①【失ってみて分かること】 
②【逆境に向けて】 
③【同調圧力社会】
④【共存社会】 
⑤【フロイト分析心理学の問題点】 
⑥【利と情】 
⑦【情欲と抑制】 
⑧【恥と名誉】 
⑨【あとがき】 

①【失ってみて分かること 】

最近の私の経験であります。
 
2020年4月30日木曜日 
『ありがとうございました。』
今日ふと私の耳元に入って 
きました。
 

よく見るとそれは焼き鳥屋でした。
店員は、入り口の外までお見送りを 
お客に最後までお辞儀をして 
おりました。
 

この時の私の心境は 
『このご時世大変だろうなぁ』と… 
しかし、少し観察していると、 
数名程ちらほら、お客がやってきて 
お持ち帰りをしていく。
 

そして、ふと、以前とても安かった 
二件目の焼き鳥屋に目が向くと、 

そこには、ぎろぎろと殺伐とした
 
店員が道歩く人達を物欲しそうな目
 
で眺めては
 

『いかがでしょうか?』と 

様々な人達に叫んでおりました。
 
私はそこで考えました。 
『一体全体ここまでの店員の対応
 
の違いはどこにあるのか?』
 

それは、考える事も然もないことで 
あります。

違いは歴然で最初の
一件目に入った焼き鳥屋は、
コロナの問題以前から常連様優遇の
店で新規のお客は、電話で予約を
しない限りは、中々すぐには、
入れてくれなかった。
 

一方の二件目の焼き鳥屋は
新規顧客を客さばきの回転率と
安い焼き鳥で提供していた。

そして、現在。
皆さんの今現在の仕事は、 
いかがでしょうか? 

一部儲かっている企業はあるものの、
大半は苦しんでいる企業ばかりでは 
ないのでしょうか? 

もう、今回の事態で明白なので 
あります。小さな事からこつこつと 
本当に今ある物を大切にしている 
企業は苦しいなりに、常連からの 
 『頑張ってね』と
言う言葉を励みになんとかやろう 
としているのではないでしょうか?
 

逆に、新規ばかりを気にし過ぎていた 
企業は、現在枯渇している企業も多く 
あるのではないでしょうか?

勿論、それが全部とは言いません… 
現代においてテレワークがあるように 
ITと言う存在は、とても重要で 
新しい事を状況に応じて取り入れて 
行くことはとても重要だと思います。 

しかし、大事を成すには、
小事を成さなければ、あっという間に
崩れてしまう。

これは、日本の真の教育の原点 
四書五経より大学と小学が作られた 
日本の教育でもありました。
 
しかし、現在は、多額の費用を用いて 
ビジネス利権として学問が利用されて
おります。本来は、争いやコロナ等の 
災難時に人間としてどのように 
あるのかと言うものを幼い頃から 
小学を学び、中庸を学び、明治維新
より始まった西洋の文学を
取り入れる為に高校と言う予備校に
通い、そして、大学を知る。

しかし、人は現象として、
形や見た目ばかりに囚われてしまい、
付和雷同が生まれやすくなる。

正しく昨今のメディアが言えます。
しかし、災難時に本領を発揮する 
企業もある。それは、実態的に、 
【今あるものを大切に】

する企業 つまりは、よく言われる
実体経済に 貢献する企業であります。 

逆に金融経済はと言うと、もう、 
語るに及びません。

悲惨な状態な事は多くの庶民が
全会一致の意見なのでは 
ないでしょうか? 

今まで借金を資産として、株式のみ 
力を入れていた企業は、
今回のような災難時には、化けの皮が
剥がれやすくなってしまう。 

 ②【逆境に向けて】
  艱難は才能を磨く  

凡そ遭う所の艱難かんなん変へん故こ、屈辱くつじょく讒謗ざんぼう、払ふつ逆ぎゃくの事は、皆天の吾才を老せしめる所以にして砥砺しれい切磋せっさの地に非ざるは莫なし。君子は当に之に処する所以を慮おもんばかるべし。徒いたずらに之を免れんとするは不可なり 
(訳文) 
艱難にあうのは決して不幸なことではなく、これは人生経験の少ない人にとっての最高の良薬である。艱難を経験することで人は心を明敏にし、性格を練り鍛え、変化に対応する知恵を身につけ、物事を計画する力を養うことができる。まさに艱難によって人は力を得るのだ
 
【思考】 
我々が出会うところの、苦しみ悩み、変わった出来事、辱めをうけること、人から悪くいわれること、心に困ったと思うこと。これらのことは皆、天の神が自分の才能を老熟させようとするもので、いずれも我が修徳勉励の資でないものはない。

