シュンタはベットで軽い寝息を立てていた。
私も少しまどろみかけたが、時計の針が深夜十二時近くをさしているの
で帰らねばならない。


スルリと滑らかなシルクの寝具から抜け出した。

素裸で立ち上がり薄暗がりの中脱ぎ捨てられた衣服を探す。

「お尻の形がいいな。桃のようで。」不意にシュンタが声を掛けた。

「時間だから帰るね。」

「え、何時?」

「十二時十二分前」

「もうそんな時間? 泊まって行きなよ。 そうしたらもう一回出来るよ。」


シュンタが欠伸をしながら甘えたような声で言う。

「明日は朝会議なの、また連絡するね。」

「下まで送るよ。」

「大丈夫、寝ていて。」


終電に間に合ったので電車に揺られながら予定外の今日の出来ごとの余韻に浸っていた。

シュンタとベットを共にするのも随分と久し振りだった。
何人もいない私の男性経験でシュンタは初めて深い快楽を私に与えた男だ。
付き合い始めの一年間は、お互いの身体を知る事が楽しくて仕方がなかった。


二年目は安定した関係が暫く続いて、当たり前の行為になっていった。
その頃から、私はシュンタがこの先の二人の関係を発展的に考える事を望むようになった。


結婚しようと、シュンタは決して言わなかった。
一緒暮らしてみるかとは何時尋ねることはありはしたが。

それは私にとってシュンタの自分への愛情の不足を感じる重大な要素になっていった。

「先のことは、わからないよ。仕事が今は一番大事だから。」


私はその時から、シュンタとの間に距離感を感じるようになった。

私達が続いていたとしても何の約束もない、横から誰かに割り込まれてしまう可能性が
あるのだ。
そしてそれからは、口に出さずにはいても猜疑心で心は支配されていったのだ。

出張と聞いても、誰かと一緒ではないのか?
予定がある週末は誰と会っているのだろうか?
それは、底無し沼のように抜け出せない思考だ。
たまらなくなりシュンタに尋ねたかったが、尋ねる事でうっとおしく感じさせてしまい、自分
が切り捨てられてしまうことを恐れていた。



マコトのような存在が必要になっていったのは、その頃だ。


駅から自宅に歩く道に薄ピンクの山茶花が幾つも暗い生け垣の合間に浮かんで見えた。


淡い花びらの八重咲きの山茶花は盛りが過ぎると花だけ茶褐色に枯れ始め、首からポト
リと路面に落ちる。

でも、今、私の目に映る山茶花の花達はとても幻想的であり自らの美しさを誇っているよ
うに見えた。
私は軽く目を閉じて冷たい白い革のソファに横たわった。

シュンタは私の足許のほうのソファの下に跪きレースのストッキングをソロソロと
下ろしてゆく。ゆっくりと、楽しみながら。


シュンタがデザート皿から顔を上げて私に向けた目は、明らかに落胆の色を隠せない。
ただの落胆ではなく、軽蔑も含まれているようだった。

少しの沈黙は、私を震わせた。
蛇に睨まれた蛙そのものに。

「なんて、嘘。ねぇ、この後イルミネーション見てから帰ろう、ね。」

完全な私の敗北であった。私はシュンタから逃れられない。
別れるなど出来ないくせに口にしてみる私の甘さをシュンタは一瞬で、殺した。


大理石の床に敷かれた毛足の長いカーペットに膝を折って、女のタイツを下ろす
シュンタの姿は、下僕だった。

私の心をキリキリといつも締め付けるシュンタ、そしてヒリヒリと火傷をさせられて
いる私、しかし今は女主人だった。

私はその落差に溺れているのだ、耽溺している。

シュンタは私の爪先にキスをした。
私は、くすぐったさと少し違う感覚に身震いする。
冷たい床、冷たいソファ、冷たい唇、それなのに私の身体は火の様に熱くなっていった。


そしてそれから、私はシャンパングラスとなり、シュンタという下僕が注ぐ愛と言うには冷
た過ぎる液体を注がれると、無数の気泡と共に昇りつめていった。


もう、きっと優し過ぎるマコトの元には帰れないだろう。


マコトにすまない、と詫びながらシュンタの肩に歯形を付けた。


マコトの家のどっしりとしたベージュの布張りのソファは暖かだったのに。

けやき坂のイルミネーションは白と青で遠くに東京タワーの上部が見える。


私は買い物を切り上げて結局シュンタの指定した待ち合わせ場所、ヒルズに来ていた。


「ハイアットの中にいるよ。」


一緒にイルミネーションを見るようなつもりはシュンタにはないようだ。


レストランに入るとシュンタはシャンパンを注文する。

「乾杯。」


シュンタは意味在り気に微笑みを浮かべている。

話があるというのは、何のことなのだろう。

「何かお祝いごと?」

「うん、前に話していたと思うけど、決まったんだ。会社移籍するよ。」


数ヶ月前にヘットハンティングの話があると聞いてはいたが、

その後具体的な話はまったく聞いてはいなかった。

「そう、良かったね。おめでとうございます。」


「この一週間は仕事の合間に相手方と何回か面談をしたりしてバタバタだったよ。」

なるほど、連絡の無いわけだ。
もっともシュンタなら、ということではあるけれども。

「何だか、浮かない顔だけど、一緒に祝ってくれないの?」

「そんな事ないけど、急な話だったから。」

「この前、ゆっくり説明しようと思っていたのに帰っちゃったでしょ。 俺何かした?」

「うん、まぁちょっと気になることもあってね、このままでいいのかなって思ったの。」

「俺は仕事に夢中になると他は後回しにしてしまうってわかっているでしょ?」

「そうだね、昔からそうだよね。仕事一番、真千子は二番目って言っていたよね。」

それは構わない、良いとは思ってはいないが、仕事に打ち込むシュンタが好きだ。

私の気にかかっていることは、違う処にあると、シュンタは実はわかっているが敢

えてとぼけているのではないか。


プリフィクスで選んだ前菜やメインの料理が運ばれてくる。

シュンタは忙しくフォークを口に運んでいる。 ワインも数杯飲んでいた。

シュンタは自分の時計で生きているのだ。
ついてこれないなら、置いて行く。


「そうだ、そこに移ったら海外赴任になる可能性大なんだ。そうしたら真千子には

一緒に行ってもらわなきゃ。」

「え、どこに?」

「まだわからないけどね、香港、NY 、上海かな。移籍自体が来年、年明け過ぎ

てからだから。」

シュンタは決まったばかりの転職に興奮していたが、私が憂いていることに触れ

たくないことも手伝って、饒舌な割に目をあまり合わせようとしない。


「私、シュンタについて行けるかわからない。 無理の様な気がする。」

シュンタはドルチェのチョコレートの焼き菓子とフランヴォアーズを掬う手を止めて

、私の顔をやっと見る。

不本意だとその目は口に出す以上に物語っていた。