『拝む手に 伝わるみ名の あたたかさ』
(高木 明義)
激しい世の中の移り変わりで、昔から伝わってきたことが次々に消えてゆきます。
良くない習慣も消えてゆきますが、美しい伝統文化も次々に消えています。
その中で、かろうじて、残っていることの一つは「合掌」、手を合わせることではないでしょうか。
お釈迦様の国、インドでは、今も、人間同士の日常の挨拶として、合掌が用いられています。
日本の佛教は形の上でも、インド以来の伝統を保っていることがわかります。
中身が大事か、外見が大事かという議論があります。
浄土真宗は、信心正因といい、阿弥陀如来さまを信じるこころが根本ですから、どちらかと言えば、中身が大事に傾いています。
一方、日本の伝統芸能や習い事は、形を身につけてゆく中で、こころが育つと考えられています。
今日のファッションやお化粧も、形を整えてこそ、生きる自信が湧いてくるという考えがあるようです。
合掌は、阿弥陀如来さま、親鸞聖人へのご挨拶という形から始まって、お慈悲に感謝する姿、他力の救いが私に現れた形、お浄土に往生された先人を偲ぶ時の姿、食前食後にいのちに感謝する姿など、さまざまの意味が詰まっています。
何時でもどこでも合掌できるわけではありませんし、手の不自由な方もいらっしゃいますが、心の中で手を合わせて、南無阿弥陀仏とお念佛申し、阿弥陀如来さまを思い、一切衆生、様々のいのちを思い起こし、こころ豊かな日々を過ごしたいものです。
~ あけぼのすぎ 浄土真宗一口法話 大谷光真 ~
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今月の言葉について
このページを訪ねて下さってありがとうございます。
このブログは大阪府池田市にあります浄土真宗本願寺派の寺院 照耀山 光妙寺のブログです。
兵庫県川西市へは歩いて30秒という、県境にある自然豊かな場所です。
さて、拙寺では毎月、今月の言葉と題しまして、浄土真宗本願寺派 本願寺(お西さん)の大谷光真前門主が著された「あけぼのすぎ 浄土真宗一口法話」のお言葉をご紹介しています。
この「あけぼのすぎ」は、私たちにわかりやすい言葉で語りかけられ、そのお言葉一つ一つに浄土真宗のぬくもりがたっぷりと込められています。
そのぬくもりが社会や個人をはじめ、あらゆるいのちへの「やさしさ」に変わっていくことを念じ、真に大切にしなければならないことを思い出すきっかけになればとおもっています。
称六字
追記
風邪を引いた身体には風邪薬を処方すればよいですが、私の心、いのちに関しての薬は一体どこにあるのでしょう。
どれだけ、医療が発達し、物質的に豊かになっても、私の心は取り繕うことはできません。
その心に働きかけるものが仏教であり、私のいのちの真の解決を促す薬として浄土真宗があり、その薬について一生涯研究、普及されたのが宗祖親鸞聖人でした。
私のいのちに関わること、その解決こそが本当のことであり、仏法聴聞こそが、心に作用する、本当のものを知る唯一の道でありましょう。