映画「ベルカント とらわれのアリア」 令和元年11月15日公開 ★★★☆☆

原作 「ベルカント」 アン・パチェット 早川文庫

(スペイン語・英語・フランス語・日本語・ケチュア語  字幕翻訳 風間綾平)
 

 

実業家ホソカワ(渡辺謙)の会社の工場誘致のためのパーティーが催されていた

南米某国の副大統領邸に、テロリストが乱入し占拠する。

人質になった各国の要人ら招待客の中には、

世界的オペラ歌手のロクサーヌ・コス(ジュリアン・ムーア)もいた。

テロリストと政府の交渉が平行線をたどる中、ロクサーヌの歌をきっかけに

人質とテロリストの間に師弟のような関係性が芽生える。                   (シネマ・トゥデイ)

 

 

南アメリカのとある小国。

副大統領公邸では、工場誘致のためにパーティーが行われていました。

日本の実業家ホソカワ(渡辺謙)に資金を得るため、

彼の大好きな世界的オペラ歌手ロクサーヌ・コス(ジュリアン・ムーア)を招聘しての

政府あげての「おもてなし」でしたが、

マスダ大統領は(観たいテレビがあるといって)直前で欠席の知らせが。

工場の開業には消極的なホソカワでしたが、大好きなロクサーヌを間近で聴けることにつられて

通訳のワタナベゲン(加瀬亮)を伴ってはるばるやってきたのでした。

 

ロクサーヌの演奏が始まったとたん、それは一発の銃声にかき消され

ゲストたちは侵入してきた武装した兵士たちにホールドアップされます。

彼らの要求は収監されている仲間の開放で、

狙いは大統領でしたが、いないことがわかると、とりあえず全員を人質に。

 

翌朝、事態打開のために、赤十字のスイス人メスネルがやってきますが

彼はスペイン語ができないので、ゲンが通訳をすることになります。

女性、使用人、神父、病人は解放することになったものの、

ロクサーヌは有名人だということで解放が許されず、

逆にアルゲダス神父は「この場に神父は必要だろう」と残留を申し出ます。

 

ロクサーヌの伴奏をつとめる予定だったノルウェー人のピアニストは

病気のために一旦は解放されたものの、「ロクサーヌがいない」と戻ってきたところを

若いゲリラに射殺されてしまい、最初の犠牲者がでます。

その後は、各国の大使などのVIPクラスの要人が人質として残り、長い持久戦に突入していきます。

 

ロクサーヌや伴奏者をこんな目にあわせたことに責任を感じるホソカワ。

「あなたを独占したいという虚栄心のために・・・」というホソカワに

「私がプライベートな席で歌うのはお金のためであなたのせいじゃない」と答えます。

 

政府は「暴力には屈しない」「テロリストとは交渉しない」という立場なので

人質をふくめ、兵糧攻めの方針で、ある日、水道が止められてしまいます。

「見せしめに誰かを殺す」というゲリラのリーダーもいたのですが、

「美しい声で政府の悪党の気持ちを変えさせろ」

「外のケダモノどもに聞こえるように歌え」

と、ロクサーヌをバルコニーにでて歌わせようということになります。

 

フランス大使ティボーの伴奏で、トスカの「愛に生き歌に生き」を歌い上げるロクサーヌ。

この映像は世界に配信され、政府も

「人質の命が最優先」と方針を変え、補給が再開します。

 

もともと副大統領の公邸なので、備品も完備しており、

ゲーム類やぜいたくな衣装や装飾品、化粧品などに若いゲリラは目を輝かせます。

 

公邸内は、次第に、多言語多文化の学びあいの教室みたいになっていきます。

貧困から教育も受けられずゲリラとなってしまった少年たちの純粋さや勤勉さを知ることになり、

逆に彼らも教養あふれる人格者の人質たちに憧れ、親愛の情を抱くようになります。

 

