『 努力や思索の 延長から 仏に遇う世界は生まれない 』 ( 畑 龍英 )

 

 

 

 

 

このたび、皆様が本山に来て下さった訳を考えますと、佛縁、佛様のご縁としか言いようがありません。

 

 

 

 

 

その内容はお一人おひとり違うと思いますが、例えば、ご門徒の家に生まれた、ご門徒と結婚した、友達に誘われたなどがありましょう。

 

 

 

 

 

これは、目に見える外側のご縁です。

 

 

 

 

 

これは大切ですが、さらに、親鸞さまに遇い、阿弥陀如来さまに遇うご縁は内面に響くご縁ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

ご法話を聴くことが根本ですが、なにか辛いことがあった、親を亡くした、人生に疑問を感じたという逆縁、反対に、お念佛を喜ぶ方に温かく受け容れてもらった、阿弥陀如来さまにお参りして、心が落ち着いたというご縁があったかもしれません。

 

 

 

 

 

私が努力して阿弥陀如来様さまに遇うのではありませんが、ぼんやり過ごしているだけでは、様々のご縁に気付くこともありません。

 

 

 

 

 

南無阿弥陀佛とお念佛が出る時、しみじみと阿弥陀如来さまが育てて下さった、一緒にいて下さると味わうことができます。

 

 

 

 

 

~ あけぼのすぎ 浄土真宗一口法話  大谷光真 ~

 

 

 

 

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今月の言葉について

 

 

 

 

このページを訪ねて下さってありがとうございます。

 

 

 

 

このブログは大阪府池田市にあります浄土真宗本願寺派の寺院 照耀山 光妙寺のブログです。

 

 

 

 

兵庫県川西市へは歩いて30秒という、県境にある自然豊かな場所です。

 

 

 

 

さて、拙寺では毎月、今月の言葉と題しまして、浄土真宗本願寺派 本願寺(お西さん)の大谷光真前門主が著された「あけぼのすぎ 浄土真宗一口法話」のお言葉をご紹介しています。

 

 

 

 

この「あけぼのすぎ」は、私たちにわかりやすい言葉で語りかけられ、そのお言葉一つ一つに浄土真宗のぬくもりがたっぷりと込められています。

 

 

 

 

そのぬくもりが社会や個人をはじめ、あらゆるいのちへの「やさしさ」に変わっていくことを念じ、真に大切にしなければならないことを思い出すきっかけになればとおもっています。

 

 

 

 

別記事には、真宗教団連合から発行されております「法語カレンダー」のお言葉を私なりにお味わいさせていただいたページも掲載しておりまして、今月の言葉と同様に毎月更新しています。

 

 

 

 

若い浄土真宗の僧侶が、日常生活の中で感じることを、稚拙な文章で綴ったものですが、ご興味があればご一読ください。

 

 

 

 

称六字

 

 

 

 

追記

 

 

 

 

風邪を引いた身体には風邪薬を処方すればよいですが、私の心、いのちに関しての薬は一体どこにあるのでしょう。

 

 

 

 

どれだけ、医療が発達し、物質的に豊かになっても、私の心は取り繕うことはできません。

 

 

 

 

その心に働きかけるものが仏教であり、私のいのちの真の解決を促す薬として浄土真宗があり、その薬について一生涯研究、普及されたのが宗祖親鸞聖人でした。

 

 

 

 

私のいのちに関わること、その解決こそが本当のことであり、仏法聴聞こそが、心に作用する、本当のものを知る唯一の道でありましょう。