遅すぎる謹賀新年今年は何年振りかに本格的な寒さですなぁ~

コロナのせいで初詣も元旦の朝4時でこの有様・・・!

 

清荒神清澄寺

 

中山寺、初日の出も余裕で拝める、しかし屋台なし!

やっぱりお参りの後の屋台はご褒美ですからないとつらいですなぁ、

 

そして今年は久しぶりに何度も金魚の水槽が屋内外問わず凍ります、

この波板ひとつでもかなり凍害が緩和できますしかし

隠し場所のコンクリ池バッチリ凍ってます、しかし意外と魚は元気で転覆している魚は

いません、

この池はハネでちょっと惜しいかなと思う魚や親魚の一部を放してあります

頂天眼、寿恵廣錦、交配家庭の魚になんきんのハネ、色々入っています、

なんきんは飼育難易度が高いですがしっかり病気予防しつつ自家産だと

それなりに根性見せますね、ええ。

 

屋内でもこの有様、

 

残念な事ですが体質の弱い魚の転覆と前々から弱っていたなんきんの種親が1尾

来年の計画のために購入した魚の中から4尾が寒さに負けて死んでしまいました

しかしこのくらいでなんとか被害は抑えられそうです、

以外に転覆や凍害しそうな外の方が被害が少ないとはこれ如何に?

 

今は事情があって遠出した合間に帰って来て書くこのブログ、さて帰ってくるまで

お利口にお留守番しといてくれよ頼むから。

 

 

 

さて・今年も終わりですね、今年一年お世話になりました、

皆様は今年はどうでしたか?大半の方はコロナでえらい目に遭ったと思います、

当然老人もです、

 

アメリカがよく目立つ世界の激しい流動も然りです、トランプが勝たなければ

世界は共産主義に支配され永遠に自由は奪われるでしょう

今こそ皆様眼を覚ますべきです、

 

昔の生活や今までの生活に戻りたい・・・と思う方もいると思いますが

本当に生きるために無理して体と心を壊してまで無理に働いて

生きる希望もなく将来の不安に怯えて生きたいですか?

いい加減目を覚ますのぜ、

 

いまだにマスコミやうそつきの言葉に騙されてウイルスがスカスカ余裕で通過する

マスクを付けて安心だと言ってるおバカさんたち自分らが家畜奴隷だと

自覚しないとこれからの時代生きていけませんよ?

 

さて今年は金魚の記事は差し控えていましたがちゃんと動いてはいましたよ

いつものように組み合合わせて

いつもの小さいころは墨が出て・・・

 

こうして墨が抜けていく・・・!

 

らちが明かないんで今年は最初からかけなおしを始めました

この写真の眼が出ていない中心部の黒の濃いのが新しくかけなおしをした魚で

青らんちゅぅの♂と桜頂天眼をかけ合わせた物で産卵可能になれば

普通鱗の頂天眼との掛け合わせをして黒の定着を狙っていきます、

それ以外にはこの青らんちゅうを使用したパターンの応用で

黒らんちゅうと頂天眼の掛け合わせのパターンを用意するために

黒らんちゅうも3尾迎えました、

 

色々とアドバイスをもらいうまく行かなかった原因として考えられるのは

黒の因子が薄すぎたのが原因の可能性を指摘されました、

より原初に近い黒、黒出目金により近いその因子を強く受け継いだ

魚を使う事・・・黒らんちゅうも黒出目金の原初の黒を受け継いでいるので

使う事にしてみました、

そういう血統のパターンをいくつも作ってクロスさせることで血の濃さを薄める事も

目的に、

 

そしてもう一つのアドバイスは背びれが残るのを恐れすぎだとも指摘されました

背びれなしも掛け合わせていけば何年かかかるが確実につぶせるとの事

これも来年から実践して行こうと思います、

 

実は三卯養魚場さんが近日中国から一から作られたキャリコ頂天眼を入荷されたようです

作り方のレシピは伺いましたが許可が下りてないので公表しません、

 

三卯養魚場.さんのFacebook参照

 

弥富でも丸手の桜頂天眼がデビューしたようなので

頂天眼の時代が来るかもしれません、

 

ここからはいつもの老人の暴言ですが

某金魚店で話をした愛好家から伺いましたところ

垣屋は弥富の桜頂天眼を手に入れてそれを自分が作ったと言っている

などというたわけた事を言う輩がいるようですが

 

このブログを見て頂けたら分かりますように桜頂天眼を作り出して形にしたのは

こちらの方が先です、

キャリコ頂天眼の作る過程で出てきますから戦後から60年代にかけてそれを作った

中国の誰かであったり名も知らぬ誰かがもっと先駆で作っていたでしょう、

ただし桜やシルクは昔は評価が低かったので知らずに選別で捨てられて

いた筈です、

 

後は弥富産のとは違い老人の桜頂天眼は長手でひれの長さは短、中、長の

いずれも出るように目指しています、

これはろくに調べもせず知りもしないくせに短尾が人気といい加減な事を言い

それをなあなあで平気に記事にするうそつき共への反対表明です

老人はね頂天眼はいまだに水底でじっとしていて・・・なんて調べもせず

飼いもしないくせにウソ並べるヤツが大嫌いなんですよ

じっとしていて動かないのは冬眠か夜になって寝ているかそうでなければ

調子が悪いかのどれかでしてね、目が良くないくせにあちこち時として

ぶつかりながらよく泳ぐのが頂天眼です、

だから敢てそれは違うと言い切ってやりますよ、

 

丸手の短尾の弥富産の個体とは真逆のコンセプトです、

体型は昔ながらに色だけは違うと言う事です、

トラディショナルスタイルニューカラーです、

 

これでいいんですよ買う方にどちらが好きかどちらを迎えたいかという

「選択」こそ必要なんです

これに関しては選ぶのは苦痛ではなくこれも大切な楽しみなんですね

型にはめて選択の余地を奪うのは考える喜びを放棄させ一種の洗脳化に

加担する事になりますからね

 

弥富さんは売れないと困るでしょうが老人は趣味、金は二の次三の次なんで

選ばれなくてもいいんです、

必要されれるか老人が生きてる限り残りはするでしょう、

例え絶えて後に続きたい作りたい人が出てきた時に困らないようにレシピは

残していきます、

(偉そうに言ってますが桜頂天眼なら作るのは楽、練習にピッタリですね)

 

金魚の記事は書くか悩んだのですがリスク分散で3か所に飼育場を分けて

それぞれにセコムや防犯カメラかます事にしました、

犯人の特定と協力店舗への調査は水面下で進めており特定までもう少し

何年経とうが関係ない徹底的に叩き潰すから覚悟しとけよとだけ言っときます、

 

今後は少しづつ場所の特定のされないように工夫をしながら公開して

行こうと思います

コロナや世情に振り回されず自分軸でなんでもいいからポジティブで

楽しい事を追い求めて、必ず最後は光と正義が勝つんです、

そいでは良いお年を~。

 

 

 

 

 

随分とブログを放置しましたが老人かろうじて生きています、

時代祭りがらみの犯罪者どもに関しては奥の院から

「垣屋お前しゃべりすぎ」とお叱りを受けたのでしばし記事にしていませんでしたが

奴らの不正いや犯罪行為に関しては調査は続いておりまだ続々と新資料が

出て来ていますよ~

 

