「上陸」<父の備忘録025 | かめおかゆみこの≪表現するからだとことば≫塾

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024 婚約破棄のつづき。

 

婚約を破棄し、仕事もやめてしまった私には、

実家にもどるという選択肢しかなかった。

両親とも、とくに私を責めるでもなく、むしろ

あたたかく迎え入れてくれる。ありがたかった。

 

が、こころはなおも混乱のなかにあり、まっすぐ

実家にもどるという選択はしたくなかった。

とはいえ、自分の内面を言語化できないないので、

親を説得できる理由を説明することもできない。

 

そんなわけで、私は強行手段に出た。

アパートを解約し、荷物を処分し、

なおも残った荷物を、すべて実家に送り…、

親には、「年内には帰る」とだけ告げて、

住民票をにぎりしめて、西に遁走したのである。

 

自分のやりたいことは、反対されてもやってしまう。

(もしくは、やりたくないことは絶対にやらない)

これも、たぶんに、父の血を継いでいると思う。

 

文字どおりの、無職住所不定ではあるが、幸い、

私には、全国津々浦々に友人がいた。友人のいない

地では、親戚や、友人の親戚宅などに泊めてもらい、

10月から12月にかけて、約3か月、放浪をつづけた。

 

そのかん、家には一度も連絡を入れなかった。

自分のなかで、何らかのこたえが見つかるまで、

家には帰りたくなかった。ほんとにヒドイ娘である。

 

母は相当心配したにちがいない。(母は心配性だ)

父もおそらく心配はしたろうが、こんなエピソードがある。

 

12月ころになると、北海道の友人たちから、実家に

電話が入りはじめる。「かめさん、いつごろ戻りますか?」

 

実は、私は、20歳くらいから月1回の定期個人通信

おじゃまむし通信」を発行しており、このかんも

それで旅の様子を報告していたので、友人たちは、

ある程度、私の動向を把握していたのである。

 

しかし、実家には送っていないので、両親には、

私の動向はまったく伝わっていなかったはずである。

 

にもかかわらず、そんな電話にたいして、父は、

「そろそろ、北海道に上陸したころだと思う」と、

泰然としてこたえたのである。

 

じょ、上陸って、新大陸発見じゃないんだから!

何ひとつ連絡しなかったのに、そんなウィットに

富んだ返事が、さらりとできるのが、父なのである。

 

 

ちなみに、これは、まだ高校時代の話だが、

やはり友人から、家に電話が入ったことがある。

「甕岡さんのお宅ですか?…かめさん、いますか?」

 

私の名前は「かめおかゆみこ」だが、ふだんは、

みんなから、「かめさん」と呼ばれている。

友人は、私に電話をかけたものの、とっさに、

下の名前を思い出せなかったらしい。

 

すると電話に出た父は、つるっとこたえた。

「うちには、かめさんは4人いる」(父・母・私・妹)

友人は、絶句した。こんなユーモアもあった。

 

 

蛇足だが、私は、「年内に帰る」という約束を守り、

12月31日の夜、帰宅した。(ぎりぎりセーフ)

そこは守らなければ、黙って放置してくれている

親の信頼をうらぎることになると思ったからである。

 

母は、私のぼろぼろのかっこうにあきれたが、父は

何も言わなかった。が、きっとほっとしたことだろう。

 

お金のない旅だったので、移動にはフェリーも

よく利用した。福岡の親戚宅に泊まらせてもらっ

たので、そこから実家には、通報が行ったはずだ。

消息が知れて、少しはほっとしたのではないか。

 

 

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