代用語で書き記した図書、発行してくれないでしょうかねぇ!!。
米沢って、越後からそっくり移住して来て住み着いた街ですので、地元よりも他所の街へ行った方が、自分の街の歴史をよくわかるもんなんですよねぇ。むしろ、米沢に行って地元越後の歴史を勉強してきたような旅でした(笑)!!。
帰りに「図録」、そして、今回の展示にもありましたが「直江状写(上杉博物館所蔵複製)」なんて買ってきてしまい、いくつお土産用の「直江状」があるんだろう(爆)!!。
一応言っておきますが、家康に送り付けて関ケ原合戦の引き金になった「直江状」の原本って存在してないんですよねぇ!!。よく考えてください。ラブレターと違って人を怒らせる手紙ですので、そんなの大事に記念に取っておくわけがないでしょう!!。この「直江状」というのが本当にあったとしても破り捨てているはずですので、全国に出回っている「直江状」は、文面が全く違う偽物も含めても写しが何種類も存在します。文面の内容はどれも同じなんですが、私は「新潟県立歴史博物館」「米沢市上杉博物館」の両所蔵の複製品、そしてどこの直江状の複製?、っていうか文面だけ書いた「直江兼続公伝世館」で買ったお土産用の、合わせて3つの「複製直江状」をもってます(笑)!!。
「直江状収集」なる趣味を持ちそうで~す(爆)!!。
久しぶりに訪れた、訪米先の上杉神社境内に、こんな物体を発見!!。
聞けば上方(かみがた)の大阪より、国元の越後春日山城下の「国道8号線」もしくは、山城地下トンネルの「北陸自動車道」を通過して、上杉の城下町「出羽米沢」に運び込まれたブツのようだ。
ブツはもっと大きいものかと思ったのですが、案外小さいんですねぇ。このブツは、むしろ、大人よりも幼児向けと言った方がいいかもしれませんが、幼児の目線から考慮すれば、これくらいの大きさの方が良いのかもしれませんねぇ。幼児目線からの、布にくるまれたブツの撮影には苦労しましたわぁ(笑)!!。
このブツの周辺には、それぞれ太刀を構えた「殿(上杉景勝公)」「山城守(直江兼続公)」、そして「御屋形様(上杉謙信公)」といった、甲冑に身を固めた3名将の用心棒がいますので、このブツになにかしでかしたら斬られそうですねぇ(笑)!!。
来週6月3日、このブツの大阪の主が列席した、布を剥ぎ取る儀式「除幕式」が行われるようですが、このブツの正体、見られた方は、是非レポをお願いします!!。