今時代祭りで好き勝手やってる連中には確実に自分のやらかした事の

罪は償わせますからねせいぜい今のうちにやりたい放題やればいいさ

というかコロナ過でそうもいかんかね、

 

 

 

後は金魚の方は去年は無理でしたが今年は残った魚が頑張ってくれたので

何とか復帰できました、しかし盗んだやつ転売しようとした先はもう調査済みで

転売しようとした店にもそいつの情報出すように要請済み

聞かないならその店にも相応の制裁をするのでお楽しみに、

 

金魚の記事なのですが再び書くかどうかは検討中です、盗難の問題が解決していないんで

盗むタイミングを知らせる事にならないかその懸念のためあぐねています、

 

ご心配下さりメールなどご連絡頂きました皆様誠にありがとうございます

世の中案外捨てた物でもないですね。 感謝

それでは残りを行ってみましょう、脛当てはとかく解説が必要な箇所はないので

省きます、

 

次は皆様お待ちかね兜に目を向けてみましょう

鉄の一枚板から打ち延ばして作られた兎形兜で正面のしのぎ、耳元の毛穴

見上げしわ、まじさし、周囲の梅花の鋲飾り全てが打ち出しで非常に高度な

技術が惜しみなく注ぎ込まれています、耳は金属製で取り外し式ではなく

固定式です、真正面の立物は繰半月といいまして江戸期に水戸徳川家が

家中の識別のために家臣の前立てをこれで統一していました、

他にも実戦期は個人的に使用している武士も多くいたようです

月はどのような形であれ不死や月光菩薩信仰などの意味合いがあります、

現代人の皆様なら月と言えばお月見だったりかぐや姫だったり月の模様がウサギが

餅つきをしているように見えるとか、どっかのセーラー服美少女戦士を

思い浮かべるのかもしれませんが昔は信仰や伝説に基づいた感じ方を

されていたのですね

↑日本人がイメージする代表的な月のイメージ国民の堕落が如実に表れている

 

またウサギは昔から月に住んでいると言われており

ウサギ=月を表す、あるいは早く駆けて手柄をあげるなどの意味合いも

あります、現状の仕様で言えば注文主の月に対する並々ならぬ意識が

感じられます信仰に根差したものでしょう。

 

この繰半月の前立てはオリヂナルの物「ならば」具足が相当な高級品ですから

小大名クラスではそうそう新調できるレベルの物ではありません

(前立ては最も紛失例の高い部品の一つで脛当て、籠手と

紛失3兄弟と言いたくなる程無くされやすい部品です)

水戸徳川の家中や由縁のある品物の可能性とかも想像してしまいますが

実際の所はまだまだ調査の余地があります。

 

しころは板物の6段と言う珍しい段数です、3~5段が多く見受けられます

これは動きやすさ、軽さ、防御、これらを注文主の考え抜いた結果なのです、

 

一番最下段に阿吽の龍が蒔絵で描かれています、あ・うんの呼吸とよく言われます

これは最初から最後までという意味合いもあり最初から最後まで生き残る

いい思いができますようにという実利を願う気持ちも込められています、

ただこのような蒔絵の装飾は基本江戸期です実戦期ではあまり見受けられません

脇坂泰治の布袋胴や数点くらいでしょうか

ただこれもあまりにも程度が良すぎ実戦傷も見受けられないので

実戦に使われていたかは疑わしい部分もあります、

スペアとか後にリメイクとかも含めて、

使われていたとしても文禄慶長から下る可能性はあります、

仏胴はその当時としては最新鋭でありいくつかの文献にも珍しい名物具足

として名は残っているようで加藤嘉明の雲に乗る天人を描いた具足とともに

紹介されてもいます、

 

実戦期には蒔絵や金銀箔などの装飾はないではありませんが籠手の手の甲や

兜のしころの吹き返し、胸板などに小さく付けるのがおしゃれとされていたようで

大々的に紋をのせるのは雑兵や具足を主君から借りる身分の者が多くなります、

 

話を件の兜に戻しますが厚地の鉄板を使っているため重量は普通の兜よりは

あると思われますが打ち下ろされた攻撃や側面の攻撃をよく滑らせ反らす

事ができたでしょう、この耳さえなければ頭上に打ち下ろされた攻撃は

おおむね滑って外側に反れて行ったはずです、もっとも実戦傷一つない

平和な時代の産物ですから実際に試された事はないでしょう、

兜と言うのは鎧もですが装甲の厚さではなくできるだけ上部をとがらせ

あるいは丸くカーブを付けて攻撃を滑らせそらす事が肝要です

なぜなら現実ではゲームなどと違い人には体力と言うものがありますから

具足を付けているだけで徐々に疲労がたまっていくものなのです

(意外と歴史好きだの祭りにたかりにきてるアホうな甲冑隊とかでも

この辺が分かってないのが多い、だからてめえらに説得力がないんだよ分かったか)

そしてどれほど強いと言おうが筋力や持久力など動物に比べたら

勝負にならないほど劣っているのです、だから人間は知恵とテクノロジーで

カバーし当時筋力を要する移動や運搬は自分たちより体力に優れた馬などを

使役したわけなのです、

人間に装備できる重量には限りがありますから薄い板金をカーブやしのぎを付けて

強度と軽量化を実現したり工夫をしないと人が着て戦ってられないんです

(そんなの関係ないし歴史をどうでもいいと思ってる皆さんもいるでしょうが

皆さんが日常的に乗ってる車や船舶に溝やカーブをつけて軽量化と強度出した技術も

元々は甲冑の板金技術から来ているんですね)

 

いい例が古代ギリシャがまだ未成熟な時期の鎧なんかが分かりやすいです、

分厚い青銅板製でまるで学芸会で作られた段ボールのロボットのような

みじめな佇まいですが着用者の事を考えず装甲を厚くしすぎた結果で

当然進化が促されました、西洋などでも兵器のテクノロジーが進むたびに

国や文化を問わず鎧の重量化でそれに対抗しようという動きが出てくるのですが

これが成功した例がないのですがそれこそ人間の体力という足かせの

解決が出来なかった証左です、

 

この具足が東京国立博物館に所蔵されておおよそ100年以上は経過しています

下記の写真は甲冑解説の重要参考書籍である日本甲冑の新研究

昭和3年初版発行でも紹介されています、

その当時から明智光春(秀満)所用と伝わっている事が分かります

ただ昔の現存する資料にそのような具足の記述がないのでどこかの家に

隠れる形で所蔵され明治や大正期に売り立てに出されるか博物館が

何処からか買い取ったか寄贈されたかのどれかでしょう

意外と管理が大変などの理由で寄贈される例も多いのです、

同博物館所蔵の伝榊原康政所用南蛮胴具足(通称、漢南甲冑)等が好例です、

 

これは老人の推測ですが所蔵かあるいは売り立て等に辺り

その具足煮付加価値を付けるために勝手に明智秀光所用と言うウソを

付け加えた可能性も十分あります、

 

