『シールドの向こう側』         楽しかったな~ ありがとう、お面達! | シールドの向こう側…

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hiroshiのブログ-サンセットビーチに沈む夕日
第3話 (沖縄&後楽園)


  ここに引っ越して来てから、そろそろ4ヶ月...


 自宅からはサンセットビーチがある北谷まで僅かな時間で移動ができる。 移動にはもっぱら車を使っている。 

近所へはやっぱり車が便利。 と言うか車がないとかなり生活が大変になると思う。 

バスという手もあるけど、乗り継ぎをしないと大概目的地まで行けない。郊外路線はバス代が割りと高めだと思うし、時間もかかってしまう。

沖縄では車は必需品です。東京では無いならそれでも全然困らなかったのだけれど。

  バイクいう手もあるけどこちらは趣味のツーリングでしか使わない。 ハーレーだとスーパーなどの近所の買い物に行くには余計めんどくさくなるからで、今、小回りの利く小さいバイクの購入を検討しているところ。

 北谷から国道58号の西海岸ルートを、毎回ほぼ同じコースを辿って北上し、帰りは許田から高速を使うか(これだと東海岸も見れるよ。)、そのまま58号を戻る。でも夕方だとある程度の渋滞を覚悟しなければならない…。

 ホントにこの海沿いのコースが大好き。

今はシーズンではないので交通量も少なく、また信号も少ないので、快適にの~んびりと走行する事が出来る。 

只し、シーズンになるとけっこう込み合うようになると聞いた。 これから夏までが良い季節ってことかな。 

またハーレーはエンジンの発熱量が多いので、夏場はジーンズにパンツがへばりついてかなり気持ちが悪い。

 そうそう、沖縄では海岸沿いを走る事が多くなるから洗車はマメにするようにしている。 あっ!という間に錆びが出るそうで、住むと決めた時から覚悟はしてきたんだけどやっぱり心配。 かなり気にしている...

 

 初めて沖縄に来たのはバイクツーリングでだった。 

もう20年以上昔の事で、四月頃だったと思う。 東京から鹿児島まで走って、そこから船で約2日。デッキに出ると横には牛君の顔が。 客船でなく、貨物の運搬がメインの船で、それに客室が付いているという感じだったと記憶している。

 愛車はカワサキGPZ750R、水冷エンジンのナナハンで、大泉の撮影所に行く途中にあった(今もあるかな?)ボンバーと言う店で、頭金700円で買った。支払い合計の端数が700円だったから。

 本当は900Rも考えたんだけど、当時、逆輸入車は高くて、何せ頭金700円だから。 まぁ、『ナナハン』という言葉の響きが好きであったのも確かだけど…。

 次の日、撮影所で先輩達から、「前田、700円でナナハン買ったんだって?」 とからかられた。 一緒にバイク屋に行った的場さんが出所みたい。

的場さんとは後楽園でも入った当時からずっと一緒に仕事をさせてもらっていて、自分のJAC時代、後楽園最後となったチェンジマンショーでも、TVと同じくグリフォンを演じていた人。ビーファイターの主役もこの人。


 後楽園野外ステージ。 自分たちは野外ステージとか、野劇という呼び方はしない。 ただ、後楽園と呼んでいる。 

 ここで初めてサンバルカンのショーを見て圧倒され、同時にあこがれ、JACの試験を受けたのが二十歳になるかならないかの頃だった。

 この時、試験は二日間に分けて行われ、受験者の数は合計で三千数百人いたらしい。 で、合格したのが三十人程度。 運が良かったのだと思う。

 試験自体はなんということはない、簡単な実技(平均台、前転、後転、ケンケン飛びだけだったと思う。)と面接。 面接だって名前を聞かれ、希望や目標とする役者さんは? と言うような質問だけだったと思う。 自分は後楽園をやりたいです。目標は新堀さんと、岡本さんです。と答えたと記憶している。

(後楽園をやりたくてJACの試験を受けた人、他にもいたのかなぁ…)

それが良かったのかもね。 皆、目標は真田さんや千葉さん、志穂美さんと答えてた人ばかりだったから。 この時、JACの試験を受けた人には真田さんの影響もあり、役者志望が多かったんだと思う。 実際、自分の同期では当初、役者さんを目指していた人が多かったように思う。

 

 自分はJACの13期生で、同期には...

皆が一番知っているのは伊原 剛かなぁ、バイクロッサーギンの後閑常光、マーメイド、イエローフラッシュ&ライオン、ドラフトレッダーだっけ?AC用の赤田真人、(甲冑物にはACとUPと言うのがあって、二人で一役を演じている。自分がやっていたガンギブソンもそうで、AC用が自分、UP用を着て芝居をメインに担当していたのがREDで同僚の菊池君。ちなみにナイトファイヤーはUPが自分で、ACが、知らない人はいないよね、次郎君でした。 ジャンパ-ソンはJACの16期生同士、ガンギブソンはRED AC同士、ビルゴルディーはJACの14期生同士が演じていて、これはアクション監督の山岡さんの考えで、三者で刺激し合い、向上心を持たせる事が狙いだったようで、その空間での、ライバル同士の本当の戦いが見たかったのだと思う。) 

ダイレンジャーのレッドやブラックコンドルの大藤直樹も、バイオマンの大須賀、翼 麻衣役の芸名、大石麻衣も同期。 他にも、仁禮美佐、菊池香理、村上久代と、子供番組で活躍した人が13期には沢山いる。

 