ホソカワとロクサーヌは歌手とファンの一線を越え

言葉の要となっているゲンは、ゲリラの少女カルメンにスペイン語を教えるうちに

恋愛関係になっていきますが、もうそれをとがめるものもいません。

テロリストと人質の間には立場を超えた 疑似家族のような、不思議な連帯感が生まれていました。 

                                              (あらすじ とりあえずここまで)

 

 

南米の国で大統領が日系人で人質籠城事件、といえば、1996年にペルーのリマで起きた

日本大使公邸占拠事件」 だと、日本人だったら、まずわかりますよね。

この作品は、この事件をモデルにした小説が原作で、ストーリー自体はフィクションです。

ただ、犯人グループと人質がお互いに敵意を持たず、仲良く麻雀やオセロをしてた・・・

というのは事実だったようで、このように

「監禁者が被監禁者に対して同情的な態度をとるようになり、

監禁者が考えを改めたり、被害者に対して共感を覚えることもある現象」

が「リマ症候群」と呼ばれるようにもなりました。

 

「ストックホルム症候群」ということばのほうが一般的には有名ですが、

これは、状況は同じですが、「被害者が自分の命を守るために、

犯人から逃げたり逆らったりせずに従順な態度をとること」なので

ちょっと違ってますね。

 

事件を知る人にはネタバレでもないんですが、

ストーリーの続きです。

 

ある天気のいい日、

公邸の庭でサッカーに興じていると、突然、特殊部隊の突入がはじまります。

武装したゲリラたちはすでに友人になってしまった人質に銃口を向けることはできず、

次々に射殺されていきます。

人質たちが「丸腰の少年兵は撃つな」と叫ぶも、聞き入れられず。

少女カルメンが撃たれそうになると、ゲンは

「彼女は私の妻だ!」と叫びますが、銃口は火を噴き、それを庇ってホソカワも倒れます。

 

1年後、ロクサーヌの特別復帰コンサート。

彼女のステージにはゲンが帯同し、

客席には死んだはずのホソカワとカルメンの姿もあり・・・・              (あらすじ 終わり)

 

 

最後のコンサートのシーンは映画オリジナルで、

原作は ロクサーヌとゲンの結婚式で終わります。

映画だけ見ていると、ホソカワとカルメンは命を取り留めたのかな?とも思えるのですが、

これは、ゴーストと考えるのが正しいようですね。

 

 

語学力を生かしてハリウッドで活躍中の渡辺謙が「英語ができない」設定には違和感ありましたが、

それを上回る 加瀬亮の語学力!

犯人グループの指示は、スペイン語、英語、フランス語に翻訳してみんなに伝えるから

もうセリフ量半端ないです。 お見事!

言葉が人を繋ぐんだなぁ・・と実感しました。

 

ひと昔前まで、外国映画に出てくる日本人は偏見に満ちたものだったり、ステレオタイプだったり。

ホソカワは有能で抜け目ない実業家タイプというよりは、むしろ趣味人で、

一般的に外国人から見られているような「日本人の金持ち」のイメージを覆しますよね。

だからこそ、渡辺謙レベルの大物がキャスティングされたのでしょうが。

 

政府高官や外国人VIPばかりが揃ったら、みんな自分の偉さを競い合ってわがままいいそうな感じですが、

これも間違った先入観なのかもしれません。

それぞれのスキルを活かしつつ、他人を思いやって共同生活するのって、(それに犯人グループまでふくめ)

異文化、異業種の楽しい合宿状態。

悲惨なはずの監禁生活が実は「塀の外よりもよっぽどユートピア」っていう皮肉が胸に沁みました。

 

ジュリアン・ムーアはちょっと口パクがバレバレでしたが、

ドヴォルザーク:『月に寄せる歌』 、ジョルダーニ:『カロ・ミオ・ベン』、ジョプリン:『メイプルリーフ・ラグ』など

使用曲はどれも親しみやすくていい曲。サントラが聞きたくなりました。