映画「パリの家族たち」 令和元年5月25日公開 ★★★☆☆

(フランス語、 字幕翻訳 横井和子)

 

 

5月のパリ。

ジャーナリストで、2人の思春期の子供を持つシングルマザーのダフネは仕事第一で、

親子の関係はぎくしゃくしている。

大統領のアンヌは、母親と国家元首という二つの責任の重さにプレッシャーを感じていた。

小児科医のイザベルは、幼いころの母との関係が影響し、出産して母になることを恐れる。

大学教授で独身のナタリーは、教え子との恋愛をエンジョイしていた。        (シネマ・トゥデイ)


パリで働く40代くらいの三姉妹

 

長女 イザベル (小児科医)

二女 ダフネ  (ジャーナリスト)

三女 ナタリー (大学教授)

 

この三姉妹、職業もさまざまですが、子どもに関する考え方が三者三様で

イザベル→ 結婚しているがなかなか子宝に恵まれず、

        それでも子どもが欲しいので養子を検討中。

ダフネ →  シングルマザーで二人の子どもを育てているが

        子どもたちは子守りのテレーズにしか懐いていない。

ナタリー → 結婚するつもりもなく、若い教え子と楽しんでいるものの

         彼が子どもを望んでいるのが許せない。

 

姉妹の母親のジャクリーヌは厳しい母でしたが、

認知症の症状がひどくなってからは、母の介護問題が三人の悩みの種です。

 

女性初の大統領となったアンヌは、産休から復帰したばかり。

育休をとった夫に支えられてなんとか業務をこなしているものの

「雌ライオンと思って投票したのに

子どもを産んだら子猫ちゃんになってしまった」とかいわれて、

仕事の重責と子育ての間で悩んでいます。

 

花屋で働くココは、交際しているスタンとの子どもを妊娠したものの

スタンに言い出せずに悩んでいます。

スタンは脳梗塞の病歴のある母のアリアンの体が心配で、年中実家にいっているのですが、

元女優のアリアンは、むしろ息子の過保護を迷惑に感じているのです。

 

登場人物はそれぞれ「悩める人」なんですが、

ひとり、テレーズだけは「理想的な母性の女性」として描かれます。

群像劇にはそれぞれのグループに必ず「結節点」が存在するんですが、

本作ではテレーズ。

彼女はなんと大統領アンヌの母なのです。びっくり!(このことは後述)

 

ある日、テレーズがけがをして子守りができなくなったことで

ダフネは子どもたちと向き合うようになり、

アリアンは近所の男性に恋人のふりをしてもらって、息子を遠ざけ、

イザベルはアフリカからの養子縁組の手続きを進め、

大きな進展はないものの、ゆるゆると話は進んでいきます。

 

最後は、テレビの生放送で、ダフネは大統領であるアンナにインタビューし、

アンナは国民に向かって、出産し母になったことで生じる葛藤を素直に言葉にし、

それぞれの登場人物がそれをテレビで見ています。

また、三姉妹は母と「年寄りの多いレストラン」で食事をして、ひとりずつ席を立っていきます。

そこは認知症患者を受け入れる施設で、

ひとりになった母に「部屋を案内しましょう」という係の男性が声をかけ、

腕を組んで歩いていく母の姿を3姉妹が見守るところでおしまい。     (あらすじ ここまで)

 

 

 

同じような年恰好のフランス女性が次から次へと登場し、有名女優もいないから、

最初見たときは、なかなか関係がわからず、混乱しました。

あらすじには整理して書きましたが、この順ででてくるわけではありません。

 

三姉妹は、同じ家に生まれてなんでここまで?と思うくらい考え方が違うのですが、

仲が悪いわけではなく、共通の悩みである母のことでは良く集まっています。

この場には友人のブランシュが姉妹のようによく同席するのですが、

彼女は暇をもてあます専業主婦で、自分の母が大嫌い。

小学校で「母の日のイベントを辞める」という教師にも憤慨しています。

 

この作品、原題は「母の日」なので、この日に関するエピソードが何度も登場します。

小学校では、母のいない子や母が二人いる子など複雑な家族の構成に

学校では一律に対応できないから、そういうのはそれぞれの家庭で祝ってください、

という教師に、保護者達が大反対しているシーンが出てきます。

 

