第4回十字軍 | 過去世からのメッセージ

過去世からのメッセージ

前世療法で見た過去世の話しを中心に綴っていきます

image

ニコラさんの人生と大きな関係のある第4回十字軍についてウィキ

で調べてみました。その内容を簡単に書きます。

 

1198年、主要な国王が参加しながらあまり成果のなかった第3回

十字軍から10年たち、ローマ教皇インノケンティウス3世は新たな

る十字軍を呼び掛けた。各国王はこれに参加しなかったが、シャン

パーニュ伯ティボー3世を中心とした有力なフランス貴族が参加を

決め、その後、フランドル伯ボードゥアン9世等が加わり、70人以上

の諸侯、騎士の参加を得た。最初はエジプトのカイロを海路から

攻撃するという方針でその輸送をジェノバやピサにも呼び掛けたが

結局ヴェネツィアに依頼することに決まった。ヴェネツィアは単に

輸送を担当するだけでなく、元首エンリコ・ダンドロ自ら参加する

ことになった。1200年にティボーが病死したため、新たにモンフェ

ラート侯ボニファーチョ1世を指導者に選出した。

 

 長いので途中省略

 

1201年に十字軍参加者はヴェネツィアに集結し始めたが、予定し

た3万人の1/3しか集まらず、ヴェネツィアに支払う船賃が大幅に

不足し、出航できなかった。そこでヴェネツィア側との協議の結果

かつてのヴェネツィア領で当時はハンガリー王保護下にあった

ザラ市を攻略することで船賃を補填とすることにした。カトリックで

あるザラの攻略には十字軍内にも大きな抵抗があったが、結局

ザラを攻撃し、数日でこれを降伏させた。知らせを聞いたインノケ

ンティウス3世は激怒し、十字軍を破門にしたが、弁明を受けて

破門を解いた。

 

ところが、ここに東ローマ帝国の亡命皇子アレクシオスが訪ねて

きて、帝位獲得の助力を願い出た。アレクシオスの父は皇帝イサ

キオス2世であったが、弟(アレクシオス3世)により簒奪されており

正当な帝位を回復したいとのことで、見返りとして、20万マルクの

支払い、東ローマ帝国の十字軍への参加、東西教会の統合を

提示した。モンフェラート侯とヴェネツィアはこれに賛成した。他の

十字軍士は躊躇し、一部の者は別行動をとったが、結局大部分

の者はこれに同意した。

 

1203年6月にコンスタンティノープルに到着し、アレクシオスを

帝位に就けるよう要求したが拒絶され、7月に攻撃を開始した。

コンスタンティノープルはそれまで数々の攻撃を防いできた

難攻不落の城塞都市であったが、十字軍はヴェネツィアの

優勢な海軍力を生かして海側から攻撃を仕掛けると同時に、

陸上からフランス騎士隊が攻撃をかけた。攻防の途中でアレ

クシオス3世は逃亡し、残された者はイサキオス2世を復位

させて城門を開いた。

 

しかし、父イサキオス2世とともに共同皇帝として即位した

アレクシオス4世は十字軍との約束を果たせなかった。東

ローマ帝国の国庫にはそれだけの金がなく、東西教会の

合同にも正教会側の激しい抵抗があり、即位したばかりの

アレクシオスには、新税を課したり、強制したりする力がな

かった。十字軍は約束を果たすように要求し、また東ローマ

軍や市民との間にいざこざが起こり、次第に両者の仲は

険悪になっていった。1204年2月に先帝アレクシオス3世の

婿であるムルヅフォロスがイサキオス2世とアレクシオス

4世を共に殺してアレクシオス5世を称したことにより、両者

は決裂し、十字軍は再びコンスタンティノープルを攻撃する

ことになった。

 

1204年4月に攻撃を開始したが、今度は東ローマ側も慣れ

てきており、十字軍側の苦戦が続いた。しかしコンスタン

ティノープル城内にはヴェネツィアの居留民が大勢住んで

おり、彼らが東ローマへの抵抗に回ったため、東ローマ側

も防衛は苦しいものだった。12日になり十字軍側が城壁へ

の侵入に成功し、これを見たアレクシオス5世は夜更けに

逃亡し、代わって皇帝となったラスカリスも抵抗を断念し

逃亡した。

 

東ローマ側は抵抗をやめたが、都市に侵入した十字軍は

コンスタンティノープルで破壊と暴行の限りを尽くした。

 

あまりにも酷いのでここには書かないでおきます。

 

新たにラテン帝国が作られ、皇帝にはフランドル伯ボー

ドゥアン9世が選ばれた。領土はヴェネツィアやモンフェ

ラート侯等の主要参加諸侯で分割された。教皇は、コン

スタンティノープル攻撃に怒ったが、攻略成功後は東西

教会の統合を祝福した。その後、十字軍にエジプトへの

出立を促したが、彼らは獲得した領土に居座って、再び

出立することはなかった。彼らの多くは、シリアやパレス

チナより国土が豊かな東ローマの征服に満足していたし

それ以上に現地の反乱やニカイア帝国、ブルガリア帝国

の侵攻への対処に忙しく、外征どころではなかった。

 

image

 

第4回十字軍、ただ欲望から目的地を変えて破壊と略奪の限り

を尽くしたのではなく、資金の問題や東ローマ帝国側の王位簒奪

などが絡んで、最初は正当な者に王位を戻すという正義の味方

気分でコンスタンティノープルを攻撃したということがわかりました。

最初から欲にまみれていたのではなかったと。ただ城壁内に入って

しまうともはや信仰心などでは暴走を止められない、徹底的に破壊

して市民を暴行、虐殺していますけど。そして教皇も同じキリスト

教徒の国を攻撃することに最初は怒っても、結果東西分裂していた

のが統合されてよかったと祝福する、問題はそこじゃないのに何か

おかしいなと思いました。結局正当な者に帝位を戻すという理由が

あれば攻撃も許すし、たくさんの死者が出ても分裂していた問題が

解決できればそれでいい、宗教のこうした態度が後の時代にも虐殺

を許しているように思いました。