おおとり駆の城日記

明日の夜は 何国の誰か ながむらん なれし御城に 残す月かげ
新島八重


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「大天守」
備前丸から見上げる大天守の迫力には誰もが言葉を失います。
石垣の高さ15m、建物の高さ31m、あわせて46mあります。
現存天守ではもちろん最大規模です。

複雑に幾重にも重なる屋根や千鳥破風や唐破風のバランス、白漆喰総塗籠の壁など、まさに芸術品。白鷺城の名にふさわしい佇まいです。

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姫路城は大天守と小天守3基を渡り廊下で結んだいわゆる連立式天守です。
他にも伊予松山城、和歌山城などが連立式天守として知られていますが、その中でももちろん姫路城が最大規模です。

天守台は、もともとここにあったとされる秀吉時代の3層4階の天守を解体し、同じ場所に石垣を積み直して池田輝政が築いたものです。
昭和の大修理の折、コンクリートの地盤を埋め込むために天守台を掘ったところ、地中から秀吉時代の天守台が発掘されています。
また大天守の石垣の下方が黒ずんでいるのは、その部分には軒がないため、常に雨が当たることによって、長い歳月で変色したものだそうです。酸性雨の影響なんですね。

大天守にも石落しなどの仕掛けは見えますが、万一ここまで攻め込まれたら落城は時間の問題だったことは言うまでもありません。

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「備前丸」
かつてここ備前丸にも御殿がありましたが、明治15年の火災で
焼失してしまいます。
今は広場になっているので、記念撮影スポットして人気です。
ところで、ここ姫路はかつて「播磨国」だったはずなのになぜ備前丸?という疑問が当然わきますが、これは池田輝政の次男忠継が備前国を与えられた時、まだ幼少であったため、暫くここにあった御殿に住んでいたことが由来とされています。

「瓦紋」
城主が何度も交替した姫路城では歴代城主の家紋を見ることが
できます。
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揚羽蝶は池田家の家紋

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三つ巴は譜代大名松平氏の家紋


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東小天守

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乾小天守

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西小天守

内側にも華頭窓や千鳥破風が施されています


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大天守最上階から三の丸広場、駅方面

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西の丸、化粧櫓

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ARで見る江戸時代の城下

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長壁(刑部)神社
大天守最上階に祀られている姫路城の守護神で火災除け、厄除けに霊験あらたかとされています。
姫路城が築城される以前から姫山にあった神社で江戸時代には「との門」付近に鎮座していたそうです。


このほか大天守の中には珍しい便所、流しなどを見ることができます。
天守内はほとんど照明がなく暗いので全体として展示品も少なめです。

その4へ続く


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