咆哮にも似たリフレインから転じて、憐れみと愛おしさだけを残して鐘楼みすずさんの『レットイットビー』が終わった。
静寂が続いていることに気付いた後藤君が慌てて手を叩くと、一気に拍手が沸き立った。わずか1曲、3分余りの歌だったのに、会場は感動が充満していた。拍手は長く、長く続いた。
美すずさんの細めた目の先で、元夫は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を両手で覆って嗚咽していた。隣の老女がやさしくその背中をさすっている。
「……す、スターリング、鐘楼美すず!」
拍手が長すぎると見回したシュウジが窮してぎこちなく叫んだ。ツッタカは魂を失ったように突っ立っているし、ナカジもやり切った顔で立ち尽くしている。
いつもの笑顔に戻った美すずさんが応えるように客席に向かってにこやかに手を振ると、拍手はもう一度高まってからようやく止んだ。
室内は感動でざわついて、入居者は一様に高揚して目を輝かせ、中には涙で滲んだ目頭を抑える人もいた。
「ちょっとやばくない? 夜中、興奮しそうじゃない……」
介護士たちは会場中に目を走らせ、聞こえない声でささやきあっている。
ライブは終わりなのだが、苑長は戻って来ないし、MCのツッタカもさっきから廊下の向こうを気にして黙ったまま動かない。客席のざわつきも大きくなってきた。
美すずさんはツッタカを尊重してチラチラ見ながらあいさつを待っていて、見かねた後藤君が躊躇しながらも腰を浮かせようとした。
「どうした、ツッタカ、締めろよ」
シュウジが殺した声で怒鳴ったので後藤君は座り直したが、ツッタカはまだ何かためらっているようだった。
「おい!」
ナカジも強く促した。
「あ、ああ」
ツッタカの声がマイクに入ったので、会場は再び静かになった。
「…………」
ツッタカは黙したままスタンドのマイクを握り、俯いてすぅと息を吸った。
♪また 逢う日まで……
いきなりアカペラで歌いだした。尾崎紀世彦の『また逢う日まで』だ。今まで雑談の中でさえ出なかった突然の展開に、ナカジもシュウジも美すずさんも、不意を突かれてツッタカを見た。
♪別れの その訳は……
美すずさんはすぐに、笑顔で観客に向き直り、体でリズムを取りながら頭の上で大きく手を叩いて、表情ゆたかに皆に手拍子を誘い求めた。客席の人々は促されるまま手拍子を打ち始め、ツッタカの歌を受け入れた。
ナカジとシュウジもつられるように弱々しく手を叩き始めた。2人とも即興で伴奏をつけられるような腕はない。
♪なぜかさみしいだけ なぜかむなしいだけ……
みんな知っている懐かしい曲だ。美すずさんはシュウジの足元からタンバリンを拾い上げて楽しそうに皆と一緒に叩く。
1番を歌いきり、拍手とともに美すずさんがシャラシャラ鳴らすジングルが小さくなっても、ツッタカはマイクを離さず、すべてが止むと続けて歌い始めた。誰にも視線を合わせず、両手でマイクを握ったまま吐き出すように歌っている。
♪また 逢う日まで……
それを見た美すずさんは、笑顔のまま、再び客席に向かって大きな動作でタンバリンを叩き始めた。同時に、声を出さずに大きく口を動かして観客に一緒に歌うようアピールする。
昭和の流行歌だ。年配の職員が率先して歌いだすと、美すずさんも誘うように声を出して一緒に歌い、すぐに入居者にも広がって会場中の声が揃った。元夫もわずかだが口を動かし、車イスの老女も活き活きと歌っている。
自然と1番を繰り返す形となり、美すずさんのリードで最後のリフレインに入ると、皆が声を張り上げる大合唱になった。
♪ふたりで ドアを閉めて
ふたりで 名前消して
そのとき 心は何かを 話すだろう
歌い終わると、会場は満足の笑顔と盛大な拍手に沸いた。
「センキュ―!!」
遠くに向かってひときわ大きくツッタカが叫ぶと、さらに拍手と歓声が高まった。
「今日の夜勤、絶対ヤバいね」
介護士たちはまだ来ていない、何も知らない夜勤者を憐れんだ。