教職は聖職なり。

この言葉は、学生時代、指導教官から頂いた言葉です。
そしてやはり、私は教職に携わるには足りない男であったと、昨日改めて実感いたしました。

一昨日の日記のとおり、私は中学時代の恩師に依頼され、昨日の今頃の時刻、某中学校の教壇にたっておりました。
職業講話の講師として、中学生の前で話す、という、特別授業のためであります。
実はお話を頂いてから、しばらく時間(猶予)がございましたので、私は久しぶりの読書に興じることができました。この年末からお正月を挟み、一昨日まで約10冊くらい、読んでしまいましたかね。
もちろん、その中から、生徒さんに投げかける言葉を、借りるつもりで。

ところが、生徒さんのピュアな顔を拝見したら、その借りてきた言葉は、どっかに行っちゃいましたね。
もちろん、参考になる言葉は出ましたけど・・・やっぱり生徒さんには、スッピンの自分の言葉で勝負しないと、すぐに見破られて、心をつかむことはできないなあ、っと。
だから、私が花屋として感じていることを、ありのままにお話しました。
徐々に緊張がほぐれ、生徒の皆さんとも、会話のやり取りができるようになったのも、授業が終わる頃でしたか。

やはりこれを毎日やられている教職の方は、本当にすごいなあ、と思いますし、教壇に立つということは、それだけ尊い事なんだろうなあ、っと、改めて実感した次第です。
ピュアな目や耳は、私から何かを吸収しようと、必死になってくれているのです。
それに応えるには、すっぴんな自分が必要なのです。
自分をすっぴんにできる仕事ってのは、すごい。

彼らとの違いは、生きている時間が少しだけ長いこと。それ以外は必要のない情報でした。
ただ、その中で感じたことを喋ればいい。

教職は聖職なり。

まさに、その通りでありました。