 ③【同調圧力社会】

 群衆の中で 
『あいつは悪いやつだ 
 そうだ。そうだ。』と
言っている中に自分が中に入り 
最初は悪いやつだと思っていなくても 
一緒に声を出すと、
次第に自分自身 までも 
『あいつは悪いやつなんだ』と

思い込んでしまう人々の群衆の 
行動心理がある。
 

教育では、幼い頃から、親や教育者に 
従順になることで、いつの間にか、 

誰かの中に、自分がいるような 
錯覚をおこし、自分で本当の自分が 
分からなくなり、

誰かの力や何かの 法則を用いなければ
自分が何者なのか よく分からなく
なりやすくなる。

『○○さんは○○らしいよね』 
『○○は○○っぽいよね』 
『○○美味しいから食べてみなよ』
 

このような形で人に決められた 
主観で自分の価値観を作ろうとして 
しまう。

ここには、大きな矛盾がある。

それは、遺伝子も人それぞれで 
顔、背丈、性格、育った環境等 
それぞれ違う。

確かに一部当たっている
事もあるかもしれません。

しかし、こればかりに頼り過ぎると 
一人になった時に、孤独感と閉塞感が 
繰り返し起こりやすくなる。  

そのような現象が起きると、不安で
集団に固まりやすくなり、

その不安は連鎖し、
判断能力が個人ではなく、

集団による判断になる為に
たちまち付和雷同が起きて違う意見の
個人に対しての攻撃が始まる。

ここに、

正しいや間違っているの
判断は、皆無で集団が正しいと
言う事は、個人の意見は関係ない
と言う事が強制的に発生する。

いくら一個人が正しい事を言って 
いたとしても集団には、関係無い 
のであります。

これが、集団によるイジメでも
よくある問題であります。

それが、正に日本で起きており、 
多くの命が奪われているので
あります。
 
現在の中国の組織において 
最近良く言われている言葉が 
『从上面压下去』
 (Cóng shàngmiàn yā xiàqù) 

【訳文】 
『上から押さえつける』 
であります。

 毛沢東語録の中に 
『人民の頭を押さえつけている
 
 ご主人様なんかじゃない。』と

集団生産に深い繋がりを持とうと 
考え、集団の生産性から今の党に 
なってきましたが、

しかし、

今では全く持って逆の事を 
やっているのであります。

平等的な観念は、与える気持ちは、
とても重要で、特に今回のような  
コロナ問題のような時には、 

医療、福祉の従事者は、与える観念が
必要なのでありますが、

それを求めよう とする時に人間性
として、問題が生まれる事が
少なくない事は、旧ソ連、中共を
見れば一目瞭然なのであります。

そこには、与える者の平等的価値観と 
受け取る側の平等的価値観の相違、
そして、その国の民度等、非常に 
複雑なものがあります。
 
人にはそれぞれに個性や味がある。 
それを個人の尊厳を持たず、
ただ一つ自分達だけの目線の基準で
平等を保とうすると個性ではなく人に
決めらた人の価値観で生きる事になり、
自分の個性が消される。 

人に決められた個性で生きようとすると 
考える事が嫌になり、 
自分が分からなくなり、 
人の個性が分からなくなり、
自分を中心に世界が回っている感覚に
陥り、 人を機械のような目線で見る
ようになり、
人の温もりよりも、寂しさを感じる事が
多くなる。

そして、自分から見た一つの
目線だけで物事をみるようになる。 
そして、大学共通テストにも
言える事でもありますが、
決めてしまうと簡単に変える事が
出来ません。
 
このようなコロナのような不測の事態 
に柔軟に対応が難しくなり、

さらには、社会に出れば、様々な
状況に対応せねばなりません。

特にそれが学問においても明白に
でているのであります。

勿論全員とは言いませんが、
平均化された基準を明白に設けて 
教育を受けて学校の先生になった
人物の中には答えが合っていても、

答えの解き方が違うと正解に 
しなかったりする先生も増えている 
のであります  このように、
一つの基準から教育を受け、

自分自身の固定概念に囚われて
しまい、
逸脱した答えにも、良い方法
があるのに、
その行いは認める事が出来ないと
善良の行いが、規制され
罰せられることになる可能性もある。 

