この言葉の体験をするようになって

私は心の幸せを感じるようになりました。

以前も、私は自分のことを幸せだと思って生きてきましたが・・・。

けっこう大変な時があってもそれでも、なぜだか

いつも今が一番幸せだと思って生きてきたような気がします。

ただ、いつも外側から何かがやってきたり、

起こってきて、それによって幸せを感じるものだという

受け身の感覚を持っていたことは否めませんでした。

それから、私のたった一つの苦しみがありまして、

それは、自分自身では、どうしようもないことでした。

たった一つの私の悩みとは、人との距離感がわからない

緊張してしまう、そんな感じでした。

幸い家に籠っていても良い状況で暮らせるようになり、

これ以上の幸せは無いはずでした。

ですが、やはりどこへ行っても、家以外は、他人との

少しの関係も、苦痛になっていました。

生きている限り、人間関係が、まったく無しでいられることは

あり得ません。この問題だけは、私がこれまで

加藤諦三先生の本をたくさん読んだりして、自分では

自分のことを、もう、なぜこうなってしまったのか、解りすぎる

くらい解ってはいたのです。なので、かなり楽になってきては

いました。やはり自分で原因が理解できることは相当に

大きかったのです。なので、解決したかのように

過ごすことはできたので、常に自分は幸せだと思っては

いました。そんなある日、この言葉による体験が始まり、

驚きの連続の中、『法ゑ六体』という言葉をいただきました。

いつも通りふつうに、来た言葉を動画検索してみたのですが

私の子供の頃からの体験とダブるようなアニメによる

動画がそこには先頭に来ていました。

そして、そのアニメを観て、今でも思い出すたびに

涙が出そうになります。本当に、私は、「自分の親に

認めてもらいたかったんだ」と心底納得できました。

自分自身、そんな哀れっぽいことを認めたくはなかったと

そのことが解りました。号泣がとまりませんでした。

体験は、このブログに書きましたので、一番、私が

この、言葉の体験を起こしてくださっている存在が

どのような方かを、よく表わしている現象ですので

改めて、ここにそのことを書いておきたく、また、その体験

以降、とても心が軽くなったのです。自分の心の欲求を

素直に認めることができたからなのです。

こうして、私の魂を解放してくださる存在が、おそらく

神仏が在る、ということ、それが私が伝えたくて

しかたのないことなのです。ここへ来ていただいても、

意味が解らない体験も多いです。自分でも、どうして

それを知らせたいの?ということが多いのですが、

魂の解放までしてくれる、そういった、慈悲深い存在

そういう存在を感じてこそ、人は幸せを感じることが

できるのだと思います。私はこの言葉をくれている存在を

神格化してしまうことで、単なるシンクロなのに、

頭のおかしい人と言われかねませんが、

どうしてもこの体験は、いつまでも、語られるべき

体験として残したいと思ったのです。

この『法ゑ六体』の体験によって、私は、本当の

神仏からの愛情を感じ、幸せを感じることができたのです。

誰かが、そして誰かいなくても神仏が、

こうして自分をずっと見守ってくださっている

その感覚が幸せになれるとても大切な道なのです。

 

今の時代は、神仏などどこにいるのやら、という悲しい

世の中です。神仏を信じる方の割合はとても少ないと

思います。唯物主義に走り、外側にばかり幸せを求めて

追究しても、そこに神仏の持つような、心が感じられなく

なれば、人はしあわせになれないでしょう。

人が人を信じられなくなっています。

唯物主義に走り、お金ですべてが解決できると

思い込んでいます。確かに、ほとんどのことが解決

できるのが現実です。お金というシステムが、人の心を

疑心暗鬼にさせてしまいました。お金は単なる道具であって

物々交換よりも、楽な方法として採用されてきました。

ところが結果的に、お金がお金を生む(金利)というシステムも

普通のこととして存在していますが、不自然なことです。

また、気持ちが素直になれないときなどには

人が親切にしてくれても、どうせお金が欲しいからでしょ

何か欲しいんでしょとか、悲しい考えにもなります。

親子関係ですらもそのように感じてしまう場合もあり得ます。

ですが、本来の人々の心というのは、

誰かの為になれたら・・・少しでも人の役に立てたら・・・

それだけで自分もうれしく、また、そんな自分に誇りが

少し持てる、だから自分のことも好きになれる、そんな

循環ができるはずなのです。

そんな自分自身の本来の心のあり方を忘れ去って

しまうようなお金というシステムは、人と人を分断

させてしまったのかなと思います。

仕事とは、人に喜んでもらうためにすることで、

お金はその対価となります。お金を払えば感謝をしなくて

当然みたいになってしまいます。

究極的には、商売はお金儲けして当然な位置にある、

ということにもなっているかもしれません。お客として当然、

という顔をしてサービスを受けている自分にも、

疑問を持つ時があります。

本来の人間関係を思い出せたらいいなと思いました。

ポイントカード、これも、人と人の自然なふれ合いでは

無いですね。何かあさましく、違和感をどこかに感じつつ・・・。

変な感覚に慣れてしまわないようにしたいなと思っています。

 

お読みいただきましてありがとうございます