と言うのも同博物館に所蔵している伝 加藤清正所用の方肌脱ぎ仁王胴具足

これなどが付加価値を付けるため加藤清正所用と言うウソが付け加えられています

そう言うのはこれは元々戸田旧松本藩主家が大正時代に売り立てた

物を買い取った物です明らかに清正の時代の様式ではなく

記憶が確かなら売り立て当時に清正所用とはなっていなかったはずです

実戦傷も付いてませんし戦での傷や痛み汚れを

考えず装飾に走りすぎているのでこれも飾り鎧に分類されるものです、

安物のテキストのコピーのまたコピーと伝言ゲームみたいに繰り返した

いい加減な日銭欲しさ安っぽい書籍ではこんなものでも実戦期の具足などと

書いてる物がありますから要注意です、

美麗さと豪胆さを併せ持った名品ではありますが実戦ではすぐに縅毛が汚れ

湿る事で重量が増し、雨などで濡れると乾くのが遅く蟲や雑菌が沸きやすくて

とても着続けるのは困難だった事が推察されます、

東京国立博物館と言えば日本でも権威がある博物館ですがだからと言って

言う事全てが正しいとは限らないので自分の目を持つ努力をしないと

図らずとも騙しや詐欺の片棒を担がされるので具足の事でなくても注意が必要です、

 

話は戻してこの和製南蛮胴具足もこれからも明智光春の具足として

ウソの修正が怖くて伝え続けるのでしょうがもう責任者や当事者がいないわけですから

正確な研究判断で後の世に混乱と鼻で笑われるのを避けるために

軌道修正が必要なのではないでしょうか?

来年の大河でもこの具足のレプリカが史実で明智光春や光秀が使っただのと

小和田あたりの権威付けで史実のように語られて出てきたり

九州の業者がすでにこれに乗っかりあちこちでセールスを始めているようです、

以前から亀岡で阪神タイガースのエムブレムやマスコットキャラを前立てにしたり

ガンダムのジオンのマークを入れたり様々なふざけた振舞をしている地元甲冑隊が

こういうウソに騙されてそれに似せた具足を工作で作り光春が着ていた具足はこれだと

何度も喧伝しているわけですからどれだけのよく知らない人が騙されるのか

考えると頭の痛い事です、

 

この団体も色々と問題を起こしているので協力団体との兼ね合いで開示の許可が

でれば容赦なく追及していきます、

今まで好き放題やらかしたんでもう満足でしょうツケは必ず払わされるものです、

 

具足の真実を伝えるのは単に史学や美術の問題だけでなくそれらを作るに辺り

注文者、職人、今日まで伝え守り切った人々への冒涜でもありますから

本来あってはならない事です、

この具足はそんなつまらないウソをつかなくても名品である事は変わりませんし

貴重な日本の宝である事から貶められることはありません、

 

意外に思われるかもしれませんが戦国時代の大名や武将が着用したという

伝のある具足のまず9割方が違うもので嘘をついているか先祖をしのぶために

作られたイメージ甲冑がそのまま実際に使われたと取り違われて伝わった事が多く

いい加減な役人や自称専門家が気楽に文化財に指定するという

認識の甘さやそれを許す社会にも問題がある訳です、

 

そして常識で考えれば敗戦すれば皆殺しなどはめったになかったのですが

家財その他は収奪に任せられるのが常識な時代で明智は徹底的に

世から駆除されているのですがこの具足だけ正確に言えばその時代にない

具足が一領だけ現存しているのをおかしいと考えるのは難しくないはずなんです

これは先に前から言われているから偉い先生や権威が言っているから

書籍に書いているからと自分で考える事を放棄している証拠で

これを家畜的発想とか奴隷根性と言うんですよ、

皆さんも私も誰の所有物でもありませんし自由にものを考えられる時代に

生まれたので何度も転んで失敗もしながら自分で考えてみましょう、

 

現に日本の歴史認識の甘さや政治家役人の甘さ、国民の自分の財布だけ

よければいいといういい加減な考えが中国や朝鮮を増長させて

今どうなってるか、関係がなさそうに見えてこれは私たち日本人の問題です

歴史に関して無関心でいてはいけないですしそれを自分の利益のために

捻じ曲げようとする人間は徹底的に駆除しなければならないのです

歴史への無関心は確実に自分らを滅ぼします。

 

では今回から画像を交えて解説を進めていきます、この具足は先に申しました通り

古くても江戸中期の後半くらいから時代が上がる(上がるが古くて下がるが新しい)

事はありません、見た所目立ってレストアや改修の後もありませんし

何より引っかかるのが実戦傷(鑓刀の傷だけでなく草木や馬具等に当たる事による

微細な傷も見受けられないのでまず作りと言い実戦使用はなかったはずです)

がない事です、家柄を誇るために先人をしのんだ実戦に使われた風に見せたい

鎧鍛冶は自身の技能の売り込みを目的とした板金の打ち出し技術の誇示など

色々な思惑が1つの具足になった物です、

 

籠手ですがここからも実戦期のそれと違う部分が見受けられます

俗にいう篠籠手と呼ばれるものですが腕の部分に写真ではわかりづらいのですが

5~7本くらいまでか?の篠で肘までを守り上腕部は鎖と鉄板を筋状に打ち出した

筏金(いかだがね)と円形の鉄板を打ち出しあるいは刻み込みをした座板を

鎖でつないだ形式となります、

この筏金も座板もこのような装飾的な加工は実戦期には見られない物です

そして表面を薄く錆を浮かせて渋い色合いを演出する錆地と言うのですが

これも実戦期には見られません、

単純な話自分の命を守るものを錆が進む事を想定しているのと鉄の加工技術を

誇るために厚めに作っているとは言え表面劣化をさせるというのは

実戦期の武士だと心得の悪い事となるためです、

その当時も渋いさび色は好まれていたのですが赤系の砥の粉に透き漆

(うるしを採取して加工しないそのままの色)を混ぜて「錆漆」にして塗る事で

防錆とさび色の表現をしていました、ここも時代を見分けるポイントです、

 

胴に視点を移してみましょう、厚めの鉄板1枚板を打ち延ばして作られた

板金技術の優れた胴です、着用した時に安心感を感じられた事でしょう

特徴的なのは前面に打ち出された「天」の字と采配付けの環を

目の部分に金属の輪を通して付ける仕様のドクロ、そして背面の

山頂部を銀で象嵌した富士山ですね、打ち出しの表面の乱れもなく

高さも均一に打ち出されていてこれを打ち出した職人の腕の高さがうかがえます

さぞかし注文主も職人も満足と自慢の一品だったでしょう、

これを模したレプリカが九州の丸武産業から販売されていますが

この打ち出しをよぅやらんかったらしく打ち出しなしのつるつる状態で完全レプリカと

豪語しています、この具足の大きなセールスポイントなのでそれ欠いちゃダメでしょうよ、

 

ただこのような鉄板の打ち出し技術で装飾する手法は江戸中期辺りからです

実戦期には見られません、

と言いますのは実戦期は具足を以下に軽くするかに心を砕いていた時代です

早掛けで功名を狙い負ければ走って逃げられるよう、いつ終わる保証もない

戦場で何日も着ていて疲れにくく、また隘路や渡河などの状況に備え

(今の人には考えにくいのですが当時は道路に舗装などまずなく天気が悪くなると

泥でぬかるみ、大きな川でも橋が架かっているとは限りません

渡しの飯も食いっぱぐれるのであえてかけない向きもありましたそうなれば

自分の足で渡るしかないわけですし、

何時敵が襲ってくるか分からない所まで来てしまえば具足を付けたままの

渡河という状況もありえたわけです(ふつうは戦場の数㎞手前までは

軽装で移動して戦場が近くなると胴や兜身に着ける事が多かった)

