昭南特別市内は、第7師団司令部の膝元であり、情報も正しく伝わったため、あまり混乱はみられなかった。しかし、マラヤの壁地によっては、情報の乱れから住民を混乱させた。マライ半島東海岸のトレンガヌ軍政所長だった友重繁氏の「馬来戦線の終局」(「赤道標」所載)によると、敗戦をニューデリー放送で知った友重氏は、8月16日、隣接の在タイ「山」部隊から、州内の邦人(400名)を連れて国外へ退避せよとの電報が入ったため、引率して。途中クランタン州の約100名の軍政要員までくわえ、やっとのことで国境を越えてタイ領に逃れた。そして”流浪の民”みたいに3週間、各地を転々として歩いたが、正式命令系統のタイピンにある第27軍政本部から再度命令があり、再びマライのスンガイ・パタニへ移動させられた。