ウォルト・ディズニー・カンパニー会長・前CEOのロバート・アイガーは、「私が作ってきたものの中で最も誇らしく思える作品」として『ブラックパンサー』の名前を挙げる。
なぜなら、「黒人俳優が主演の映画はお金にならない」というハリウッドの「常識」を打ち破り、興行的にも大成功を収めたからだ。
『ディズニーCEOが実践する10の原則』を著したアイガーが、マーベル買収の「キューピッド」であるスティーブ・ジョブズへの追憶とともに、当時を語る。
《東洋経済オンライン》4月4日
私が作ってきたものの中で、『ブラックパンサー』ほど誇らしく思える作品はない。
プレミアのあと、私がこれまで関わってきたどの仕事よりも多くの電話や手紙を受け取った。
スパイク・リー、デンゼル・ワシントン、そしてゲイル・キングも連絡をくれた。
オバマ前大統領にも映画を送っていたが、その後、前大統領本人からこの映画がどれほど重要だと信じているかを聞かされた。
オプラ・ウィンフリーも手紙をくれて、この映画は「あらゆる意味で社会現象」であり、「小さな黒人の子供がこの映画を見て育つと思うと涙が出てくる」と言ってくれた。
公開初週のあとで、この映画への誇りをみんなと分かち合いたいと思い、全社員に向けて次のようなレターを送った。
■ディズニー社員に送った手紙
親愛なる社員のみなさん
『ブラックパンサー』についての素晴らしいニュースをみなさんと分かち合うにあたって、「ワカンダよ、永遠に!」とつい口にしたくなってしまいます。
マーベルの『ブラックパンサー』は、究極の傑作映画です。
映画制作のさまざまな側面で成功を収め、観客の琴線に触れ、心を開き、同時に数百万の人々を楽しませ、最も楽観的な予測さえはるかに上回る興行成績をあげています。
世間の常識を覆したこの映画は、公開初週で国内2億4200万ドル、公開4日で見ると映画史上2番目に高い興行収入を記録しています。
現時点での世界での興行収入は4億2600万ドルを超えましたが、まだ多くの主要市場でこれから公開が予定されています。
また、『ブラックパンサー』はまたたく間に社会現象になり、議論を巻き起こし、内省を生み出し、老若男女に勇気を与え、古臭い業界の常識を打ち破りました。
この偉大な会社のCEOとして、私はディズニーの創作物への意見をこれまでも多く聞いてきました。
ですが、この仕事に就いてからの12年間で、『ブラックパンサー』に寄せられたほど圧倒的な興奮、賞賛、尊敬、感謝を受け取ったことはありません。
多様な声と考え方を世の中に広めることがどれほど重要か、そして芸術とエンターテイメントの世界で多様性が表現され、鑑賞されることがどれほど社会に対して大きな力を持つかを、このことは教えてくれています。
この映画の成功は、ディズニーという企業が大胆で独創的なプロジェクトを進めることに誰よりも前向きで、斬新なビジョンを完璧に実現する力があり、ヒーローやロールモデルや偉大な物語を必要としている世界に非凡な娯楽作品を提供することに全力を注いでいるという証でもあるのです。
■「スティーブにここにいてほしかった」
マーベルへの投資がどれほどの成果をもたらしたかを、スティーブ〔・ジョブズ〕に見てほしかったと心から思う。
おそらくスーパーヒーロー映画なんて彼にとってはどうでもよかったかもしれないが(それでも、『ブラックパンサー』と『キャプテン・マーベル』が業界の思い込みを覆したことを、喜んでくれたはずだ)、彼のおかげでアイクを説得でき、マーベルがディズニーのもとで大輪の花を咲かせたことを誇りに思ってくれただろう。
スティーブが亡くなって以来、何かに成功するたび、興奮の最中に「スティーブにここにいてほしかった」という想いがかならず心をよぎった。
もし彼が生きていたら交わしたはずの会話を、頭の中で交わさずにはいられなかった。
2011年の夏、スティーブと彼の妻のローレンがロスの私たちの自宅に来てくれて、私たち夫婦と夕食を共にしてくれた。
その頃にはスティーブはガンの末期で、ガリガリに痩せ、見るからに痛々しかった。
元気はなく、しゃがれ声を絞り出して話していた。
それでも、私たちと共に夕べを過ごしたいと言ってくれた。
ひとつには、私たちが何年も前に成し遂げたこと(ディズニー革命→ピクサーとディズニーの対等合併)を祝うのが目的だった。
私たちは4人で食卓を囲み、夕食前にワインを掲げた。
「偉業を成し遂げたな。2つの会社を僕らが救ったんだ」
4人とも、泣きそうになった。
スティーブの誰よりも温かく優しい面が現れた瞬間だった。
ピクサーはディズニーの一部にならなければ今のような形の成功はなかったし、ディズニーはピクサーを取り込んだことでふたたび活力を取り戻せた。
私は知り合ってまもない頃のスティーブとの会話を思い出し、彼に電話をかけた時どれほど自分が緊張していたかを考えずにはいられなかった。
たった6年前のことなのに、前世の出来事のように感じられた。
スティーブは私にとって仕事でも私生活でも大切な存在になっていた。
グラスを掲げながら、私は妻のウィローを見ることができなかった。
ウィローは私よりもずっと前からスティーブを知っていた。
知り合ったのは1982年で、スティーブはアップル創業者としてまだ若く生意気でキラキラと輝いていた。
今目の前にいるスティーブは、痩せ細って弱々しく、あと数カ月の命だと見てとれた。
そんなスティーブを目にするのが妻にとってどれほど辛いことかはよくわかった。
■「遺言」を胸に
スティーブは2011年10月5日に亡くなった。
パロアルトでの埋葬に呼ばれたのは25人ほどだった。
スティーブの棺を囲んだ私たちに、ローレンが何か言葉をかけたい人はいるかと聞いた。
私は何も準備していなかったが、ピクサー買収の発表直前にスティーブとキャンパスを歩いた時のことが頭に浮かんだ。
あの時の会話を打ち明けたのは、法律顧問のアラン・ブレイバーマンと妻のウィローだけだった。
妻にはあの日の感情の高ぶりを話さずにはいられなかったのだ。
スティーブの人となりが現れたあの瞬間を思い出し、棺の前で話をした。
スティーブが私を脇に寄せたこと。
ピクサーの中庭を歩いたこと。
私の背中に手を回し、ガンが再発したと教えてくれたこと。
スティーブが誠実に、私とディズニーにこの秘密をきちんと伝えるべきだと思ってくれたこと。
息子が高校を卒業して大人の入り口に立つまで生きていたいと語ったこと。
葬儀のあと、ローレンが近寄ってきて、こう言った。
「あの話は私も聞いていたわ。でも、まだ話してないことがあるの」。
あの晩スティーブが帰宅したあとの出来事を、ローレンは教えてくれた。
「夕食のあとで子供たちがいなくなったあと、スティーブに『話した?』って聞いたの。そしたら、『話した』って。私は『信頼できる人?』って聞いてみた」。
私たちはスティーブの墓を背にして立っていた。
夫を埋葬したばかりのローレンは、私に大切な贈り物をくれた。
あの日から毎日のように、私はその贈り物を頭に思い浮かべている。
もちろん、スティーブのことも毎日思い出す。
「あなたを信頼できるかって聞いたの。そしたら、スティーブはこう言ったわ。
『ああ、すごくいい奴だ』って」
私も同じ気持ちだった。




