第5師団と第18師団の上陸した地点はクランジ川の西方で、東部はクランジの湿地帯、西部は未開の丘陵が迫る狭い地域だった。砲弾が飛び交い、激しい銃撃戦の中での壮烈な敵前上陸だった。両軍の上陸後の命令は,テンガ飛行場の奪取であった。第5師団長の松井太久郎中将は、第3回の渡河で午前6時頃前線司令部に入った。一方、牟田口第18師団長も第3回目の渡河で午前6時頃105高地地区の海岸へ着いた。背後は丘になっていてやっと苦労して登ったところ、逃走中の英国軍の部隊と遭遇し、敵が投げた手榴弾の破片が当り、傷を負い、猪野正参謀は片足を切断する重傷を負った。しかし、両師団とも激しい敵の抵抗にあいながらも前進、2月9日夕方には第5師団安藤隊がテンガー周辺に到着した。後続部隊も次々と敵を撃破して東進、10日午後にはベンシャン川左岸からブキ・パンジャン高地へ攻撃をかけ、22時30分、同高地を占拠した。

10日朝からブキティマをめぐる激しい戦闘が始まった。まさにシンガポール戦の天王山であった。セレーター軍港付近の破壊された重油タンクからの黒い煙がスコールで黒い雨となってなって降ってくる。これが硝煙とまじり騒然として戦場の空気をかもし出す。11日午前0時半、戦車隊を先頭に第5師団は、ブキティマ高地へ大攻勢に出たガ,対戦車砲、機関銃で固めた要塞はびくともしない。未明にブキティマ集落が突破され、双方の砲撃は最高潮に達した。随所で激しい白兵戦があり大きな犠牲を出したが、戦局は膠着状態のまま12日も終わった。