水軍など船手組になれば海に落ちたり

潮風による錆や劣化対策のためさらに軽い革製などに人気が集まる訳です

重量化がいかに不効率か考える判断材料になります

平和な時期に重武装が好まれるかと言えばそのほうが武張って見えますし

こんな重い物を見に付ける人は偉丈夫なんだろうなぁと人に想像させるためでもあります

伝徳川家康所用の熊毛植え具足等もその意図が感じられる一品です

当然これも家康が数十度の戦で着用したという伝は時代的に合いません、ねつ造です

これも老人が最初に話した当世具足の発生時期を頭に入れていれば

すぐに真贋などはっきりする事なのです、後は徳川家康が障害に何回戦をしたか

そう考えればすぐに見抜けるでしょうに昔の伝承やえらい御用学者先生の

言だと言えば思考停止して自分で考えず従ってしまうマインドコントロールや

自分から奴隷化してる証拠なんですよ、それでいいかは見て下さってる皆さんに

任せますよ私の人生じゃないんですから、

特に徳川の具足は神君にまつわる事に疑問を呈してはいけないという

昔からの押し付けがあるので意外と研究や真贋が進んでいない物が多いのです

例えば若武者時代の家康が大高城の兵糧入りの時に着た等と言う伝承の

金陀美具足

 

どう見ても1560年に存在しない鎧なんですよ、型から言えば当世具足完成期の

一歩手前で息子の秀康や秀忠の初陣ぐらいでギリギリどうかと言う代物です

若武者時代の家康を神格化されるために各徳川家で作られた

イメージ甲冑と見るくらいで丁度でしょう、若干仕様が違うもう1領の具足も

現存している、

明らかに徳川家の具足の暗黙のドレスコード(?)からも外れた色合いですし

(徳川家では過剰な金や銀を鎧に取り入れた具足は用いるべきでないという

暗黙の了解があり黒の地味仕立てを良しとする風潮があった)

 

修理の手間や材料の調達を容易にするため(厚地の鉄板は今ほど簡単に手に入らない)

様々な要素から厚地の鉄板を使う打ち出し胴は使用された例が殆どないのですよ、

そのような物があれば物珍しさから色々な記録に名が残るはずなのですが

見受けられませんそこも証左ですね、

 

装飾を打ち出すとどうしてもその部分が薄くなり胴全体の厚さが不揃いになります

薄い部分は経年劣化が進むとどうしても打ち出し部分の側面から痛んで

最悪そこから穴が開き全体へ影響を及ぼします、この具足は表面が漆塗りですが

打ち出し胴は分厚い鉄を鍛えた証として表面を漆を塗らず錆地にしている事が

多くその対策として鉄板が厚めになりがちです、

実戦期には打ち出しは兜前面の眉毛や見上げた時にできるしわである

見上げしわくらいで他に表現をするためには漆と木粉などを練り合わせた

こくそ漆や桐などの軽い素材で彫り込んで表面を和紙や布で包んだ

加工品や和紙を粘土上にして成形した物など様々な方法で張り付けるなど

軽量化しており、あるいは漆や金銀の蒔絵にする等軽量化が図られていました、

 

世界的に見ると温帯以上の寒い国ほど鎧は発達する傾向があり

装甲が厚くなる傾向があります、逆に南方になるほど鎧の発達は遅れ

軽武装になり武器も敵の走行が薄いわけですから薄く軽くなる傾向があります

例外はインドくらいでしょう、酷暑の国にもかかわらず北部からもたらされたとはいえ

板金の装甲を全土で採用していたのは珍しい例です、(ただし南部では

若干風土に合わせて調整はしていた)

 

日本とモンゴル(これは騎馬戦闘のための合理性ただし元王朝も進んでくると

重武装化に傾く)は如何に具足を軽量化するかに

特化した変わり者と言えます、西洋の鎧とは真逆の発想なのですね

向こうはそれに耐えるため体を鍛える、馬を品種改良で強化するなど

付属する物に解決策を求めていますから面白い物です、

 

次に胸板のこはぜに目を向けてみましょう

実戦期には見られない後ろ身から前に伸びている肩上(わたがみ)の先端に

金属製のリングが下がっていて前身の高紐に取り付けられたこはぜを

縦に回して穴に通し装着する仕組みです、この手合いのからくりは

江戸中期復古調具足が出始める時期から大名や重臣クラスの

裕福な武士の具足に散見されるようになります、実戦期ではこのような

技巧に走るだけで上下に揺さぶられると簡単に外れるような物は

心得が悪く最悪自分の命を落とす失敗につながるのでまず採用されません

福岡黒田家にもこれとは趣が異なりますがかわった装着装置が付いたものが

残されています、

そしてこのこはぜに家紋が蒔絵か象嵌が画像では分かりませんが施されており

明智家の桔梗紋ではなさそうです、基本家紋は拝領した具足ではない限り

自家の紋を使うのが常識です光春の具足くならば桔梗紋か何か不明ですが

変え紋あたりが順当でしょう

今では家紋と言ってもそこまで大切に扱われませんがお家第一の昔は

家紋の取り違えなど考えにくい事なのでこの具足の出所を探るポイントに

なるでしょう、伝武田信玄画像の真贋が問われたのも装着品に書かれた

武田氏と関係がない家紋が原因の一つでした、

 

次に草摺について見てみましょう

 

前身3列後ろ身4列の当世具足完成期に多い構成ですが乗馬の便のために

側面を1段減らして4段背面を2段減らして3段にしています

ただこれも平和な時代の机上論で実戦期にも足掻きを良くするために

草摺を短くする事がありましたがその場合はすべて同じ長さになるよう

短くしていました、装着すればわかるのですがたかだか草摺の1段2段でも

重量バランスの悪さや違和感を感じるものなのです、

今現在のドラマや映画でもその日雇いのエキストラさんが草摺を尻に敷いてしまい

草摺が痛んだり折れたりという事案がよくありますのでこういう工夫を

思い付くのは分らなくはありませんが机上論の域であります、

 

そして前身中央の具足は真ん中に蝶番が付けられており足の動きに

連動して草摺が動くようになっていますがこれも江戸期からの発想で

実戦期には見られなかった工夫です、

 

よく見られる草摺は胴に穴をあけて直接下げるのですがこれは

布帛に縅紐を通すという変わった方法で草摺が取り付けられています。

 

続く

さて、史実と異なる忍者で儲け歴史のねつ造を目論む伊賀市と甲賀市を

中心とした忍者ビヂネスについて書こうかと思ったのですが

間に1つ挟みます、

使用写真の引用元、学研戦国甲冑集Ⅰ、漫★F画太郎珍游記、コーエー

信長の野望、太閤立志伝Ⅴ、山上八郎著日本甲冑の新研究等になります。

 

と言うのは先日老人は晩飯を食べていたのですがその時に大学生のお兄ちゃんらが

話をしているのが聞こえてきました、

内容的には来年の大河ドラマ「麒麟が来る」で濃姫役の沢尻なんたらが

麻薬の不法所持で麻薬取締官通称マトリックスに逮捕されたとの事

お兄ちゃんたちの話は続き去年の大河ドラマ「いだてん」でもピエール瀧が逮捕され

今年で2年連なので来年も出演者が逮捕されるか賭けようぜとの事

 

