皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

これまでにキハ58系のパーツネタのご紹介をいくつかご紹介しておりますが、どちらかというと「地味」なものが多かったと思います。「幌枠の切れ込み」とか「貫通路渡り板のヒンジ」とか…。そんなの誰も気にしない!?というものばかりでしたね。「前面補強」とか「タイフォン」などという超メジャーなネタは後にとっておいて、今回は「架線注意」の札をご紹介したいと思います。また何とも地味な…。

 

この「架線注意」の札は、私のバイブルである「鉄道ピクトリアル No.478 1987年4月号 キハ58系気動車」によると、昭和41年度第1次債務より新製時から取り付けが行われたと記録があります。これは電化区間の進展により、キハ58系が架線下へ乗り入れるケースが増え、職員への注意喚起を促す必要が出てきたからでした。そしてこの札は後に多くの車両に取り付けられることになりました。しかし、この取り付けに際しても細かな差異が見られたのが全国区車両であるキハ58系の特徴でした。
 

まずは北海道です。

 

↑キハ56 127 北海道の車は、正面窓上の小手すりの直上に設置されていました。滝川までの電化が完成した1969年には取り付けが行われたものと思われます。北海道では旭川・釧路・苗穂・五稜郭と4工場ありましたが、架線注意札の位置は基本的に全て同じでした。前面補強板の形状は各工場でバラバラであったのとは対照的です。

なお余談ですが北海道では正面窓上の通風口が1980年代には大半が埋められていましたが、当車は廃車までこれを残していたレアな車でした。

 

続いて秋田局です。

 

↑キハ58 54 「架線注意」の札の高さは、ヘッドライト付近にあります。また左右方向も正面窓上の直上ではなく、少し外側に寄っています。ちょうどヘッドライトと種別表示器の真ん中くらいにあります。ただし車両による微妙なばらつきは多い傾向があります。

 

盛岡局

↑キハ58 739 秋田と同様、ヘッドライトの高さくらいにありますが、外側(ヘッドライト寄り)にあります。また盛岡管内では正面窓上の手すりに注意喚起の警戒色板が取り付けられていました。盛岡では車両による位置がまちまちでした。同地区では晩年は鉄製の「札」というよりステッカーのようなものに変わっており、正面窓上の通風口が無い車が増えたこともあり位置がバラバラでした。

 

↑キハ58 1509 更新後に、もと通風口のあった場所に「架線注意」ステッカーが貼られる車もいました。

 

↑会津若松のキハ58 780です。秋田や盛岡同様、基本的にはヘッドライトの高さでヘッドライトと種別表示器の真ん中あたりにありました。

 

続いて新潟です。

↑国鉄時代の新潟局では、北海道と同様に正面窓上の手すり直上にありました。しかし、JR化後は他地区からの転入もあり、また新津車両所が閉鎖され検査関係は郡山に移管されたため新潟の特徴は薄れてゆきました。

 

↑転入組であるキハ58 1022です。先に挙げた郡山担当のキハ58 780と同様、架線注意の板はヘッドライトと同じ高さくらいにあります。

 

続いて水戸局です。ここはちょっとクセが強いです。

キハ28 2392 架線注意の板は正面窓上の手すりの上部にありますが高さがヘッドライトと同じくらいです。

 

↑キハ58 562 この車は札がヘッドライト寄りです。

 

あまり位置に決まりは無くバラバラのようです。

 

↑ キハ28 2384 通常より大きな「架線注意」の板を付けていました。このような車は水戸地区では比較的多く見られました。

 

↑キハ58 578 この車もサイズが大きいです。

 

では続いて長野です。ここはとっても変なところです。

 

↑正面窓上の手すり直上に、ぴったりくっつく高さにあります。ただしこれは実は長野ではなく旧松本区の特徴です。生え抜き長野の特徴は…

 

↑キハ58 710です。あれ、通常は正面窓上の手すりの更に上にあるはずの札が、この手すりの下にあります。どういうことでしょう!?

 

↑良く見ると、小手すりからぶら下がるように「架線注意」の札が取り付けられています。

 

これは、元長野車を判別する貴重なポイントでしたが、後年取り外されたり通常のタイプに変えられる車の方が多かったです。

 

↑能登路用のキハ58 310です。七尾には元長野車が数両いましたがいずれも普通の架線注意札に交換されており、残っている車はレアでした。兄弟308~312が元長野ですがこの310のみが晩年まで残していました。

 

↑キハ58 7203(元467) この車は1965年の中央東線電化で松本から美濃太田に転じた車ですが、ぶら下がっています。そして国鉄末期~JR化初期に美濃太田から七尾経由で福知山に転じ、7200番代化されました。

 

↑キハ58 713 上で挙げた長野の710の兄弟ですね。こっちもしっかりぶら下がっています。

 

↑キハ58 3001(元714)です。こちらも兄弟車ですが、左側が取れちゃって右だけ残っています。

 

では生え抜きの名古屋地区車はどうでしょうか。

 

↑上 キハ58 734、下キハ58 788 名古屋・美濃太田生え抜き車は基本的に「架線注意」表示がありません。

 

では次に金沢管内を見てみましょう。

 

金沢管内のキハ58系はその多くが1978年以降に各地からかき集めたような車ばかりで、当初はその車が付けていたそのままでした。しかし次第に位置が統一されます。

 

↑キハ28 2021 正面窓上の手すり直上あたりにあります。

 

キハ58 560  正面窓上の手すり直上あたりにあります。

 

キハ58 792 正面窓上の手すり直上あたりにあります。

 

キハ58 794 正面窓上の手すり直上あたりにあります。

 

金沢管内では概ね正面窓上の手すり直上にあることが分かります。

 

このように、「架線注意」の札一つとっても地域差が表れているのが分かります。大きく分けて2パターンに分かれましたが、札の大きい水戸や札が手すりからぶら下がる長野が特異でした。

 

今回は金沢まで見てきました。ここまでで随分なボリュームになってしまいましたので関西以西は次回にしたいと思います。

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

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にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。