5年ぶりのソロライブ。

 

一人よりも二人、二人よりも三人の方が、音の重なり、価値観の化学反応、可能性、いろんなものに満ちているけれど、

 

一人だからこそできることがあり、それによって成長することがある。

 

いつもどこかで誰かの助けを借りてきたように思う。

 

甘えがあったことを、ストイックでもなんでもなく、事実として感じている。

 

背のびをするでもなく、怠けるでもなく、無一物の自分。

 

古いものも大事にしながら、新しいものへの挑戦を恐れない。

 

アナログの音を貫きながら、デジタルをもって伝えていく。

 

そんな「獨音」を、確固たる意志で作っていこうと思う。

 

 

明日は母の10回忌。

 

会える人には会う、本当に大事なこと。

 

世界がなんと言おうと、会いに行く。

 

そしてこの音と世界を共有してくれる皆さんにただただ感謝を。

 

1、フォレストガーデン /フィドル

2、七日千秋 /フィドル&オケ

3、ヒガンバナの丘 /フィドル&オケ

4、Farewell to the past /ガンクドラム 

5、僥倖 /ガンクドラム

6、夢で逢える /ガンクドラム 

7、道 /ガンクドラム 

8、道 /ガンクドラム 

9、ただいまネオンライト /フィドル&オケ

10、lullaby on the hill /フィドル&オケ

大森ヒデノリ氏のことを、自分は「大森先生」と呼んでいる。

 

個人的にレッスンをしてもらったわけではないのだけれども、自分にとっては不動の師匠だと思っている。

 

 

二十歳かそこいらだっただろうか、大森ヒデノリ氏に出会ってから、フィドルというものを知り、バウロンを知り、今日の自分があるのも「先生」のおかげに他ならない。

 

何もわからないままワークショップやサークルなどに参加したりしながら、彼のエッセンスをほんの少しずついただいてきた。

 

音楽的にも精神的にも、自分なりに(それがまた同時にダメなところなのだけれど)受け取って活かしてきた。

 

自分と同じく大人になってからフィドルを始めたという経歴からは想像もつかないほどの知識と経験から醸しだされるその音楽に憧れ、その人柄に常に畏敬の念を抱いてきた。

 

はじめの頃は接するときに本当に緊張していた。仕事として呼んでいただき初めてステージに立った時は、無性に脂汗をかいたものだった。

 

音楽に対して、人に対してのその向き合い方に、自分も応えようとすると、何人自分がいても足りないのがよく分かった。

 

 

あれから数多くの場所で演奏をさせていただきながら、まだ至らぬながらも成長し、根拠のない自信もまとうことによって、ステージではようやく先生を支えることができるようになってきたように実感するこの頃。

 

今回の大森ヒデノリ氏・八尾文化新人賞受賞記念コンサートでは、彼の歴史を紐解くステージになり、ありがたくもいろいろなシーンでご一緒させていただきながらここまでこれたことを回顧しながら、へつらいなく謙虚かつ大胆に演奏させていただいた。

 

そのすばらしい音楽を感じていただいた方には語らずとも分かっていただけることだろう。

 

直接本人に伝えることは大事と思いながらも、面と向かって敬意を伝えすぎてもしつこくなるので、今となってはあまり多くは話さないのだけれども、

 

大森先生はやっぱりすごいのである。

 

これからも後ろから師と仰ぎ続けながら、となりで同じ方向を向いていけるよう、精進あるのみ。




hatao&namiの4thCD『5分間の魔法』発売記念コンサートのリハーサルで前日から池田に入った。

 

川西・池田・西宮、このあたりには親戚が多く住んでいて、小さい頃たまに遊びに来たものだった。

 

小学生の頃の時間感覚からすると、阪急電車に乗ろうというものなら、とてつもなく遠い場所のように感じたものだが、今では車で1時間ほどであっという間に着いてしまう。

 

それでもどれだけ経ってもこの地への独特の郷愁は消えず、親戚が自分にテープでプレゼントしてくれた音楽が頭を巡らせる。

 

その音楽もケルト音楽の一つといってもよくて、初めて自分が体感したケルト音楽だった。

 

hatao&namiの音楽は、その音楽ともどこかあいまって、さらにこの地を思い起こさせる音楽になり、自分の奥底に入り込んでくる。

 

176号線を五月山のふもと沿いに走り、川西能勢口へ。少し足を伸ばすと雲雀丘だ。

 

電車沿いのちょっとした道にも記憶が蘇り、ドライブをした人のことだったり話した内容だったりを思い出す。

 

 

そこから山を登ったところにあるhatao氏宅にお世話になった。気兼ねなく過ごさせていただいたことはもちろんのことだけれど、この地で目が覚めた朝ということにとても心地よさを感じた。

 

北摂から遠く明石のあたりまでに至る、山と海に挟まれたこの地帯の雰囲気は何か思わせるものがあり、自分が南大阪に深い縁や愛着がなければ、おそらくこのあたりに移り住んでいてもおかしくなかっただろう。

 

コンサート会場にむけて車を走らせる。車のサイドガラスの向こうから、朝の空気をまとった五月山が出迎えてくれた。

 

会場に来られる人たちも、CDを聴いてくれる人たちも、それぞれに音楽を受け取って感じている。

 

ここには書ききれないいろんな感じ方が自分の中にあって、だからこそ音にするのだけれど、これが今回のコンサートにおける文学的情緒的上沼の感じ方だった。

最近は以前ほど考えなくなったけれど、二つの「シンカ」という言葉を事あるごとに意識して、大事にしている。

 

 

進化。響きのいい言葉で、新しいことに常にチャレンジしていくような、前向きな言葉だ。

 

けれど一歩間違えれば、真新しいものにばかり飛びついて、地に足がついていない状態にも陥りかねない。

 

 

アイルランド音楽に取り組むときに、つとめて深化という言葉を意識し続けてきた。

 

変化が許容されやすいシンプルな音楽、ロックのルーツにもなり、自由な音楽。

 

その側面は決して犯されてはいけないと思う。

 

そんな変わりゆく時代の中で、変わらないものを共有し、生きている人たちの音楽の愛くるしさを、

 

学び感じ深めていくことが、これまでどれだけ自分のアイデンティティーの礎になってきたかは計り知れない。

 

 

二つの「シンカ」が、今日も自分を深め進めてくれる。慣れ親しんだ街へも、深海の底へも、遠いかの国へも、宇宙の彼方へも、道をつくるのは己。

10年以上前に何度か対バンさせていただいた、とあるシンガーソングライターと、とあるショッピングセンターの演奏でブッキングになり再会した。

 

その唄声と人柄に救われたことがあるという記憶と感覚をうまく伝える方法がなくて、

 

けれど、何度も堅く交わした握手で、何かを分かり合えた。ような気がした。

 

握手って、大事。

 

積み重ねって、大事。