ピエール瀧も一時期何の権威を借りてかこんな風にやりたい放題に暴れていて

SМ雑誌で新米女教師を緊縛調教するダメ生徒役を不必要に

満面の笑みでこなしていたりとあれこれ調子に乗っていたのに

今じゃすっかり落ちぶれましたね、石野卓球も知らんわけがなかろうから

逮捕も時間の問題ね(てっきりずっと昔に死んでたと思ってたが誰だよ死亡説流した奴は)

さすがに面白そうだったので老人も手持ちの200億ジンバブエドルを

賭ける事にしました、(大丈夫5枚1000億ジンバブエドル持ってるから

1枚くらいちょろいちょろい)

老人もそのお兄ちゃんたちもその店の常連で顔を合わせる事が多いので

約束はしっかり果たしますもちろん老人は

逮捕されるの方にかけました老人が勝てば一食おごらせます(笑)

 

食事を終えて帰宅の路に付く老人はふと思い出しました、それよりもっと前に

東京国立博物館所蔵の伝、明智光春所要具足の話が出た時に

老人はそれを光春所要の物でないと言いましたが安っぽい本や歴史視感の方から

反論が来たためその理由を話したのですがこれは来年の明智何たらに

乗っかろうとしている方々にも事実をお話ししたほうがよかろうと思って

割り込ませる形で(すぐ忘れるからな)お話をしたいと思います

知らずに日銭稼ぎのいい加減な本や資料御用学者の言葉に載せられば

そのつもりがなくても嘘を広める先兵となってしまうので

自分の自由意思で判断ができるように引き金を配置するのは知ってる者の

使命でもあります、

奇特で優しい方や興味のある皆様はお付き合いいただければ幸いです、

 

さて今回お話しするのは明智光秀の親族(いとこなど諸説あり仔細は今だ不定)の

明智光春(秀満とも)が所用した具足について

100年以上前から東京国立博物館が所蔵しており和製南蛮胴具足

(西洋の甲冑を参考にして日本で打たれた具足)の名品として

知られている一領で多少具足や歴史の本やゲームをされている方は目にされた

事があると思います

 

こんな感じでよく目にする機会のある具足ですが果たして明智光春の具足かどうか

忙しい方のお時間を取らせるのも申し訳ないので結論を先に言うと

 

ちがいます!

 

と言う訳に行かないのでここからは忙しくない方のためにその理由をつらつらと

お話ししていきます、

まず最初に明智光春の没年、これを頭に入れて頂きたいのです

1582年7月4日 天正十年6月14日(旧暦なので注意)

そう織田信長が討たれた本能寺の変のすぐ後ですね明智の11日天下に

巻き込まれる形で生涯を閉じております、

 

老人がこの具足が光春の所用でない事を示す第一の理由です

件の具足は和製南蛮胴具足よりももっと大きなくくりで言うと「当世具足」と

呼ばれる分類の具足になります、旧来の大鎧、胴丸、腹巻と呼ばれる

大きさは多少のずれがありますが名刺を半分にしたくらいのサイズから

英単語の記憶とかに使われていた小さい冊子より一回り小さいくらいまでの

鉄や煉革、極めてまれに和紙製の小札(こざね)という部品を

何百枚~1000枚以上糸や紐などで綴り合せた物ではなく

鉄や練り革の板状のものを鋲や練り革ならば竹釘、紐などで組み合わせて

構成されています、他にも今までにない新機軸で生産性と強度

修理を容易にし費用を抑え着用者の自己主張をより柔軟に対応可能にするなど

それまでの具足は形式的に整ってはいましたが自己主張の面では

脅し紐の色合いなどを中心に限られていました、

まさに具足に革新をもたらしたといっても過言ではありません、

 

そしてこの当世具足は戦国時代に長く使われていたと勘違いされている方も

多いのですがその祖型と言えるものが現れ始めるのは早くても1580年代の

後半あたりから90年代初頭くらいに尾張周辺地域で生まれたのです

大体少しづつ全国に広まりだすのが小田原北条攻めや文禄慶長の役辺り

そう・全国の大名や付き従ってきた配下やお付きの鍛冶職人や具足師が

一つの場所に集まり資料こそありませんが見よう見まねで作ったり

意見や情報、技術交換がなされそこから一気に全国へと広がって行きます、

以前の具足では1領仕上げるのに相当な時間がかかっていたので

制作が簡便で修理の手間が少ない具足を求めていた甲冑師らにとっては

まさに願ったりかなったりであったため急速に広がった訳です

その当時は具足師は忙しくて忙しくてしかたなかったのです、

皆様も仕事が忙しければ作業の能率化や整理整頓など効率化を考え

いいアイデアが浮かべばそれを採用しますよね?それと同じ理屈です、

 

もう勘のいい方はお気づきと思いますが明智光春の没年は1582年ですから

まだ当世具足は影も形もないか構想とか試作の段階であった訳です

ちょうどいい写真が見つからなかったので掲載してませんが

開発当初と思しき当世具足は完成期に比べると随分とやぼったく

件の具足のように整った作りとは程遠い物でした、

 

つまり生きてる間にありもしなかった形式の具足など所有できるわけがないのです、

今現在に残されている当時の書物や各種の書類にも文禄以前の中に

当世具足について語られている文書類もないのですね、

江戸期に書かれた軍記物や物語や絵、後世に写しとして書かれた物などは

資料としては論外な物が多く書いてあるから正しいという安直な決定は

自分とそれを見る人々の判断を鈍らせる事につながるので注意が必要です、

 

次回より各部位から時代判定などの解説に入ります。

 

 

 

 

 

色々色々とおかしい部分の続きから

画像などは産経新聞その他からの引用です、

 

出所不明なホームページ

この団体には出所不明のホームページがあります、

池田市のホームページからのリンクが

ありませんしファンによる応援サイトとも趣が異なります、

市が作ったサイトならばこのようなリンクなしという処置はしませんし

この団体のFacebookもありますがこれは職員が直で作ったのは間違いありません、

 

そしてこのサイトの内部にイベントへ出張してパフォーマンスをするとの事

どこかに呼ばれてパフォーマンスをしていなかったようですが、市職員さんは

基本副業ができないので(例外はないでもないが限定的)基本無給となります

地方公務員法第38条に抵触する可能性がありますからね、

 

もし呼ばれて報酬が払われたとしたらそれをどの口座で受け取り

だれが受け取るのでしょうか?

この団体はふるさと納税と足りない部分は市の税金で賄うとの事なので

この部分は明確に説明するべきではないのでしょうか?

市のサイトにこのようなサイトが紹介されていない非公式サイトがあるというのは

市の運営団体としてはおかしいのではなかろうか?

 

必要のある事柄が欠如している

こういう地域振興事業をするのであれば事前に費用対効果の試算が

市民のだれでも閲覧できる状態にしていなければなりませんが

発足から今日まで明示された形跡がありません、

これに対する問い合わせも市が握りつぶしているとの事です、

税金は自分らの私物と思ってる証拠ですし必要な仕事ができない公務員は

要らないのではないでしょうか?

 

そしてほとんど活動していないのですがこの団体に協賛した方々が払った

ふるさと納税の出費内訳は道理として明示するべきでしょう

もらったら後は一切文句は言わせないは道理として通じません

ほとんど活動していないわけですからプールしたお金はおおよそ残っている

はずですよね?なぜ明示できないんでしょう?

