「お客さん、今日は冷えますね。

日中は日が差すと暖かいから夜は余計寒いですよ。」

「そうですね。本当に。」

「私さっきね、とんでも無いお客を乗せましてね。お客さんぐらいの年格好の女の

人と少し年上の男の人のカップルを乗せたんですよ。

発進して直ぐに後ろから凄い勢いで追いかけてくるんですよ、女の人が。」

「タクシーを追いかけてきたのですか?」

「そうなんですよ。男のお客さんが、振り向きながら、いいから進んでくれって言うんですよ。

まぁ、わけありなんだなって感じですが、細い道なんでそんなにスピードも出せないし、そし

たら赤信号で捕まっちゃたんですよ。窓に張り付いてドンドン叩くんですよ。」

「えー、怖い。」

「それなのに、進んでくれって言うから、危なくて無理ですよ、引きずったら大変ですからね、

お代はいりませんから、降りてくれって言いましたよ。」

「二人は降りたのですか?」

「降りましたよ。しぶしぶでしたが危ないでしょ、そんなのに巻き添えくったら大変ですよ。」

「そうですよね。でもどうゆう関係だったのかしら。」

「ドア開けたら、中の女の人は髪の毛鷲掴みされて引きずりだされてましたよ。男は青くな

ってましたね。やめてくれ、落ち着いてくれってオロオロしていましたから。」

「じゃ、追いかけてきたのは奥さんですね、きっと。」

「だと思いますね。引きずり出されたほうが彼女じゃなんじゃないですかね。」

「後は、どうなったんでしょう。修羅場ですね。」

「そりゃ、大変でしょ。あの奥さんじゃ、怖いですよ。まったくいい迷惑でしたよ。」




修羅場か…私は何のためにシュンタのマンションに向かっているのだろう、浮気?

シュンタの浮気を暴きに行くのだろうか?

「でも、お客さん男は女のあんな怖い姿みたら逃げたくなりますよ。」


もし、シュンタの部屋を訪れて女がいたらどうするのか?

そして私のバスローブを使って、ソファで二人でグラスを傾けているかもしれないし

、シュンタはその女の髪を撫でているかもしれない、それとももっと…私の心は、た

ちまちヒリヒリと焼け付く様な感覚を覚えた。


もしそれが、私の予感が的中してそのような光景が目の前に広がっていたら…恐ら

く平常心を失ってしまうだろう。

そして恐ろしい形相でシュンタを罵るだろう。
そんな怖い女の元には帰って来ないのではないか?