このような事が増えていくので
あります。

そのようにならない為に、 
1890年に作られたのが、
 教育勅語 


なぜ平等的概念で持って共産主義から 
一党独裁体制になるのかを真剣に
考えな ければいけない

人を尊び、その一族の先を見据え
行動に慎みを持たなければ、
 『自分さえ良ければ』と言う

文化は歴史を辿れば必ず滅びて 
いくのであります。

 ダニエル・ベル氏の 
【イデオロギーの終焉】
にもあるよう 
に人を決めつけたり、秘密主義にする 
と暴力的に向かうのであります。

歴史を辿ると、もう本当に人間は 
同じ過ちを何度も繰り返しているので 
あります。 

 ④共存社会

善もあれば、悪もある。

これは、まず、大前提なので
あります。

物事には、必ず陰陽が存在し、
それが、無いと、地球では無いし、
宇宙では無い。

天地万物は一体の動きなので
あります。

善も感極めようとすると悪になる
事もある。

俗に言う、優しさの押しつけで
あります。

自分にとっては、とても優しい事
容易い事であったとしても、人は
それぞれ違う。

自分の優しさの概念と他人の優しさ
の概念は、ほぼ完璧に100%一緒は
まず、ありえないのであります。

皆全て100%同じ事をしたり、考えたり
するのは機械でない限り不可能であり
ます。

しかし、だからこそ人間なのであります。
赤ちゃんは、泣く事しか出来ません。
だから、親は助けます。

それは、例え歳を重ねたとしても
同じことであります。

だからこそ、共存する為にいかに
あるべきかを一人一人が自分で考えて
いく必要があります。

人は出来ない事を補い合う存在で
あり、一人で完璧に出来るのであれば
単細胞生物のように、自分で自分を
増やせば良い事なのであります。

しかし、人はそうじゃない。
男だけでは、生きていけないし、
逆に女だけでも生きていけない。

相対する存在があって、人なので
あります。


有り難きと言う言葉が生まれたように
有ると言うのは当たり前ではない。
だから、難しい。

この世いかに有り難き事かと日本の
世の歴史にも度々ささやかれている。

⑤フロイト分析心理学の問題点 

決められた結果がもたらすもの
として分かりやすいものが、例えば 
ジークムント・シュロモ・フロイト 
分析心理学

これは、真剣に考えなければいけない 
事なのでありますが、現在の 
カウンセリングがフロイト 
の心理学の影響で作られている事が 
ほとんどなのであります。 

フロイトの心理学は、基本的には、 
人をある枠組みに当てはめます。 
そして、このように言うのです。 

『あなたそのままでいい。 
 あなたは、悪くない。』と

このようなある決められた枠組みに 
入れられ、その決められた枠組みの 
中で自分はこういう人間なんだと
思い込み、自分がよく分からないし 
人から決められると楽だから
それを選ぼうとなってしまいがち
なのであります。 

特に人を騙す簡単な手段は、
負の感情が一番つけいりやすいので 
あります。だから、日本の戦後も
お金を儲けた人達の中で金貸しを
やっていた人達が今や議員や社長に
なっているのであります。 

洗脳とは、人々から一気にたくさんの 
物を奪い、最初に高価な物を与え、 
劣等感を感じさせて、その後に少し 
ずつ良いものを与えて、このように 
言います。 

『私の言う事を全部聞けば 
 私はあなたに平等で欲しいものを 
 与えます』 

このように唄えば簡単に洗脳できます。
現在の不動産業界でも、物件を見せる 
手法として良く使われる手口でも 
あります。 

そして、それは、権力が
強くなる程に力が増すのであります。 

正に昨今の毛沢東から始まる中共が 
それにあたる。そして、
フロイトに戻るのでありますが
フロイトが信じていたのは悪魔崇拝。

陰謀論でもなんでもなく、証拠が
たくさん残っている。 

フロイトの人物像とは、妻の妹を 
妊娠させたり、急に口喧嘩で怒ったり 
と欲望のままに生きていた人物 
なのであります。そして、このように
悪魔を崇拝するものは、これを、

このようにこぞって言うのであります。 
例え悪い行いをして罪悪感があった 
としても 

『悪いのは、私じゃない。 
 私は、そのままで良い。 
 悪いのは、全て自分の中の悪魔だ』と

言うのであります。 
それをフロイトが言い換えて、
悪魔だと、人々が信仰しないので 
悪魔を病気と例えて個人の特性を 
打ち消し、ある一定の基準を
設けて人の目線の基準から逸脱
した者は 全て病名をつけ、精神的な
病気に 罪悪感を植え付けたので
あります。 
 
しかし、病気で苦しんでいるもの 
に対しては、 
『悪いのは病気で、あなたは、 
 そのままで良い。』と

病気の原因の責任全てを他責に 
する事で、籠の中の鳥状態に出来た 
のであります。では、そのまま病気が
全て悪いのであれば、悪事たくさんして
も許されるのか?