やるといって作った団体を事実上やらずに解散したわけですから

出資者や関係者、支持者にお詫びや上記の収支報告くらいしたらどうですか?

都合の悪い部分を隠すために「ハイ解散もう追及は許しません」じゃないと思いますよ

これが公務員のやる事でしょうか?

 

心苦しいでごまかすんじゃなくて必要な事後処理をするのは当然でしょう

最低でもまず市の公の場でネットやそれらがない人でも分かるように

お詫びや収支報告をして余ったお金があればそれをどうするか説明くらい

してはどうでしょうか?税金が使途不明で宙に浮いてうやむやにどこに行ったか

何てことをするのは盗んだのと同じ事ですよ?

 

アプリゲームも作っていたようですが

8月17日リリースとの事、富田市長が解散を決定した正確な日時が不明ですが

おおよそ6月末には解散の意が固まっていて団体自体のもう活動実態が

なかったのですがそんな時期にこの団体のアプリゲームとはどういう事でしょう?

アプリゲームと言ってもそれなりに開発費用が必要ですがその出所は?

外注ならたかだが200万程度のふるさと納税で作れるほど安くはありません

何処からお金が出ているんでしょうか?市民への意見具申や賛同得られましたか?

今後もこのゲームを池田観光の一環として販売を続けるつもりなのでしょうか?

枉駕って何?と観光客から聞かれた時ふるさと納税で資金を集めてろくに活動せずに

解散しましたなんて説明する気なんでしょうか?

それに外国語対応をしていないそうなので誰が買うんでしょう?

しかも遊んだところで歴史や地域の勉強にもならないので税金の無駄遣い甚だしい、

市民の税金は好き勝手に使っていい使途自由金と市が思ってる証拠ですよ、

市民の皆さんはもっと怒るべきでしょう、

そしてこのようないい加減な事をして事後処理を放棄していながら
まだ税金の無駄遣いで町おこしなんてことをしようとしている訳です
この歴史ねつ造の忍者も民間で存続させるとか・・・
この忍者集団も実のところを言うと倉田市長が考えたのではなく
頭目役兼講師の人物がねじ込んだ案件なのでしょう
これ以前にもクラウドファウンディングで池田を収めていた
池田勝正の自主製作映画を製作していて内容は池田勝正はどうでもよく
自分たちの考えたオリジナル忍者強ぇかっこええという内容なので
この発想のスライドさせたものがこの忍者集団と言う訳です、
歴史のねつ造キャラの下に実在した人物を置くなど先人に対する侮辱です、
ほとんど価値のないお返しでお金を集める手口も同じで
クラウドファウンディング、ふるさと納税で金を集めれば市の懐が痛まないと
親しいか面識のある職員を説得して市長に談判したのでしょう
倉田氏も自分の懐が痛まないし地元の人間の支持集めのために
ゴーサインをだしたのが実態なのでしょう、
 
老人は着任した時にすでにこの団体があったので富田市長に責任云々と
言うつもりはありません、むしろ解散決定をした部分は評価します
ただここまで運営がずさんでその反省もせず次行ってみようという市の態度
責任者をぼやかし事後処理を放棄して解散したから追及するな
という態度は問題ですね、
「歴史に興味がないから知らないわ」、「どうでもいいわ」、という方もいらっしゃるでしょう
ただ税金をいい加減な使い方をして反省もせずにこれからも同じ事を
続けて行こうという部分で問題視するべきだと思います、
それでもいいというなら市に全財産突っ込んで遊興費に使って
もらえばいいでしょう、市の職員のさらなる特権身分化に貢献できます、
無計画運営、とりあえずクラウドファウンディングふるさと納税で集金
隊員人数の水増し、不明瞭な収支、責任者不在、解散日不明ながら
次期すれすれあるいは解散決定後の無駄なアプリゲーム
そして反省もせず次も適当な企画を立てて税金の無駄遣い
去年の台風時のいい加減な対応や生活困窮者への不当な対応
宅間の事件の教訓を生かした対応の放棄
(これは単純に体たらくだけじゃなくて疎かにして教訓を活かさない事は
犠牲になった方々を愚弄しているのと同じ事)
10年近く前になるでしょうか池田城址公園に大阪の問題行動を多々起こしている
団体に城を使わせ問題行為を容認した前科もあります、
その他いろいろと体たらくな部分も含めて職員の全刷新でもしないと
ダメなのでしょうね、今回の件もいい加減な物を乱発して
どれか当たればいいしまたクラウドファウンディングやふるさと納税で
金を集めれば自分の懐も痛まないし適当でいいやという雰囲気が
池田市役所全体にある証拠です、
 
ただ救いがあるとしたらこの団体は他の祭りなどで集まる
甲冑隊やおもてなし武将隊、祭りの参加者のように前日から酩酊するほど酒を飲み
行政やイベント屋、警察にかばってもらいながら犯罪行為
(銃刀法違反、暴行、恐喝、詐取等)はしなかった事がせめてもの救いと
言えるでしょうか、
 
次は忍者関連について雑記を色々との予定です。
 
 
 
 

 

 

では間が開かないように第一弾やってしまいましょうか、大阪府池田市に最近まで

表立っては市役所の職員が中心になって立ち上げた忍者をベースにした

団体がありました昨年11月3日にデビューし各社新聞の10月10日に解散の

報が発表されていますが正式な解散決定日はぼやけさせられています

この団体色々とおかしい部分がありますのでその問題点を取り留めもありませんが

お話ししていきたいと思います、歴史関連の団体イベントやその受け皿になる

行政のやりたい放題やイベント屋が如何に不要であるかの判断材料になれば望外です、

画像は産経新聞様、その団体の公式サイトなどから引用していますので以下表示を

略します、

 

あらましから

 

この団体の正式名称は池田忍者甲賀衆 枉駕(おうが)と言います

(は?伝説のオウガバトルから?つぅかワシのpcで字が出ねぇよ)

この団体が言うには大阪府の池田市の現在の池田城址公園のふもと

職業安定所の辺りに甲ケ谷(こかたに)という地名があった事から

甲賀忍者がいた⇒甲賀忍軍がいたというこじつけで忍者集団をつくり

資金をふるさと納税制度で集めて発足し観光客の誘致にという内容です、

これうっかりSS取り損ねたんですが最初は「いた!」と断定していたんですよね

すぐに市民やネットの閲覧者から指摘を受けて「仮定」と言う言葉に

入れ替えてるんですよ、もし指摘がなければ甲賀忍軍がいたと

この時点で歴史のねつ造を押し通し観光客や市民を騙し続けるつもりだったんですよ

すでにおかしい、まぁこの程度なら歴史で売り込もうという

団体や地域はまずやらかしているので珍しくもないですが倫理的に

発覚した時に信用を失う、周囲や後々に迷惑になると考えなかったんですかね?