私にもマコトという別の男がいた。今回は様子を見よう。

感情にまかせて行動してしまうのは、よくないことに違いなかった。
クリスマスには二人旅行もひかえているし、様子を見る方がよいだろう。。。。。


「すいません運転手さん、忘れ物したのでまた出直します。戻ってくれませんか?」


私は家に戻り、そのまま休んだ。

後で起こることも夢にも思わずに…。

「それ、どうしたの?」

「え?何、これのこと?」

「そう、それ幸福のペンダントでしょ。」

「あぁ、そうなんだ。会社のアシスタントがくれたんだけど。今流行っているの?」

「流行っているのかな?デパートで見掛けたから。」

「よく知らないけど、取り敢えず暫く使わないと悪いかと思って。」

「そうね、せっかくプレゼントしてくれたのにね。」

「プレゼントじゃないよ。俺が辞めると彼女は派遣だから仕事がなくなるんだ。だから上司
に次の担当者を頼んだらお礼にって。」

「ふーん。お礼なんだ。」


前の私なら、もっと追求してシュンタの機嫌を損ねてしまっていたかもしれない。
しかし、今はここまでにしておこう。会っている時は楽しむべきなのだ。

「ね、お腹すいた。」

「うん、何食べようか?牡蛎は?、生牡蛎、オイスター食べよう。」



産地別に大皿に盛られた数種類の生牡蛎を食べながら、シュンタはシャブリを一本
あっさりと流し込んでいた。

「そうだ、クリスマスは何処に行くか決めた?」

「え、決めちゃっていいの?温泉旅行にするの?」

「そうだなぁ、のんびりできる所がいい。あまり人が多くないところで。」

「鄙びた土地の秘湯巡り?」

「混浴がいいな。」

「湯治のお婆さんの沢山いる所にしようっと。」

「ちょっと、勘弁してください。」


努めて和やかに過ごそうと私は芝居ががった会話を仕向けてシュンタを油断させていた。

それは、緻密な計算ではなく、脳が勝手にそうしろと命令しているようだった。シュンタは酔
いも手伝って上機嫌だ。

…そろそろ店を出るというので、シュンタがテーブルで会計をしている間に化粧室に向かった。

鏡の中の私は目尻の辺りがほんのりと赤く染まっていた。

少し化粧を直してから暗い店内を通りテーブルに戻る。
けれどそこには下げられていない食器や残骸は残っているが、シュンタの姿は無かった。

いつもなら、先に店の外に出てしまうことは、ない。シュンタも化粧室に行ったのだろうか。

しかし、シュンタの手提げ鞄ごと荷物も何もなかった。どうやら店の外にいるようだった。

私は店を出て直ぐの薄暗い植え込みの陰で携帯電話で話しているシュンタを見つけた。

後ろを向いているシュンタの側にそっと近付いた。


「だから、後でまた電話するよ。うん…うん、そう。わかった。 じゃぁ。」

聞こえた会話、シュンタが何となく誰かをなだめているようだ。

親しさもある会話のように感じる。あのペンダントの送り主だろうか?

仕事の世話をして、お礼に3、4千円のアクセサリーを果たして渡すだろうか?

電話を終えてから黒のコートのポケットに携帯をしまってからシュンタは向きを変えた。

「お、ビックリした。今来たの?仕事の電話掛かってきて外に出ていたんだ。」

狼狽気味のシュンタに、嘘の匂いが立ち込めていた。

「もう、大丈夫なの? 急ぎの仕事とか?」

「うん、大丈夫。ちょっとした確認だったから、問題ないよ。」

「そう、良かった。」

「寒いなぁ、気温がグッと下がった。もう一軒行こうと思ったけど、真千子が風邪引いたらマズ
いな。タクシー捕まえるよ。」


シュンタはそう言ってから、素早く通りに出てタクシーを拾いに行った。

私を先に下ろしてシュンタを載せたタクシーが去って行った。



私は家に戻らず、そうしろと命令されて動く人形のように、迷いも無く別のタクシーを捕まえ
て乗り込んだ。


勿論、タクシーの行き先はシュンタのマンションである。



車は瞬く間もなく、山茶花の生垣を通り過ぎた。


一週間のはじまりの朝、気持ちの迷いは影を潜めていた。

朝夕の冷え込みは冬を確実に物語っている。今朝からレザーの手袋をして通勤に臨む。

冷たい空気が頬や鼻先を容赦無く冷やすが、心の迷いが無くなると寒い朝でさえ爽やかな心持ちの一週間の始まりを迎えていた。

簡単なことだった。
シュンタがどう思っているかに囚われず、自分がどう思っているかに重きを置けばよいのだった。
シュンタに自分の理想をいくら常識だからと当てはめてみても彼に常識でなければ意味がない。


そして私はシュンタを愛している。
それは欠け替えのないものと受け入れてしまえば自己への愛情の見返りのようなものを要求することが薄れてゆく。ともすれば、淡泊な感情であるかもしれないが、何かを求めないことは気が楽であった。…それからは、マコトへの連絡も途切れがちになり、週末も二人で過ごすことも無くなっていった。

マコトも察しがついていたのだろう。
静かにフェードアウトしてゆくマコトとの関係があった。

不思議な事に以前よりシュンタの連絡の回数が増えたようだ。
「もしもし、今帰りのタクシーの中だけど」

「そう、お疲れ様。今日は忙しかった?」

「あぁ、もう会社には辞めて他社に移ること言ったからね。ボチボチ引き継ぎなんかもしなくちゃなんない。」

「じゃ、年末まで大変じゃない?」

「そうでもないよ。最後は一斉に挨拶してしまえばいいから。チーム仕事じゃないからね。」

「クリスマスはどう?」
「休めるよ。連休だね。何処か泊まりがけで行こうか?」

「本当?いいね。何処にするの?」

そんなごく普通の会話が幸せと思えた。
そして、その幸福感はいたずらにシュンタの行動を疑ったり、今まで冷淡だと思えた

態度も消してゆく。

十二月のカレンダーは足早にすぎていった。


私はシュンタの白革のソファをマコトの居心地の良いソファでは無く選んだつもりでいた。

座り心地は良くないかもしれないが、腰掛けてみたい椅子だ。


クリスマスのプレゼントは何がよいのだろう、仕事を終えてからデパートに寄る。

幸福のペンダントという馬蹄型の皮紐のついたアクセサリーを見つけた。

こんなもので幸福が手に入るわけはないだろう。

一瞥して通り過ぎたが、紐の色で願い事が違うという文字に引かれて、立ち止まった。

高価ではない、やはり子供騙しの玩具のような物としか考えられなかった。


数日後、クリスマスのこともあるので会いたいとシュンタからメールが入る。

恵比寿駅で待ち合わせると私が少し早く着いていた。

改札の外で待つ私のもとに軽く手を振りながら、歩いて来るシュンタ。

振っている手は携帯電話が握られている。

何かが小さく揺れた。 携帯電話のストラップが着いていた。


近付くと、それはあの幸福のペンダントであった。
オレンジの色は…二人の幸せがいつまでも続くように…