先月大垣の奥の細道結びの地記念館へ行って来た。

松尾芭蕉が歩いてきた道と呼んだ俳句が紹介されていた。

 

松尾芭蕉は旅を通して不易流行を求めていたとのことだった。

不易は変わらないもの、流行は変わり行くものの事らしい。

物事はかわりながらも本質的に変わらないものがある、という概念とのこと。

これだけ書くと分かりににくいけど、私なりにひらたく解釈した例としては、

 

食生活は時代とともに変わってゆくが、腹を満たし人とのコミュニケーションを図る点はいつの時代もかわらない。

 

こんなところだろうか。

 

創作においても不易流行の概念は一度見直してみるのは有効だと思う。

VOCALOIDは非常に新しいコンテンツであるが、表現するという点では松尾芭蕉の時代、それ以前からもかわらない。

私もボカロPの端くれとして日々作品作りをしているわけだが、未だに評価されるレベルのものは作れていない。

単純な話、もっとうまくなれば評価されるのだろうけど、うまくない作品も作品には違いない。

未熟であるということも含めて表現だといえる。

だから未熟な作品を作り続けてその過程で少しずつうまくなれば、成長の過程も垣間見えるはずだ。

作品を作りつづけるという不易と、成長するという流行。

作り続ければ奥の細道ぐらいのスケールにならんだろうか。