『 君たちはどう生きるか 』

 

見慣れぬ自分の正体や訳のわからぬ世界のこと。

そして、評価がどう割れるか?というSNS上の議論のこと。

ましてや、あの絵の鳥は何者なんだ?

面白いか、面白くないか。

見るか見ないかは、人それぞれの自由。

見たからどうなんだ。

それは、今朝、自分が映る鏡を見て気がついた。

「 私は確実に前に進んでいる 」

 

してみたかった格好。

本当は知っていた私の素敵なところ。

自分に自信があったという事実的部分。

それを表現しようとしなかった自分。

全部、ひっくるめて親に貼られたレッテル。

それを剥がすために私は

この地球に産まれてきたんだ、と。

 

おや?親が貼った!?

そうそう違う違う!!

それを体感するために地球を選んだんだ。

“  わたくし “ という魂は。

 

結論。

私はこれから自分の感じたまま生きていく。

ルールも守るし、時に無鉄砲でもあるし、

何が正しいかを追求していくし、

当然、他人を変えようとも思わないし。

嫌なことを言われても当然と捉えるなら変えていく。

でも違うんだと思うのなら黙ってそこから離れる。

誰かに自分の人生を明け渡してしまうなんて

つまらないからやめる。

そう、鏡に映った自分は言った。

 

『 君たちはどう生きるか 』

もう一度、あの絵の鳥を観察しに行く。

世の迷いごとなんて放っておけ。

勝手に騒いでいるだけだから。

そう、鳥が言っているような気がして …  。

 

異世界の住人である私は

異世界の住人になんと言うだろう。

その異世界から来た私たちは

産まれて来なかった魂に可哀想だと言うだろうか?

産まれて来たくなかった理由も知らずに。

無惨な憶測や言い訳をして。

 

途中で去った者に悲しみは必要だろうか?

次の世界に行く手段だとしたら哀れみなど要らない。

真に送り出す勇気ではないか、必要なのは。

 

神がいるとかいないとか。

異世界があるとかあるわけないだろうとか。

肉体を持った魂は知ろうはずはない。

それが修行。

 

ただ、あるという感覚を信じて。

 

街の明かりがひとつずつ消えていく。

消えた魂の数々は何を思うだろう。

一冊の本が語りかける言葉の数式は

どれほど問いを残さずに解釈するだろう。

 

あなたがあなたである限り、私は私の答えを出す。

決して間違っていないと言える自分に成る迄。

あなたが私で私があなた。

鏡。

答え合わせ。

時間は確実に進んだ。

 

感謝を込めて。