月参り:杉本全機(無碍)和尚の一行 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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昨日(5日)、

お寺様に<月参り>に来て頂きました。

 

私がまだ、

幼少の頃から毎月来て頂いていますので

もう60年以上続いています。

私は別に、

熱心な(仏教の)信者ではありませんが、それが我が家の伝統と軽く思っています。

 

月参りの日は、

「仏説阿弥陀経」をお寺様が読まれた後に、家族で「正信偈(しょうしんげ)」を唱えます。

子供達が独立する前までは家族全員で唱えていましたが現在は妻と二人のみ。

そして、

仏事の話を込めた世間話をしながら1時間程、お見えになります。

 

私「洋ちゃん」のひとりごとです

毎月の我が家のきまった行事ですので全く苦になりません。

 

毎月、来て頂けるおかげで、

家中の掃除、玄関・庭等の整理整頓ができ家の中、回りも片付きます。

床の間の掛軸も季期にあったものに取替えたりしています。

 

また

故両親・の思い出が偲ばれたり、

過去の自分の成長過程などを振り返るキッカケにもなります

気持も引き締まります。

 

毎月

私より少し年長のお寺様で稲沢市祖父江町の遠方から来て頂いています。

これからも、感謝の気持を保ちつつ、お寺様をお迎えします。

 

昨日、床の間に飾った杉本全機(無碍)和尚の一行です。
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詠み方

掬水月在手

(水を掬すれば月 手に在り)

 

意味…秋の夜、刻々として月は輝き照り、水面に映す。

その水を手に取ってみると月は手の中にも宿る。

月の光は仏の大悲大慈心であり、仏法そのものである。

貴賤貧富によらず、男女老若わけ隔てなく慈悲の光を及ぼす

(ネットより転写)

 

 

杉本全機(すぎもとぜんき・1881~1949)

海部郡佐織町の出身。滋賀県神崎郡徳正寺で落髪。

京都円通寺、名古屋徳源寺を経て、昭和7年(1932)3月、

松岡喝山老師のあとを継いで妙興寺に住した

 

無欲恬淡、少しも飾るところがない人柄である一方、

京都の人見少華(ひとみしょうか)に

南画を習い、陶芸の趣味をもつ風流人でもあった。

 

昭和24年妙心寺管長に選ばれたが、

同年9月に急逝。諱は宗円、号は無碍窟(むげくつ)。


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