子どもながらに母の盾になり守っていたつもりでした | 現役ファイナンシャルプランナーのブログ

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まなはな認定講師のファイナンシャル・プランンニング技能士(2級)の亀山美穂です。
資格取得・身近な「お金」に関することを、FPの目線から発信します。


パーフェクトワールドの最終回を見ているつもりだったら、

来週が最終回でした。笑

でも、良かった、まだもう一回見れる。


「まちがいさがしの まちがいの方に生まれた気がしていた、相応しいく 笑い会えること…」

という、歌詞に魅了されています。


私の母も、身体障害者(聴覚障害者)だったので、

母もたくさんの苦悩がありました。

子ども達で、母の耳の代わりをしていました。

電話、病院、来客、レジなどの生活の通訳は、私達子どもの仕事でした。


当然ですが、ご理解頂けない方もいらっしゃって、

「耳ツンボ」と心ない言葉を掛けられた事もありますが、

母は聴こえないので、聞こえた私達子ども達の胸にだけしまったり、

母が聴こえないと思って悪口を言われていると気付かず、「あの人は何を話してるの?」と聞かれた事もあり、
「関係ない話」と、教えていたり、


そんな事もありました。

 
子どもながらに、盾になり、母を守っているつもりでした。



母は、母が8才の時に交通事故で両耳の聴力を失いました。

まちがいさがしのまちがいの方に生まれた気がしていた、

と、障害を持っている方が思わなくて良い社会になれば良いと、

願っています。



父は、聴覚障害のある母との結婚を、

周囲に反対されたと言っていました。

・苦労する

・子どもに障害が遺伝する

などの根拠のないものでした。

心配しているからこその反対もあり、悪意が無いものが殆どだったそうですが、

母は、自分が生きている事が他人に「苦労」を掛けてしまうのか、と自問自答した時期があった、

と後に教えてくれました。


私は、今、実は、改めて手話の勉強をしています。


殆ど忘れてしまっていたのですが、

直ぐに思い出せています。


春に、地域のボランティア手話通訳士の募集にエントリーしましたが、

手話の実力があっても、手話の講習を受けている又は手話の試験に合格している条件が必須のようで、

お見送りとなりました。

講習を受ける必要は無いので、試験に合格する事を目指しています。

試験は1回 / 年 なので、落とさないようにしなきゃです。