31 坂の上のアパート 一人暮らしスタート | 柿島伸次オフィシャルブログ powered by Ameba

31 坂の上のアパート 一人暮らしスタート

もっともっと本腰を入れたい、強くなりたい、自立しなければ。

オーディエンスを歌いだしたころから考え方が変わった。

そして一人暮らしをするために部屋を探した。

 

この時期リハは上大岡駅にあるスタジオ24というスタジオを時々使ってた。

 

弁当配達のバイト先とスタジオの中間の場所で部屋を探した。

たまたま一部屋だけ見つかった、その部屋はその区の中でも一番標高が高い場所だった。

急な坂道を大人の足であるいて15分、ひたすら登った坂の上のてっぺんにそのアパートはあった。

 

玄関開けたら2畳くらいのキッチン&バストイレ奥に六畳の畳の部屋、窓は一つ。

そこに学生時代から使ってた机、テレビ、布団、ギターなどを入れたら狭い狭い。

電話も引いた、なんか一人暮らしはじまったなぁって、しんみりとしたことを覚えている。

夜になると電車の音が遠くから聞こえた、その音を聞きながら眠った。

 

アパートでは大きな音は出せない、もちろんピアノもなかったからいつものスタジオ24に入った。

実家のありがたさをこの時知る、二階の廊下で歌えてた時はなんて恵まれたのだろう。

 

朝になったら原チャリで坂をくだってバイトに行く。

シートの下の収納場所にヘルメットと朝のうちにもらったライスと入れてそれを夕ご飯にした。

坂を登ってアパートに着いたら毎回同じ野菜炒めをつくって持ってきたライスの上にのせて食べる、味噌汁は弁当屋でもらったパック味噌汁。
 

食べ終わって少し休んだら坂を下ってスタジオ24に個人練習に入る。

練習帰りに近くの石丸電気のCDショップにタイトルだけみてまた坂道を登ってアパートへ帰る。

シャワーを浴びて少ししたら寝るのがルーティーン。

 

「毎日入ってくれるからギター置いてっていいですよ」スタジオ24の店長さんが言ってくれてギターをスタジオに置いてくれるようになった。それまではギターを足に挟んで原チャリに乗ってたからこれは本当に助かった。ウエイター時代のゴミ置場のおじさんをちょっと思い出した。

 

暮らし始めてしばらくしたらこの部屋でピアノが弾きたくなった、やっぱ必要だ!ピアノ。

そしてまたまた御茶ノ水へGO!。

そのころはコンパクトなエレピはなく足が一緒についてるヤマハクラビノーバとローランドくらいしかなかった気がする。

 

「私が貸すから!私に毎月返してくれればいいから!金利なんていらないから!」と彼女がいってくれて彼女ローンでヤマハクラビノーバを買った。

 

部屋は劇的に狭くなった(笑)。

 

この坂の上のアパート暮らしはのちにいろんな歌になった。