 当初、ダイレンジャーもジュウレンジャーから引き続き自分が演じる予定で衣装合わせも進めていたんだけど、アクション監督と五人で集まり、打ち合わせをしていた時、やはりカンフーアクションを取り入れて、それを軸にしてアクションを組み立てていきたいと言う要請があって、そんなもの当時の自分としては、まったくやりたい物ではなかったので、次の日JACに電話してダイレンジャーは降りますと伝え、結局、東映では1シーズンしかレギュラーでのREDを演じる事がなかった。

 でも、この決断は正解で、やはりダイレンジャーは大藤君が演じた方が良かったと今でも思っている。 自分には不向きなキャラだったから。

 この後、自分はジャンパーソンに後半から参加させて頂き、結局1年間だけだけど、ティラノを演じたのがキッカケでアメリカにも呼んで貰う事が出来た。 その後、約9年間いろんなREDを演じることが出来きたのは、本当に楽しかったし、勉強になった。 これも運もあったんだと思う。 まぁ、運も実力の内って言うでしょ!
 

 後楽園での初めての仕事はコースターレッド。 これは定番で、ジェットコースターに乗って現れて去って行く... たったそれだけだった。 戦闘員もやる必要が無くて、めちゃくちゃ楽な仕事だった。 あまりに楽すぎるので、後に演じた人は戦闘員とのダブりになったようだけど、自分のときはこれだけ。 自分がその後、REDより後楽園に戻った時には、コースターから途中降りて走ってステージまで戻り、階段を駆け上がって扉の前に立った途端、息つく暇も無く扉が開き登場しなければならないというショーもあった。殺陣は新堀さん。これには参った。けど不思議な物で回数をこなしていくと、これにも慣れて、息を整える時間が出来るようになった。でもしんどいのには変わりは無い。 この後、名乗のりをして長~いソロの立ち回りに入っていく。 最初はいつもレッドからと決まっている。 この時はホントにバテた… 久しぶりに引き受けた後楽園だったけど、当初はゲストのキャラクターだったはずのに、蓋を開けてみたら真ん中、もうどうにもならずやるしかなかった。 この時の周りの評価はかなり悪く、前田さんてこんなもんだっけ? と言われていたらしい。 

しかし これは久しぶりにメインだったからで、次シリーズの公演ではちゃんと挽回をしておいた。 と思う。


 新人の後楽園での仕事は本番中以外も忙しく動き回っていなければならない。

どういう事かと言うと、朝はもちろん早くに行って、部屋の掃除から始まり、衣装の準備、ショーで使う機材の点検と準備、本番が終わってからは片付けと衣装の洗濯、それを干す、などを手分けして同時進行で行う。そうしないと退場時間に間に合わないからだ。 全部が終わって、時間があったらシャワーを浴びて退場となる。


 さて、ショーのメンバーに入れたものの、ここでどうやって自分をアピールするか? を考えてみた。

まず人より先に行ってランニングをする。それから基本練習。(たまに遅刻をしそうになり、たまにだっけか?! 出来ない事もあったが…)

ショーの合間に今やっている立ち回りの復習をする。

ショーが終わってから芯をやってる先輩の立ち回りを自分に置き換えて練習してみる。 等をずっとやっていた。 これは自分にとっても練習になり一石二鳥だった。 と思っている。 やはり、見てくれている人は居るものです!


 コースターレッドの次のシリーズは進化獣ゲンゴロウシンカだった。

実は後楽園では一度も通しの戦闘員をやった事がない。 戦闘員役はホントに大変だと思う。 これが正月のスーパーヒーローならなおさらで、このシリーズはゲストキャラが一番良い。 丁度汗をかいたぐらいに出番終了となるからだ。 ヒーローの数が多ければ多いほど、身体にいい感じ? で終われる事になる。 

 今もスーパーヒーローってやっているのかなぁ? スカイシアターになってからはたまに、お正月に挨拶に行くぐらいになってしまい、最近では屋内ステージになったとか聞いたけど、ここにはまだ一度も行ってない。 どんなだろうね? 

 

 自分の中で後楽園とは野外ステージだけだった。    

あそこには駆け出しのガキだった頃の自分が描いた夢や、甘いのやら苦いやらの思い出がいっぱい詰まっていたから... 

 

 こんな事があった… この夏のシリーズ、身近に好きになった人が出来(JACのメンバーとかではないよ) 楽日の日、ちょうどこのショーを見に来ていたその人に、会場を襲えの命令で小さな花束を渡しに行ったゲンゴロウがいたとしたら、どう? 

その後、この人とゲンゴロウの中身は仲良くなったそうな。 

この時代、各期の最終日の最終回は特別なショーになっていて、まして夏のロングランのラスト、こんな事をしてもショーに差支えがなければ別に叱られる事もなかった。 全員ではないけど、各自いろんな趣向をこらしては今日だけは特別と、お客さんを楽しませ、また自分も楽しむ。 そんな事が出来た時代もあった。 

 そうだ、このショーには前後逆に着たシンカ獣も登場してた。 後向きで登場して、かかれ~!でいきなり宙返りして立ち回りは後姿。 背中向けて戦っているもんだから見てた人はビックリして笑ってたみたい。 あと、これは楽日だからとかではなくて普通に「一休さん」もショーに出演してオープニングで舞台のお掃除してたこともあった。

残念ながらある時、はめをはずし過ぎた人がいて、それからはみんなで自粛するようになったけど、 まぁ普通になってよかったという声も、無きにしも非ずなようだった。

 

 このダイナマンショー夏のシリーズには自分にとって大変な出来事もあった。


 この続きはまた次回。

         




 



 






 







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