一度うそをつくと訂正には勇気がいりますし(韓国が慰安婦や反日をでっちあげて

すでに修正不可能になって右往左往しているのは好例です)

一度うそをついたとなると後々ケチが付いてうまく行かなくなるものです、

歴史関連の何かをする時に歴史のねつ造やミスは厳禁です

分からない部分は分からないと求められれば正直に話す事が重要です、

想像や勝手な思い込みでやる時点ですでに歴史というカテゴリーから外れて

何の説得力もないんですよ、

4000人の動員数との事ですがどこの誰が正確なカウントをしたのか明示すべきで

それがなければただの大本営発表です、

 

そして池田市には最も?古いとされている池田市の史学会があるのですが

その裏付けのために接触した形跡が全くありません

池田市のPR映像でも意図的に外されているので史実のねつ造に差し障るため

特定の集団で固まって行われている事は想像に難くありません

普通ならここまで歴史のある団体なら日本に誇れようものなので

prから外されるのは考えにくくまた相応な施設なども紹介から外されているので

得て艇の人間だけが偏った活動をしている証左と言えるでしょう、

史学会の立場としてこのように不確かなものに賛成もできないでしょうし

90年以上続いた自分の会に泥を塗るようなことはできないでしょう、

 

 

このPRビデオも制作費1000万円との事ですが映像制作関係に努めている

複数の方から伺った所内容的に公共の物とは言え諸経費含めて

ここまで係る訳がないとの事、本当の額は不明ですしかけていたとしたら

差額は何処へ行ったんでしょうねぇ~(笑)

 

 

乏しい活動実態

この団体の活動は桜祭りや最初だけ月に一度池田城址公園で公開練習と

言うのを行っていましたがすぐに行われなくなり

忍者教室なるものも予定だけでほとんど行われる事がありませんでした

公式サイトによると2019年5月からの予定のまま止まっています

ようはやってないと言う事ですね、

後はクラウドファウンディングされた方の話によると出資者に忍者教室を

行う旨が書かれていたのですが受講できなかったとの事です、

これ約束破ってますよね?

お金出したそれでいいと言う人はともかく約束された内容を期待して

受講希望の人に何の対処もしてないって市が運営する団体としてどうなんでしょうか?

実際の所は数回のひけらかしと甲賀市への表敬訪問という名目で

公費で遊びに行ったくらいでしょう、

 

公務に支障

この団体は表立っては前市長の倉田薫氏が発案して発足とあります

希望者を職員から募って50人が集まりとの事ですが

 

以下の記事によると出張中に先輩の推薦で決定との事

さらっと強制的に活動に参加させられていたという事になりますね

しかも拒否権なしと何気に重要な事が書いてあります、

池田市職員の倫理観がおかしいと思いますが如何だろうか?

 

そして活動がその年の5月連休辺りからほぼ停滞していき今回の解散と

なった訳ですがここでも?な箇所がいくつか

 

倉田市長がその地位を世襲にするためご子息を次期市長にするため

市長選挙が行われ大阪維新の富田新市長が誕生したわけですが

事業整理が内々に行われたのでしょうその折に2019年6月に

職員からの聞き取りが行われた模様で(活動実態がほとんど

ないにも関わらず税金を使い資金としてプールしているんで当然でしょう

色々と問題のある維新にしては珍しくまともな判断だと思います)

公務に支障をきたすとの声が相次ぎ市長が解散を決断されたとの由、

 

ここでも疑問点が浮上します、まともに活動をしていないなら公務に支障など

出るでしょうか?デビュー前に10回程度発足の4か月程度参加させられた

人の練習があったようですがそれ以外に対して活動していないわけです、

本音を言うと無理やり参加させられた職員ばかりでやりたくなかったのでしょう

職員の皆さんも日頃働いている訳ですから休日に英気を養い

体調管理をするのは当然の権利です、家族サービスだって必要ですよ

お子さんが幼ければ今のうちにやっとかないとお子さんも大きくなるにつれ

自分のやる事で必死ですから家族の時間はより取りづらくなりますし

行きたくもない活動に休日を取られコンディションが下がっていくのは当然ですし

体を壊しても何も保証がない最悪仕事を失えば自分の将来にも差し障るので

このような不確かな物に身が入る訳がありません、

職員さんも人間ですからそれは当然だと思いますし池田市の

問題点を指摘する記事ですがその辺りの道理はわきまえているつもりです

別に池田市職員が親の仇なのではありませんからね、

 

色々とおかしい部分

 

この記事を書くのにタイミングが遅れた原因の1つですが市民の方から

聞き取りを行っていましたそうすると色々とおかしな部分が出てきます、

 

とある市民の方からの証言ですがふるさと納税でお金を集めておきながら

活動実態が乏しい事への質問を市に行っても全く返事がなかったとの事

見落としや何かと思うが他の方からも「後でお返事を」「担当者が不在で」

などとはぐらかされてまともな対応がされなかったとの事

全く関係がない方々からの話なので口裏合わせとは考えられません

もう早い段階で活動が停滞し解散モードに入っていたのでしょう

ただ市の対応としてはあり得ませんよね、水面下で相応の問い合わせが

あったものと思います、当然ですよね税金は市の職員の私財ではありませんから、

 

そして次に先に掲載した記事の画像にもあるように前市長の倉田氏の発案で

発足との事ですが倉田氏を支持者する複数の方に伺った所

倉田氏が着想して発足したという話は聞いていない、知らないうちに

いきなり作られていたとの事です、普通市長がなにかせんと言う時に

事前に支持者に話をして地盤固めをするのは当然なのですが支持者が知らない

というのはどういう事でしょうか?

あきらかに倉田氏を神輿にして自分たちが利を得ようとする人が裏にいたと

いう事になります、もう察しの言い方や地元の方なら分かっていますよね?

 

続く

 

 

 

だいぶ開けてしまったのですがまた不定期に記事を書いていこうと思います

老人はかねがね日本にはびこる自称日本の歴史を愛する人たちの

歴史ねつ造や裏での悪質な犯罪、不正行為などについて話している訳ですが

これに憤る人は他にもいらっしゃったらしく各地にそれらの被害者相互連絡会と

言うのがあり大阪の悪質団体であるО甲冑隊や(言いがかり防止のために

現段階ではイニシャルにしときます、状況に応じて実名に差し替えます)

(今でも名前を変えて自分たちの責任を回避できたと思い込み活動を続けている

だいぶ昔に1年半ほどその団体にいた事がありますがたまたま創始者(笑)の

欲しがってる形の具足を老人が作った事から一方的に恨まれて嫌がらせや

モラハラが続いたんで愛想尽かしたやめたんですよ)

その同盟団体その子分であるU市の団体やさらに子分団体の

K市の甲冑隊から度重なる迷惑行為を受け続けていました、

内容的には家に大量の頼んだ覚えのない大量の代引き荷物や家屋解体の

依頼をされ解体業者が来る勝手に電話の解約をれそうになる

(NTTさんが不審に思い連絡してくれたので事なきを得る)

等の嫌がらせ電話等多々

(老人が家の電話のジャックを抜いてるのもそれがしつこくてうるさいからです)、

それ以外には老人が当時やっていた副職のバイト先に犯罪者を雇っている

と事実無根のヘイトクライムをかけられたせいで会社をクビになった事もあります。

 

私だけではありませんがその団体の「創始者」と称する人物が気に入らない

団体を愛想をつかしてやめた人物の個人情報と写真付きで

ありもしないでっち上げの前科を付けて手下に命じて各時代祭りを行っている

地域に警告文書として流布するなど

(その文書の通りなら所属していた隊員のほぼ全てが前科者というとんでもない

団体になるので流布されたほとんどの地域では一笑に付されて逆効果だったようですが)

