追記 : 萬歳軒さんのメニュー追加

・鍋焼きうどん アルマイト鍋だったそうです。

・大判焼 クリームはいつも残ってたようです。

昨日、マチ博 =「Shop in MicroMUSEUM for 一戸・二戸・三戸あたり」のギャラリー南源酒屋オープニング内見会で、寄託 ? 企画第一弾をお披露目しました !

お題は「一戸懐かし食堂①万代橋際の萬歳軒」です。

きっかけはなんと言っても、酒屋の真隣にあった食堂さんですから、勿論お店で提供されていたお酒は「奥の峰」でした。

ただ、物証が無くあくまでも限りなく偽りない推測でありました。

実はお店を閉められたあと、暫く建物はそのまま残っていまして、小生が就職したあと何度か暫く帰省したときも、懐かしい古屋の風情で建っていました。

酒屋と同じく度重なる道路と万代橋の嵩上げで、萬歳軒さんも二階建てに見えて、裏に回ると三階建ての昭和の古民家然としたお店で、後にお住まいとして旧酒屋の麹藏を購入されました。

その後、老朽化によって倒壊の危険が発生し、惜しくもお店部分は解体されてしまいましたが、藏改造のお住まいは綺麗にリノベーションされて現存しています。

その解体時に三つの出来事が重なりまして、今回の「一戸懐かし食堂①万代橋際の萬歳軒」初回企画に繋がったのです。

一つはこれ↓です。

萬歳軒さんの親族さんから、解体の依頼を受けた業者の社長さんが、あの一守書店主さんのお知り合いだったそうです。

解体が終わってその社長さんから「これはあなたが持っていた方がいいから」と言われて、書店主さんに渡されたそうです。

以来、一守さんはこの「のれん」が手元に来たことに何かを感じ取って、ずっと手元において大切に保管していたそうです。

電話番号が6桁ですから、初代の萬歳軒さんの暖簾では無いでしょうが、お店を閉めたその時まで出入口に架けられて、お客さんを迎入れていた「のれん」ですから、この暖簾を潜ってお店を利用された経験のある方にとっては、随分と懐かしくまたいろいろな思い出をお持ちの方も多いのではと。

そして、今回この「のれん」が酒屋へと寄託された元となった物がこれ↓です。

解体時の三つのエピソードのうちの二つ目です。

酒屋「奥の峰」拡販のために、当時幾千と造られた奥の峰銘入りの小さかづきです。

小生が母屋の修復を始める前に、放置状態だった台所食堂の戸棚で10個ほどを見つけ、感激して大切に保管していたら、次から次へと在庫が見つかり、昨年末には2000個以上の未使用の束が見つかってます、あの杯です。

で、ここにあるうちの2個が、一戸の家具屋さんBERRY-KAGUさんで売られていたのです。

ベリーさんは主に北欧家具をメインにネットでファニチャー全般を扱われている、ライフスタイルショップさんで、コンセプトに「長く使う」のがモットーのお店です。

リアルショップとして一戸で起業されておりまして、小生と同じ一戸三年生かな。

なので、このあたりのお家から出た家具や雑貨・民具も扱われていて、その最たる物は非売品ではありますが、旧福岡中学開校時に準備されたと思われる、化学室などに設えられた舶来物の大円卓を引き取られてお店に置かれていたりします。

と言うわけで、このあたりの古い物を探しに出て、初めてベリーさんを覗いたとき、件の「奥の峰」杯を見つけたわけです。

ちょっとビックリしましてどこで出たんですか ? 、と奥様に聞きましたら「萬歳軒さん」です、と。

なんと、解体時に古道具引き取りの打診があり、古い食器や雑貨類を引き取った中に入っていたとのこと。

図らずもこの2個の杯が、萬歳軒さんに酒屋の酒が納められていた事を、証明してくれたのです。

「他にもありますよ、でもだいぶ売れちゃったからもうこれしか残ってないけど」と教えていただいた中には、カップや今回頂いてきましたレトロな氷グラス等がありました。

このグラスで夏、厨房に置いてあった大きな古い氷かき機で「かき氷」を召し上がられた記憶をお持ちの方もいらっしゃいますね、きっと。「すい」とか「いちご」とか。

以前はお皿やどんぶりなどの器等もあったそうです。

そしてその中に、こんなものも↓もあったのです !!

