日曜の朝、と言ってももう昼に近い時間に目が覚める。

昨日のアルコールが軽い頭痛を引き起こしていた。


シュンタから深夜に届いたメールには返事をしていない。

「…話がある」とは、何のことだろう。


シャワーを浴びて少し経つと頭痛が治まってくる。

念の為アスピリンを飲んだ。


今日は予約した美容院に行かなくてはならない。

新聞を捲りながら紅茶を啜った。

気に入りのハロッズの14、茶葉が無くなりそうだ。

美容院の帰りにデパートに寄って帰ろう。

それから新しいブーツも欲しい、書店にも寄って母に頼まれた干菓子も買わなければ。


することは、結構ある。忙しく過ごしてシュンタを忘れよう。

シャワーの前に入れておいた洗濯機が乾燥まで終わったと電子音で知らせた。


休日の電車は混んでいないところが好きだ。

代々木で下車して徒歩ですぐのサロンでカットをする。

雑誌を渡され、普段収集できない情報を貪る。


しかし、洒落たサロンでは女性誌でもゴシップネタの多い週刊誌は置いていない。
殆どが、ファッション紙だった。


仕上がりは、毛先を揃えたに止まるので変わり映えはしないが、前髪が少々伸び

ていたのを、切ったのでサッパリとした気持ちになった。


その後、新宿に出てデパートに向かった。


紅茶の売り場で茶葉を物色する。
アッサム、アールグレイ、ダージリン、オレンジペコ、モーニングブレンドに…。

時間を忘れて缶を一つ一つ手に取ったりして楽しんでいた。

籠に入れてレジで並ぶと、バックから携帯の着信音が響く。

メールでなく直接電話を掛けてきたシュンタの名が二つ折りを開かずともディ

スプレーの窓からわかった。


「もしもし…。」

「もしもし、俺。出るの遅いなぁ。」



シュンタは私が心で葛藤していることなど、気にも留めていなかった。

タクシーに乗車してから、車中でマコトと初めて唇を重ねた。

それは単にキスをした、ということなのかもしれなかったが、キャンディーを含み

ながらのその行為は、強く性的な匂いのするキスだった。

このまま今夜マコトの家に上がれば間違なく求められるであろう、そして私は受け

入れてしまうのか。

多分答えはイエスだろう。

マコトは優しい、思いやりのある男、どうせ同じ時間を過ごすなら情の薄いシュンタ

よりずっといい。

私の胸の内で考えが固まってきつつあった、そして、先ほどのキスに身体の芯が

溶け出してしまったようだ。

焼肉店で乾杯したマッコリの酔いも思考を緩やかにしてもいる。


「あ、運転手さん、そこ曲がって都立大方面に行って下さい。」

マコトは自宅のルートから、私の家に向かう様にドライバーに変更を指示した。

「え、先に私の家に行ってくれるの?」

拍子抜けした私はやや遠回しにした言い方で、マコトの真意を聞きたい。


「うん、送ってから帰るよ。もう少し一緒にいたいから。」

私は完全に肩透かしをくった。


タクシーは私が家族と住む家のすぐ近くの交差点で赤信号で停止した。


信号を待つ間にマコトが再び私の手を握る。
今度は軽く握り、その手を自分の口許に持って行った。

私の指先を自分の口にほんの少し含んで歯を当てたりする。


「ねぇ、真千子ちゃん、前の忘れられない彼氏だけど、僕が忘れさせたいよ。

すぐにじゃ無理かもしれないから、ゆっくりでいいんだ。僕は真千子ちゃんを

大事にしたいから。」


タクシーを降りて、マコトの残る車に向かい、手を振った。


「おやすみ、じゃぁね。今日は、ありがとう。」

大事にするとマコトは言った。そう、それならそれがいいだろう。

ベットの中でマコトの話を反芻していたが、すぐに深い眠りに落ちていった。



どれ位たっただろうか、私の自室のサイドテーブルの上に置かれた携帯が

メールの着信を告げた。

眠い目をこすりながら確認する。

暗い部屋で文字だけが青白く浮かび上がっている。



「明日は時間取れる? 話がある。」



短い一方的なこの文は、シュンタからのメッセージだった。

土曜日の宵の口、渋谷のセンター街は若者達でごったがえし、通りは

ひっきりなしの往来がある。


その中でシュンタらしき人物と連れの女性が今、道路の反対側を歩いて、

こちら方面に進んできている。

初めは小さく顔まではっきり認識出来ない距離から、やっと分かる位置までやってきた。


「あっ、」

私は思わず声に出してしまったが、そのシュンタに酷似していた筈の男はまった

く別人であった。

確かに背格好は似ていた。けれど、顔付きは造作がかなり違うではないか。


それは、私の潜在意識が見せる幻影だろうか。

気持ちの中で蛇がとぐろを巻いているようにシュンタがいる。

そして付け入る隙があればいつでも幻となって現れた。


「真千子ちゃん、真千子ちゃん!」

マコトに呼ばれて我に返った。

「はい、え、と…」

「大丈夫?誰か知っている人?」

「あ、ごめんなさい。友達に似ている人がいたけど人違いみたい。」

「そう。ねぇ、焼肉食べる?この近くに知ってる店があるけど、行ってみる?」


マコトは少し訝しがったが、そのまま焼肉店まで私を連れて行った。

「ここ、狭くて綺麗じゃないけど美味しいんだ。よそと同じ値段で良い肉を出すんだ。」

店内は煙と匂いが充満していた。

小さなテーブルに訛りのある、おそらく韓国人の女店員がオーダーを取りに来る。

飲み物を持って来る前にテーブルの七輪に予め熱した炭をくべて金網を載せた。

この店はマコトの言うように肉の厚みがあり、食欲の余り無い私には少しばかり

ヘビーな感じだった。

しかし人気店に並ばず入れたのは運が良かったようだ。

「ご馳走さま。ボリューム満点で、でも柔らかくて美味しかった。」

「そうでしょ、きどった焼肉屋に行けなくなっちゃうよ。ほら、もうこんなに並んでいるよ。」


雑居ビルの二階の階段を下がる。私達が降りる逆方向に階下まで人が並んで

空きを待っていた。


それからタクシーに乗り三軒茶屋方面のマコトの家に向う。


「マッコリはきくね。はぁ、酔っ払ちゃったなぁ。

僕は真千子といると、ホッするんだ。」

マコトは私の手を握ると自分の膝の上に載せた。

それからその手を引いて自分に寄せると私の頬を両手の平で挟んだ。

私は身動きこそ出来なかったが、ルームミラーを思わず気にしてしまう。

そのままゆっくりとマコトの顔が近付き、唇が触れる。

マコトの指の長い大きな手は私の肩に軽く置かれ柔らかく湿った唇は既に私の口

をすっかりふさいでいた。

焼肉店で会計時にもらったメントールのキャンディーを二人は口に含んだまま、

キャンディーが舌先で踊る。


キャンディーは互いの口の中を行ったり来りしていた。


どちらのものとは区別のつかない唾液が飴のせいで口の中に溜まってしまう。

否応無しに溢れてくるその唾液をコクリ、と嚥下せざるをえなかった。