当然罪状そのものがなく失敗に終わりましたが言いがかり告訴もされたことがあります

(大阪の街づくり団体DがО城の団体を呼んでまるで神か何かのようにその創始者を

崇め奉っていたのでやんわりとやってきた罪状を説明し

食い物にされる旨を忠告をしたらその内容を創始者に告げ口をして

一緒に賠償金をせしめようと持ち掛け市の小さい客もろくに来ないイベントに関わらず

損害額2億円賠償額3500万円を求めて刑事告訴をしたわけです、

確か罪状は偽計業務妨害と名誉棄損だったかな当然罪状すらないので

失敗したわけでそれまで鬼の首をとったように騒いでいたのが急に

何も言わなくなり団体を続けていくと言ってたのが急に解散になったのもそのためです

まぁその3か月後に名前を変えて創始者が名前を出さずに裏から支配する

新団体に作り変えたわけですが(笑)これに懲りず携帯に非通知で賠償金を

払わないとどうなるかみたいな脅迫を何度かかけてきましたね無視したけど・笑)

連絡会の方々からその告訴騒ぎを聞きつけて老人に事情の説明を

求められた事が縁になりこれに似たような事例が全国各地で多く起こっている

また行政やイベント屋、甲冑隊おもてなし武将隊がいかにこういう悪辣な癒着で

好き勝手にしているかがよく分かりました、

今までニュースになっておかしくない事件が多々あったのですがほとんど

報道されないのはマスコミや警備していた警察も自治体などの要請でしょうが

グルになってもみ消しているという事でしょう、

 

注、よく告訴された書類送検されたと書き立てればされた人間が罪人だと

判断される方がいらっしゃいますが、世の中には言いがかりで告訴なんてことは

ざらにありますし、書類送検=有罪という騒いでる連中がいるのですが

経験されたことがある方なら分かる事ですが警察が調べた内容を

書類として有罪無罪を判断する検察に送るだけの事ですから

それだけで犯罪になる事はないんですね、書類送検された案件の

だいたい6~7割は不起訴、起訴する必要のない案件で片づけられてる訳ですから

いかに書類送検=有罪というのが安直で不確かかよくお分かりと思います

つまらない交通事故ですらすぐに解決できなければ書類送検ですからね、

そういう悪辣な奴らの手口に簡単に乗らない事です、

 

平素からNHKが音頭を取り御用学者やゲーム会社や広告会社

各地の時代祭りとつるんでいい加減で検証が不十分な事柄を「史実」として流布し

何も知らない人間を騙し洗脳して「この人たちは正しい歴史を教えてくれている」と

思わせ最後にやる事は簡単ですウソねつ造で作った気楽な歴史で

金をせしめあぶく銭を稼ごうとする事と最後にいきつくのは

「日本はこんなひどい事をしてきた国なんだだから日本人は生まれつきの

罪人なんだ中国や朝鮮にお詫びし続けなければいけない」と日本国民に思い込ませて

永久に中国や朝鮮の奴隷国家になるように仕向けようという

回りくどい算段です、奴らはお花畑の日本人が考えつかないような

手をいくつも複合的に使う事に長けています、

最近御用学者その他が本来の担当の時代から徐々に時代が下がった事へ

口出ししているのもそのためです、

今やNHKや各地の時代祭りや甲冑隊関連イベント屋のトップや背後には

在日勢力が絡んでいるからです、

話が飛躍していると思いますか?そう思う方は何も考えていないか

今で言う頭がお花畑な証拠ですまずは外か風呂場で氷水をかぶってきましょう

これら全国の時代祭りや時代イベントなどと言うものやそれに出ている

たまたま捕まってないだけで犯罪行為を行政やイベント屋にかばってもらって

続けている団体はその一部なんです、

自分らの税金がこんな連中にジャブジャブ使われている状況って

如何なものですかね?

 

どこまでできるか分かりませんが協力団体の兼ね合いをしながら

公開できる事をして行こうと思いますそのために不定期です、

判断基準の一つとして必要な方へ読んでいただければ幸いです

今や先人に敬意を払わず一部の地回りのゴロツキ住人や役人

その手下たちが人の税金で遊んで好き勝手にする時代祭りは不要です

そう言う物はつぶしてそれらの関わらないまともな人間だけで0から

始めるしか方法はないでしょう、

歴史祭りに参加する人は心から歴史愛し愛国心がある人ばかりではありません

むしろ逆である事が多いという事を善男善女の皆さんにはよく知っていただきたい

肌で感じている人もいらっしゃると思いますが現在の先人に畏敬の念を

もたない腐った集金ツールはなくしていかなければなりません。

 

 

 

無沙汰しています、老人は生きてます、やはり金魚ネタを記事にしないという事に

なると書くことが減りますね、

 

ただ金魚の方は一度管理を任されている借家に移動しましたが急に

借り手が見つかったのでまた別の場所に引っ越しました、

冬と春先にしくじらなければなんとか来年は仔採りできるかなぁと

言った所です、もう目的はキャリコ頂天眼やほかの彩のある

頂天眼を自分の池で泳がせて楽しむだけなんでさして欲もなくなり

精神衛生上良い方向に向かっています、だいぶ減ったので管理も楽になりましたし

あとは警察はやっぱり動きませんが老人の金魚に似た金魚を

入荷した店も分かりましたしね

同じタイプの魚は愛知と北海道の愛好家の方しか作ってないですし

まだ量産されるには年数が足りないのでその出所突き止めたら

チェックメイトでしょう、

ほんと金魚やってる奴はろくな奴がいない盗むか蹴落とし合うか

それ死できなくてよく人間と言えるなと、

まじめな人がバカを見るじゃ先なんかとてもないわさ、

 

さて空白期間に決して遊んでいた訳じゃないんですよ間違ってもお寺を巡ったり

 

 

サンバを楽しんだりなんて決してしていません・・・!

 

冗談はさておいて大半の時間を取られていたのは山積みになった

甲冑関係その他の資料の消化(一部は返却期限が迫っていたので

読んで吸収する必要があった)と後は時折老人が取り上げている

歴史祭りやイベントでも犯罪者甲冑隊やそれらをかばう悪質な

行政や河原者のイベント屋のやらかした犯罪行為の隠ぺいや

事件の真相の調査を中心に動いていたからです、

これらのファイルの束は過去最古で10年前までの各地の時代祭りで

甲冑隊やらそれを擁護する自治体の犯罪行為に関する資料です

左の青いファイルと下の黒いファイルが関東北部甲信越方面

右のベージュのと下の黒いファイルが関西の事件他のが

その他地方の物です、内容的にはこのファイルの束全部で141件

中には新選組コスプレや戦国BASARA、刀剣男子に関わるものも

含まれます、まだ協力団体から受け取った未整理の物が70件以上ありますが

これは全部ではなくまだまだ出てくると思います、

これでも約3分の1は老人の足で調べ一部被害者からの聞き取りを

行っています、調べてわかった事は本当に腐り切ってるの一言です、

協定団体との兼ね合いもありますので開示は自分の独断ではできませんが

できる段階になれば随時このブログで開示していきたいと思います、

歴史にのっかり悪徳行為をする時代祭りやそれにぶら下がる犯罪者が

いつまでもメス入れされる事なく好き勝手にやってる事は黙っていては

いけません、ウソねつ造で金をせしめるのは南京だ慰安婦だとわめいて

ゆすりたかりするシナ朝鮮人と同じだからです、