大河ドラマ第4作『源義経』総集編を見ました | == 肖蟲軒雑記 ==

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ツボに籠もっているタコが、「知っていても知らなくてもどっちでも良いけど、どちからというと知っていてもしょうもないこと」を書き散らすブログです

1966年は私のテレビ番組視聴にとって記念すべき年である。正月二日に二つの番組が始まったからである。一つは特撮番組の人気を切り拓いた『ウルトラQ』、そしてもう一つは年間通して初めて試聴した大河ドラマ『源義経』である。『ウルトラQ』は武田アワーと呼ばれた午後7時から、そして大河ドラマは午後8時15分からの開始であった。

『ウルトラQ』の話はさておき、『鎌倉殿の13人』を見ながら、矢も盾もたまらずに昨年夏頃『源義経』総集編のDVDを購入した。子供時代の思い出(改竄された記憶)などを取り止めもなく語りつつ、改めて視聴した古いドラマのこんにち的な印象を書き記したい。

(なお、文中の敬称は省略)

 


オープニングはこのように、大鎧の映像から入る。

 

『鎌倉殿の13人』のオープニングが大鎧の映像から始まったのは記憶に新しいところだが、視聴していて既視感があったのは、恐らく、このことをかすかに覚えていたからかもしれない。小学2年生の私が大河ドラマを見始めたのは、前年の『太閤記』の途中からだが、児童書で豊臣秀吉、源義経の伝記を読んだことだけでなく、我がプラモデル第1ブームの折に購入した戦国武将の兜(最初は徳川家康の特徴的な鍬形のもの:長じてから「歯朶具足」ということを知った)からだったことを思い出した。この次の年、そしてその次の年の『三姉妹』、『龍馬がいく』は鎧兜が登場しないからつまらない、ということもあって全くと言って良いほど見なかった。もしかすると、こういうショーもないことが私の幕末大河忌避の原点かもしれない。

 

 

1. はじまりは

後からも触れることになるが、総集編には(おそらく本編も)、現代(と言っても放送当時)の空撮映像が数多く使われている。オープニングは鞍馬の風景だ。



 

今の人たちから見ると、これだって歴史ドラマそのものの風景に見える映像かもしれないが、国土地理院空中写真を好んでいる土地利用(地理)の変遷に興味がある身としては、ドラマの中身だけでなく、こういった映像にも興味が湧く。(Google Earthで確認したところ、道の曲がり方から鞍馬寺の門前町だった)

この映像に被せるようなナレーションが始まる。
「」内は引用
「三十一年の生涯のうち、華やかな光を浴びたのはわずか二年にすぎない源義経の物語もこの鞍馬の里の風景からはじまる」

 

 

「年に一度の鞍馬の火祭り。人々は一丈もある松明をかざして鞍馬の山の石段を登る。今から八百年前、少年時代をこの山に過ごしたという義経は、この闇の中の火の行列を見たことがあったであろうか。少年時代の義経について、信頼できる史料というものは残っていない。彼の生涯の前半は、この火祭りの火のように神秘的で、闇の中の幻のように朧げである

「ともあれ、源九郎義経が、正式に歴史の上に登場してくるのは次の瞬間だ」

次の場面に登場するのはこの人物である。


 

往年の名優芥川比呂志が演ずる源頼朝である。数年後の『春の坂道』の柳生石舟斎も印象的だった。

★作家芥川龍之介のご長男


そしてこちらは、歌舞伎界の若きスター四代目尾上菊之助(現在は七代目尾上菊五郎)演ずる源義経。

 

 

 


治承四年(1180)十月の黄瀬川の陣での初対面からである。

私自身の記憶によれば、本放送時は平治の乱の敗残者の家族、常盤一行の雪の中の逃避行から始まり金売吉次との出会い、五条大橋のエピソード、平泉行と続いていたのでちょっと驚いた。

 

2. ストーリーの展開

 

今回の『鎌倉殿の13人』でも、以前から総集編は頼朝の死から始まると言われていたので、夏にこの総集編を見た時、「今回の大河ドラマのスタッフはこれ意識したものを作るのかな」とも思っていたものだ。


