パタプティアン教授はアルメニア人の子孫で、数十万人の死傷者を出し、15年ほど続いたレバノン内戦を経験した。
教授は1986年、18歳の時に兄弟と共に米国に向かった。
パタプティアン教授は、大学進学前に1年間ピザを配達したり、アルメニアの新聞に占星術の記事を寄稿するなど、様々な仕事をした。

パタプティアン教授は、ロサンゼルス・カリフォルニア大学(UCLA)で医学大学院進学を準備し、研究所に入った。
教授は「基礎研究と恋に落ちた」とし「それは私の進路の航路を変えた」と述べた。
レバノンにいた当時は「科学者」という職業も知らなかったという。

パタプティアン教授は触覚と痛覚の研究に興味を感じたとし、「よく理解されていない分野を見つけたら、掘り下げるのに非常に良い機会」と述べた。

その分子レベルで触覚・痛覚の原理を究明した功労が認められ、今年ノーベル生理学・医学賞に輝いた。