また、ナタリーは大学の授業のなかで、母の日の創設者として知られる

アンナ・ジャービス(1864-1948)の話をします。

自分の母の死をきっかけに母に感謝してカーネーションを贈る日を作ったものの

あまりの商業主義の蔓延に辟易として、晩年は反対運動に転じたとか。

母の日の記念切手に採用されたホイッスラーの描いた母の肖像の講義もしていました。

「母の日ドラマ」なので、「母性」にかかわりそうなエピソードをいくつか登場させてみました、程度ですね。

 

ところで、ダフネの子どものベビーシッターをしているテレーズが「大統領の母」というのが受け入れられず、

なにか事情があるのかと思ってずっと見ていました。

母親だと名乗れない事情があるとか、過去になにか確執があるとか・・・

でもテレーズが入院した時に普通に大統領はお見舞いにきていたし、

ダフネと大統領は知り合いだし、本人たちの間ではいたって普通だと思われているようです。

 

大統領のアンヌは、わが子の世話を夫や夫の母に助けてもらっており、

ふたりとも都合が悪い時は、大事な電話をしながらオムツを交換したりしてるんですよね。

公務に支障がでているのに、シッターを雇うわけでもなく、

すぐそばに住んでる実の母がよその家のシッターをしてるって、どういうこと?

 

これがひっかかって、私にはほかの話が全く入ってこなくて困りました。

まあほかにもいろいろツッコミどころは多いのですが、それはスルーするとして、

要するに、母性に関するいろんなパターンの人を登場させて、それぞれに考えてね、

ってことですかね?

 

これから母になろうとしてる人 → ココ

母になりたいけれど、なれない人 → イザベル

母になったけど子どもとうまくいかない人 → ダフネ

母に放任されたから、わが子にはかかわりたくて専業主婦をしている人→ブランシュ

母になるのを拒否している人 → ナタリー

仕事と子育てで悩む人 → アンヌ

 

女性はみんな母性と葛藤しながら生きている・・・ということなのかも知れないけれど、

傍観者目線でいうと、

「どいつもこいつも これしきのことで「悩み」とかいうな!!!」

というのが実感です。

もっと悩んだり苦しんだりしている人たくさんいるのに、こんなので「苦しみ」とか「葛藤」とかいったら

バチが当たりますよ!

特に妻にも母にもなりたくないナタリーが

(そのことで誰かに非難されたというわけでもなく、年下恋人に子どもを望まれたことで)

「母」ということばに敵意をむき出し、母の日を否定し、

「正直にいってごらん、母の日なんてめんどくさいでしょ?」と学生たちを誘導するのはやめてほしい。

彼女はまわりからどう思われてるかとか気にならない人だから

きっと「悩んでいる」というより、「なんとなく世間にムカつく」って感じですよね。

世間に対して愚痴りたいときは、blogとかTwitterとかで吐き出せばすむことで

講義とかではいわないでほしいですね。

 

実は私も、「母の日」とか「バレンタイン」とか「ホワイトディ」とか、商業主義のイベントは嫌いですが

ナタリー教授に対しては

「お前がいうな!」と言いたいです。

 

日本でも今では「結婚しない自由」「子どもをつくらない自由」はあるけれど、

それでもなんとなく原則的なことはあって、できることならそれに沿って生きましょう・・・みたいな。

フランスみたいな個人主義の国の話は、(私個人としては)ちょっとついていけないところがあるけれど、

これからは日本もそっちに近づくんでしょうかね。

 

ところで、日本では(敢えてかは不明ですが)母の日が終わった5月25日に公開され、

「パリで働く女たちとその家族の幸せ探し」「家族に会いたくなる感動作」というコピーで

「母の日」や「母性」については強調していません。

普通にパリに生きる人たちの群像劇というほうが、プロモーション的に優先されたんでしょうか。

 

ところで、「世間一般になんとなくムカつく」こと「納得いかない」こと、

アメブロに「ブログネタ』があったころは、そのネタの範囲でここに書かせて頂いてましたが、

今はなくなってしまいました。

映画と関係なくても、今度書かせてもらおうかな??