『宮澤賢治全集』十字屋書店版の「藤原」の検印と
         「賢治のチェロ」が嘉藤治から清六へ渡った経緯の「清六のはがき」

1).今年は宮沢賢治生誕120年であるが今から70数年前の昭和14、15年から戦中の18、19年にかけて十字屋書店から『宮澤賢治全集』第1巻~5巻、6巻~別巻の7冊が出版されたことをご存知の賢治識者はあまり多くはないかもしれない。草野心平をはじめ著名な初期の賢治関係者、研究者の8名の編纂になる上製本で装幀は高村光太郎である。今でも色褪せない柿渋の装幀の表紙と光太郎の太い金字の題簽と筺が見事である。本全集は主として前述の戦時中と戦後直ぐと昭和27,28年頃のおおよそ三種の校訂版があり、10数年間にわたって出版された。その最後の27,28年版の奥付の検印が明らかに「宮澤」ではなくすべて「藤原」なのである(第5巻だけを除く、別表1)。図書館を始め世上にあるこの「全集本」の25%ほどは「藤原」の検印なのだ。なぜなのだろうか。浩瀚な賢治文献の中にもこの手がかりはないようだ。

(2016. 6. 5追記・訂正)
 十字屋書店『宮澤賢治全集』の発行年、改訂版の全調査を終了し別表にまとめた。従来のリスト(旧受容史年表)にヤジュル氏追加の第2巻の*印を加え1巻~別巻まで30種を確認できた。藤原検印は全巻にあった。これで完結とする。
(2018年8月10日図表 再訂正)
イメージ 3

(2018年2月旧図表
イメージ 2




2).藤原嘉藤治のふるさと紫波町の有志によって開拓時代の嘉藤治の功績が語り伝えられていて、Web上の「かとうじ物語」は有益である。このなかにあの記念館にある賢治の遺品の「賢治のチェロ」が嘉藤治から清六へ渡った経緯の「清六のはがき」の存在が紹介されている。今回このはがきの全文を入手したのであわせて紹介したい(別紙2)。消印は昭和30年4月5日付、4月9日嘉藤治がチェロを持参し10万円を受領した。「かとうじ物語」によると昭和28年から30年に至る冷害で入植後数年の開拓はこの時極度の苦境に陥ったという。このことと上記の「藤原」検印の事実とは多少の時間差があるもののなにか関連があるのだろうか。既成の賢治文献にこのことの記載は皆無のようで謎のままである。  (了)
イメージ 1