この出会いのシーンの後、前半生のシーンに戻るのかと思いきや、鎌倉での話が少し、そして一ノ谷の戦いへと話はどんどんと進んでいく。これは頼朝の死からすぐに冒頭の場面に戻って放送の時系列通りに進んだ昨年暮れの総集編とは大きく違っていた。鞍馬から平泉という部分は、冒頭のナレーションが語るように信頼できる史料が残っていない朧げなものとして、バッサリ切り落としたかに見える。

 

木曾義仲のエピソードも省略され、場面は福原攻めの協議になり、一ノ谷の戦いの場面になる。


映画のシーンのような行軍の映像。

 

騎馬シーンも今では叶わないほど贅沢である。

 

そしてこの一ノ谷の勝利を受けて、京での金売吉次(加東大介)の回想として義経の前半生の映像が断片的に登場する。

 

鞍馬寺での遮那王

 

五条大橋

 

そして舞台は屋島へ移る。こちらも空撮映像満載だ。義経の四国上陸から屋島への進軍ルートは現代の風景を辿って説明された。

 

 

ご存知のように、屋島の戦いには那須与一扇の的のようなエピソードがたくさんあるのだが、かつて視聴した後も最も印象に残っていたのは、佐藤継信が義経を庇って矢を受けるシーンだった。なぜか、(ドラマなのに)舞台劇をそのまま見るようなシーンが蘇るのである。なぜそんなシーンなのか。もしかすると別の舞台劇を見た記憶と混同されているのかな?と考えていたのだが、今回総集編を見て得心した。扇の的も上述の場面もカットされていたのだが、歌舞伎の題材になっている『錣引』が舞台劇よろしく演じられていたのである。

 

悪七兵衛景清と美尾谷十郎国俊の組み合いがゆったりとしたペースで始まり、最後は国俊の錣がちぎれて両者が尻餅をつく。

すくっと立ち上がった景清が

 

景清「悪の七兵衛景清が、美尾屋(テロップのまま)十郎国俊の兜の錣、生捕ぉったりぃ」

国俊「さても景清の腕の強さよー」

景清「美尾屋の首の強さよぉ」

そのあとは、敵も味方も呵呵大笑で終わるというように、歌舞伎の一シーンそのままという感じであった。

 

景清を演じていたのは若き日の加藤武(金田一耕助の映画の等々力警部が有名か)、国俊は市川男女蔵(現市川左團次)が演じていた。このほかにも、テロップを見ると数多くの歌舞伎役者が登場している。

 

後半には、義経一行が京から大物浦を経て西国に向かう際に嵐に会う場面があり、こちらでは能の『船弁慶』のような展開になっていた。

また、大物浦からの義経一行の逃避行では、『義経千本桜』のように、また『安宅の関』のシーンも今見るとほぼ舞台劇に見える。

 

春日太一著「大河ドラマの黄金時代」によれば、演出を担当した吉田直哉はドキュメンタリー出身だったという。『太閤記』の冒頭で新幹線の映像を見せるなど、斬新な方法を取り入れた彼は、この作品では神話的な英雄伝説を描こうとしたそうだ。そして伝統的な様式や型を数多く学んだとのことである。空撮を多用するところはドキュメンタリー畑出身の要素であり、舞台劇に見える場面や、たくさんの歌舞伎役者たちの登場は伝統の様式の採用ということになるのではないだろうか。

 

もしかすると、この作品では源義経という人物が長い歴史の中でどのように描かれてきたのか、ということを総合的に再現しようとしていたのかもしれない。まだテレビドラマには馴染みがなく、舞台劇をみる人口が多かった時代というのもあったのだろう。そうだとすれば、大河ドラマ萌芽期ならではの試行錯誤ということになる。

 

舞台は壇ノ浦へと移る。

昨年の『鎌倉殿の13人』では、義経による非戦闘員である水手(かこ)・梶取(かんどり)攻撃がフィーチャーされたが、こちらでは海峡での潮の流れの変化を読み取って、潮目が変わるまで時間稼ぎの翻弄する義経が描かれていた。その解説としても、空撮映像が使われている。

 

彦島の様子

 

こちらは、潮の流れがいかに早いかというのを見せるための映像。

スクショではわかりにくいが、奥の船はスイスイと左手に進んでいるのに対して、手前の船は波を立てるだけでほとんど動いていない。

 