しかし、世の実情としてそのように
全てが許されるのには、
限度あるのであります。 

そして、フロイトの枠組みの中に 
入れる心理学で、現在、精神を
病んで支援している施設では、
また、施設に出戻りや施設にいた
時は良かったのに就職すると、
一変してすぐに職場を辞める行動を
繰り返す人達も実際にいるので 
あります。 

会社の研修などでも使われる 
類人猿診断など枠組みに入れる 
診断には限界があり、 

決められた事を決められた通りに 
するのは、その場では、楽な気持ちにな
れるのですが、

今回のコロナのようないつもと違う事が
起きると一気に崩れてしまいやすくなる
のであります。 

その場しのぎの策としては、
フロイトの分析心理学は、
ちょうど良い。しかし、人を枠組みの
中に当てはめて人に都合の良い、

人に耳障りの良い事ばかりを
言っていると、人は枠組みから
一人では、抜け出せなくなり、

自分でもどうしたらいいか分からなく 
なり、継続的に苦しみやすくなるので 
あります。  

だから、フロイトの分析心理学では、 
その場しのぎの心理学になりやすくなる。

その場しのぎの心理学は、逆の立場 
からすると、大変お金になります
 ただ苦しい人達を見つけて、 

『あなたは、悪くない 
 悪いのは、全て病気(悪魔) 
 なんだから』 

その場の罪悪感を打ち消して、 
先々に大きな苦しみと、

倦怠感や自暴自棄を生んでしまい
やすくなるのであります。 

人には必ず感情があります。 
それを感情を0にしてロボットの
ように言われた通り全てを行う事は
限界があるのであります。

分析心理学ばかり、のめり込むと 
陰陽の概念は無くなり、
他者に対する尊厳が薄れ、

病院に行けば行く程、分析で物事を
決めつける事でそれ以外出来事に対して、 

対処出来なくなり、路頭のない 
迷路から抜け出せなくなる。 

フロイトは、悪魔を崇拝する儀式の
一員であります。探せば、しっかり
書物に残っているのであります。

そして、自然と優生思想に陥り、
特に他者に対しての尊厳を見失い、
自分以外の人を道具や物として
しか見なくなる。そして、

後々大衆化すると、戦争や不幸な
出来事が起きると人々が自暴自棄
になるか、攻撃的になりやすくなる。

歴史では、革命がそれにあたる。
負の感情は、大衆に良くも悪くも 
伝染しやすい。だから、

アルフレッド・アドラーはフロイトの
元を去ったのであります。 

最後死ぬ時は、身体一つであり、
縦の関係で上や下ばかり、見ていても、 
環境や寿命も違う。すると、

誰かと比べてばかりで常に 
優越感と劣等感を感じてしまう。

いくら、フロイトのように性格分析に 
よって、決められた通りの行いを 
他者にしたとしても感情が入って 
いかないことで、考える事が辛くなり、

より先々に本人がもっと苦しむ
結果となる。だから、そこから
逃げる為に、その苦しむ感情は、
悪魔の責任だとする方が楽だから、

世界で悪魔を崇拝したりするものが
度々増えるのであります。 

特にアドラーは、直接的に戦時中に
疲れた兵士の心を癒す立場にあったの 
でありますから、なぜ何度も何度も 
苦しむのかを分かっていたからこそ 
フロイトから離れたのは、
明白なのであります。 

アドラーのように 
『人間は自分の人生を描く 
 画家である』と

自分の人生の舵を取れる所は、 
自分で舵を取り、横の関係で見る事で、
互いに尊厳を保ち、出来ない 
事を気軽に補い合う事が出来る。 

フロイトの分析心理学では、
1つの枠組みにカテゴライズされた 
人間は、その枠組みにいる事が楽に
なり、考えるのが嫌になり、人間が
嫌になり、機械のように動くようになる。

