◾️アマチュアのままテレビに

これは語弊があるといけないんですが、むかしのテレビって面白くなくても出られたんですね。これは、かなり語弊がある言い方になっちゃいましたが、理由は明確で制作者がカチカチっと内容を決めちゃうんで、たとえ笑いの素養がない俳優だろうが歌手だろうが、一定の演技力さえあれば大丈夫だったんですね。
 
だから、今をときめくバラエティタレントのような瞬発力がなくたって、メインのタレントやテレビの人に気に入られればレギュラーとして番組に出れたと。
 
現に、テレビ黎明期に活躍したバラエティのタレントって、ミュージシャンあがりとか役者が実に多いんです。要するに、今みたいな即興性が求められていないんで、ちゃんと稽古する時間もあるからそれで大丈夫だったと。
 
そうなるとですね、ごくたまに即興性に優れた人、これはお笑いに限らないんですが、そんな人が隙間産業的に出現してくるんですな。あえて言うなら、本職ではそれほどの評価は浴びていないアマチュアのような人。当時は、楽屋話って言われていたものが抜群に面白い人が。
 
かつての鶴瓶がそうだし、タモリもそう。時代が即興性に流れていく80年代あたりから力を発揮し始めたのはそういうこと。以降、テレビに出る人にとって即興性は最重要になっちゃって、いわゆるコメディアンとか喜劇役者ってのは影を潜めちゃった。
 
そんな「即興性の時代」に突入する、ほんの少し前、ほんの一時期だけ天下をとった若者がいました。彼らは今でいう YouTuber。自作自演で自分たちのメディアをもって、アマチュアリズムを爆発させたことで若者たちから絶大な人気をかっさらった。
 

◾️「あのねのね」の衝撃

彼らが世の中に登場するときに歌った「赤とんぼの唄」のインパクトってわかりますか、みなさん。コロンブスの卵みたいなもんで、今から考えるとそれほどたいしたことはないって思いますが、あんな小噺をね、フォークのメロディーに乗せて歌うという発想には驚いた。若い人にもわかるように無理して言えば、「ベイビーメタル」ぐらいの衝撃で、その手があったかと。いやー、無理してたとえてますな。
 
それで、瞬く間にラジオ番組「オールナイトニッポン」のパーソナリティになって、そこを彼らの牙城としてメディアで遊びまくった。この遊び方はまさしく YouTubeそのもので、番組中に友人に電話をしたり、突然ドッキリみたいなことをしたり、弟子か仲間かわかんない人がなんの紹介もなく登場したりした。
 
これは、ただの推測なんですが、もしかすると、あのアマチュアリズムをスタイルに仕立て上げたのは、景山民夫サン(何回、ここで名前が出てくるんだ)じゃないかと思ってるんです。構成作家として番組に携わってね、関西出身の若者を都会的なセンスで牽引して、だまくらかして、洒脱なイタズラを教えたような気がします。その後、清水国明を代表する「出没!おもしろMAP」でも景山サンは構成作家として参加していますし。
 
一応、ここに景山サンの記事を置いときますね。

 

 

 

 

 

 

彼らの歴史の中では抹消されていることになっている、日本テレビの夕方30分間のゲーム&コント番組がありました。
 
当時、「うわさのチャンネル」のレギュラーとして人気があった二人を使って、コントに定評がある作家として、そのときすでに大御所としてテレビ界に君臨していた三木鮎郎センセを招集。ほかにも、無数のコント作家が集められ、週に30本ぐらいのコントを書いてました。
 
その時に、「あのねのね」の素人そのものというか、大学生の兄ちゃんがそのままテレビに出演してる感じがなんとも新鮮で、ハナから台本なんて覚える気もないし、ちゃんとやろうという覚悟もない。ただただ、アイドルと戯れるのが嬉しい。テレビに出るのが楽しいっていう雰囲気だったことを覚えている。
 
番組自体は一年ほどで終了。ちなみに、三木センセは途中で、台本をチェックする役割にまわっちゃってコントは書かず、収録現場に立ち会うことも無かった。それを見て、「あぁ、この番組はもうすぐ終わるんだろうな」って仲間と話し合ったりしていました。以来、二人が日テレで番組を持ったのかはわからないが、それからヤンヤンやモノマネといった人気番組を獲得していった。
 
70年代半ばから80年代あたりまでが彼らの絶頂期。時代の軽薄な空気感とも見事にマッチしていて、ラジオやテレビを私物化して遊んだ第一人者じゃないかって思う(もちろん、その前に意図的か無意識か知りませんが、笑福亭鶴光っていう存在もありましたが、こちらは「遊ぶ」っていうか、「悪ふざけ」に近い印象があるし、それに影響を受けた人物はいないからね)。
 
そのアマチュアリズムに感銘を受けた連中が次々と二人のもとを訪れては大成していったと。清水アキラもそう、ブラザーコーンもそう。あの「ザ・ブルーハーツ」の甲本ヒロトも二人にくっついて寝食を共にした時期もあるのは業界では有名な話。放送作家もちらほらいる。
 
中でも有名なのが石橋貴明。正式な弟子ではないらしいが、とんねるずとしてデビューする前に収録現場に顔を出していたとか。原田伸郎いわく、「田村正和のモノマネを披露してもらったことはあるが、それほど面白いとは思わなかった」と話していたが……本当かどうかはわからない。
 
なんの因果か、そのイズムを継承した石橋貴明はテレビ界で天下をとり、 YouTuberとしても成功している。
 
だからね、二人はそれぞれの関心やライフスタイルの違いもあってバラバラになっちゃったけども、もしまたいっしょにやるようなことがあれば面白いんじゃないかと。 YouTubeを舞台にして、あの惨敗しちゃった日テレ番組のリベンジをしませんか!清水国明サン!原田伸郎サン!!