よくレトロな食堂や居酒屋さんなどで、壁に掛かっている品札です。

実はこの「お品書き」、一戸の町には当時としては食のエポックメイキング !!! と言ってもよいくらいの「食べ物」の品札が混じってまして。

「すし」「ちらし」の二枚です。

※「さけ」があれば 99%酒屋の酒、すなわち「奥の峰・源氏誉・奥の華」のどれかなはずなのですが「酒」は最初にどなたかが買われていってしまわれたそうです、残念。

万歳軒さんは一戸、いやこのあたりの県北で初めて「江戸前寿司」を扱ったお店なのだそうです。

店主さんが当時、他所の食堂との競争に打ち勝つために、他所で扱っていない目新しいものを ! と閃き、岩手※盛岡 ?の寿司組合に掛け合って、東京一の繁華街の一つだった有楽町の寿司店で板前をなさっていた、一戸に縁もゆかりも無い A さんという寿司職人さんを招聘して、お店にネタケースを備えた立派な寿司カウンターまで設えて、この職人さんに寿司を握らせて、初めてお客さんに「江戸寿司」を提供したのだそうです。

当時、こちらでは寿司と言うと「いなり」か「助六※稲荷寿司&海苔巻きセット」をさしていたようで、その中で「握りの江戸前寿司」が提供されたわけですから、そのインパクトは限りなく相当な物だっただろう事は予想できます。

冷蔵技術と流通が未整備だった当時は鮮魚の仕入れも大変で A さんは二日か三日に一回、始発の汽車※蒸気機関車牽引の客車列車、つい最近まで残っていた小鳥谷駅始発の、八戸線陸奥湊駅行き、、で陸奥湊まで魚を仕入れに行き、大きな魚缶を背負って一戸に帰ってきては厨房の大きな氷蔵庫※木製の冷蔵庫、コンプレッサーなど搭載していなくて、大きな氷塊で冷やした、、に魚を仕舞って仕事を加え、寿司を握っていたそうです。

その後、萬歳軒さんで寿司修業を積んで、県北にお寿司を出す方々が増えていった、というとても誇らしく嬉しい逸話を A さんの息子さんから、昨日の内見会でお聞きできました !!!

さかづきが、ベリーさんで見つかった頃、こんなこともありました。

懇意にしていただいている自動車工場のメカニックさんに、一戸の歴史に詳しく町史を読み込んで色々と調べることが大好きな方が居られまして、萬歳軒さんのことが話題に上ったことがあります。

自宅と職場の行き帰り、よく萬歳軒さんを利用していたとのことで、閉店の際に頼み込んでお店備え付けの「番傘」をいただいたそうです。

「ダテさん、そんならうちの番傘あずけるよ」と言うことになったんですが、貴重な物ですし思い出の物でしょうから・・・と固辞したんですが「いいからいいから」ということで。

ここまで揃ったら、拙酒屋の展示スペースをギャラリー化して、なにかイベントが開けるのではと、常々思いつくようになりました。

そのアクションを具体的に後押ししていただいたのが、一守書店主さんであり店主さんのお声がけで酒屋で開催させていただいた、昨年の商工会主催「一戸まちゼミ」です。

一守書店主さんへ相談しつつ、プランを練り上げて今回の寄託 ? 企画第一弾をやってみたいです! と宣言しましたら、厳重に保管してあった倉庫を探して店主さんが持ってきてくださったのが、前出の「のれん」なのです。

ここまで役者が揃っていれば、もう言うこと無しなのですが、この内見会の詰めに本当にもう何かないかな ? と再度ベリーさんへ出向きたくなりましてね。先週のことです。

そしたらですね、奥様が奥から一枚の法被をお持ちになりまして。

「これはもう、南源さんが持っていた方がよいからと思って、とっておいたんです !」と言われましたのが、この↓法被です。

流石にこれには本当に仰天しましてて、一瞬、絶句してしまいました〜。

なにか、因縁めいた物を感じずにはいられませんで、帰ってきて即神仏に手を合わせてしまいました。

最後の最後に「本当のホンモノの詰め」が手に入りまして。

 

 

 

 

こんな形↑で、萬歳軒さんで使われていたであろう、酒屋の酒器とともに並べることが出来まして、寄託 ? 企画ギャラリー第一弾として、お披露目することが出来ましたです。

ご協力頂きました、一守書店主さん・BERRY-KAGUさんは元より、「マイ博」にご賛同頂いて居られます皆様方にこの場を借りしまして、深く御礼申し上げます。

なお、しばらくの間、この展示内容で酒屋酒器・道具ギャラリーは展示しておりますので、ご覧になりたい方・興味を持たれた方はお知らせ頂ければ、いつでもご覧いただけます。

なお、「一戸懐かし食堂②」も現品展示は伴いませんが、皆様からのお話を纏めて拙ブログで近日中に掲載する予定でございます。

一戸の街には、このように心ある方や思い出を大切にしている方々が、多くいらっしゃいます。

もしそれらが日の目を浴びることが出来れば、それを見て心温まる気持ちになったり、思い出を思い起こして何かしら幸せな気分になられる方も、居られるかも知れません。

是非、お家の片隅でもよろしいですから、目に付くところに出してあげて、少しでもよろしいですからお日様の光を浴びさせてくださいませ。