すると、感情がついていかずに
コロナ問題のような不測の事態など
予期せぬ事に対処しずらくなり、
後からもっと苦しむのであります。


⑥利と情 

人は苦しんでいる時程に言葉巧みな 
話術の術中にハマりやすくなる。 

中共は、特にこれを用いるので 
あります。 
例えば、ここ福岡には、高齢者の中に
古くから孫正義氏を知っている 
先輩方や知人がたくさんおります。 

私自身、高齢者とも接する事が多く 
孫正義氏の似た話しをたくさん聞くので
ありますが、ただし、知っている人程、

あまり、良い話しはせず、昔の悪事を
たくさん 知っているのであります。

当然ながら、自叙伝には、良いことしか
書かれていないから、私が聞いた 
地元民の悪事話しは一切出て 
こないのであります。 

人の短所ばかり書くのは、
好きではないので、ここでは
割愛しますが、簡単に言えば、
今も昔も同じことをしております。 

その結果が、今回のような膨大な 
赤字になったに過ぎません。 

今回のコロナにおいても言える事で 
ありますが、苦しい時ほど、
気をつけなければなりません。 

自分の良いところばかり見せつける 
人は、逆に裏返しで悪いことを 
隠すために、良くみせつけようとする。 

苦しい時に人の苦しさを利用し、 
感情に漬け込み怒り、悲しさ、苦しさ 
を利用して悪いことをするのが増える。 
  
これは、歴史を辿ると必ず同じような 
者が現れる人間性がある。 

しかし、カール・ヒルティの 
言うように 
『死語に長く個人的印象を遺す人は 
 少ない。大概の人は重要な地位に 
 おった人ですら、数年たらずして 
 忘れ去られてしまう。 
 最も長く残るものは、忠誠の思い出 
 である。』

もしも、虚声をあげているのであれば 
その一族はやがて途絶え、忠誠を 
あげている一族は、代々に受け継がれ 
ていく。

そして、虚声に惑わされない為にまずは、 
以下のような事も重要であります。 

⑦【情欲と抑制】※言志四録より 
情に従って情を制し、欲を達して欲を止む。これ礼の妙用なり。
 [訳文]人間自然の本性である情にしたがいながら、これに流されないようにコントロールする。欲を達しながら、欲のみを追わずこれを抑制する。これが礼ー調和の妙というものである。 

情というものは、流されやすい。 
情に従って行動しても、
情に流されないようにコントロール
しなければ、欲望のままに利用される。 

欲は悪いものではないが、欲望のまま 
に追っていくと、全体の調和が乱れ 
破綻しやすくなる。 


⑧【恥と名誉】徳川家康の哲学

恥を知る 帝王学の根本、
武士道の根本の四書五経より
学んだ徳川家康の哲学 
 『勝つことばかり知りて、 
 負くること知らざれば、 
 害その身に至る。』 

人生に大切なことは、 
五文字で言えば 
「上を見るな」

七文字で言えば 
「身のほどを知れ」

戦前まではあった日本武士道精神 
名誉と恥は表裏一体で恥はあらしめる。 

今日では、人の事ばかり物言う人が 
増えております。今日では、
恥を辱しめて、己を着飾る 
名誉ばかりに齷齪し、己を誤魔化し 
己を飾る為に、人の弱さばかりを暴き 
不幸な話しを用いて自分を覆い隠し 
内面を無視して、自分を誤魔化す 
マインドコントロールや○○術や 
○○の法則と言った方法論ばかりが 
先行しております。だから、時が
経つ程に苦しむ。 

実際は当たり前と思うと苦しみ、 
心から有り難きが言えず、 
当たり前がないと思えるから、 
『有り難き』である。 

当たり前が無いとは、温故知新で 
歴史を辿れば数多く書物に残っている 


⑨【あとがき】 

今年は、様々な出来事が起きました。
そもそも根本には、去年の11月には
中国で流行り病が流行っていて、
関わっていた人達がたくさん行方不明 
になっていた為に、昨年の12月に、
私の身近な人達に注意喚起をするも、
笑われ、今さら最近になって 
『まさか、こんなになるとは 
 思ってなかった』と
言われたり、某新聞社が歴史認識の
誤りを認めたはずの内容が今年の 
教科書として認可され、使われる 
ようになったり、当然ながら、
私の仕事環境も変わった。
結局もって人間性とは、そのような 
もので、例え間違っていたとしても 
皆が言っている事が正しいとなり
やすく、一人が言っている事は 
正解関係ないとなりやすいので
あります。そのような環境化にも、
それは、情に従い、情に操られない
ようにせねば、情に流され、
自分自身を見失いやすくなる。 
今年の私の目標は、『忍』であります。
堪え忍び、心を刃にして研磨していく。
私にとってブログを感情だけで
書く事は容易な事でありますが、
しっかり吟味して入念に考えて
書く事は大変難しい。
とは言え、私はまだまだ、修行不足で 
感情に流されそうな事も多々あるので 
あります。今後も日々精進です。