そして、ドラマの撮影に初めて水中カメラが使われたと当時騒がれたのだが、そういう映像が満載の迫力ある船戦のシーンが展開された。前編のクライマックスとして、総集編の中でもかなり時間をかけていた。

 

まとめると、総集編の前編は、上り坂の義経を描いていて、後編は衣川(高館)の戦いに時間をかけたクライマックスとしていて、下り坂の義経をテーマに絞っているという感じであった。

 

3.登場人物たち

 

最後に、主人公を取り巻く登場人物をご紹介する。

 

藤純子(現富司純子)演ずるヒロイン静御前。

 

 

この大河ドラマ共演が契機となり、尾上菊之助とリアルでもご夫婦になられた。昨年春まで放送されていた『カムカムエヴリバディ』に登場した桃剣さん(演:お二人のご子息五代目尾上菊之助)で懐かしさを感じたのも総集編購入のきっかけだった。そしてご息女は、今年の大河ドラマの語り手である。

 

緒形拳演ずる武蔵坊弁慶。クライマックスの立往生シーンである。

 

 

前作の主人公が年間ほぼ出ずっぱりの主要登場人物として登場するのは、私の記憶ではこれが最初で最後である。昨年と今年でいえば、小栗旬が本田忠勝役で登場するようなものだからだ。

 

春日太一著『大河ドラマの黄金時代』によれば、当時の演出吉田直哉氏は、1)二年連続で使ってスターとして育てたいという思いと、2)同じ役者が秀吉と弁慶を演ずることで「これは教科書ではなく役者が演ずるフィクションですよ」というメッセージにしたいという思い、だったそうである。前作『太閤記』が教科書ドラマなどと言われ、フィクションが史実とみなされてしまうことに危惧を感じたとのことである。

 

藤原秀衡(滝沢修)

 

私にとっての藤原秀衡のイメージはいつもこの方。歴史的には出家していないはずなので、法体なのは実は変なのだが、他の作品(近くは田中泯、『平清盛』では京本政樹)で烏帽子を被った秀衡を見るたびに、どうしても違和感を感じてしまう。子供時代の刷り込みは怖い。

総集編で見ることはできなかったが、鞍馬から平泉についた義経を迎える場面では、「ああ、この人のところに来たらもう安心」というような、大いなる庇護者の貫禄を子供心に感じたものである。
三年後の『天と地と』で景虎の父長尾為景としてチラッと登場したが、なんと言っても圧巻は『新平家物語』の後白河法皇であった。こちらは主人公の敵役として、メチャメチャ憎たらしかった。

 

私の中での大河ドラマ重鎮というと、この滝沢修を超える存在はまだいない。

 

 

平泉で義経と親交を結ぶ藤原忠衡

 

そう、若き日の古畑任三郎(田村正和)である。余談だが、上記『新平家物語』では崇徳上皇を演じていた。このドラマでの親(秀衡)子(忠衡)が、兄(崇徳)弟(後白河)と年齢順が逆転しているのでちょっと笑ってしまう。もっとも、崇徳は清盛(仲代達矢)の青年期の登場であり、後白河は清盛円熟期になって初めて登場したので(平治の乱でも姿を見せない)、視聴時に違和感は全くなかった。

 

義経主従の中から、常陸坊海尊(内藤武敏)。

かつての大河ドラマには脇役として欠かせず、『天と地と』で子役時代の景虎の栃尾での庇護者本庄実乃として再会できた。

 

敵方、平家からは、壇ノ浦の総大将、平知盛(市川竹之丞)。

歌舞伎役者である。

 

そして最後は、八艘跳の相手、能登守教経(山口崇)。

とにかく、カッコよかった。

 

市村竹之丞、山口崇の二人には、内藤武敏同様、三年後の『天と地と』で再会できた。それぞれ、景虎の最強のボディーガード(?)鬼小島弥太郎、最初は敵対するが姉を娶って良き理解者になる長尾政景であった。

 

こうやって、五十年以上も(いや、六十年近く)昔に視聴したドラマを総集編ではあるが、見直すと隔世の感と共に、当時の興奮が蘇るというものである。