わいWHY倶楽部しゃべり場

20代、30代を中心として『本音で人生を語る』を合い言葉に、オフ会を中心に

茨城・栃木で活動しています。

「なぜ生きる」というテーマを中心に、一緒にちょっとまじめに考えてみませんか?きっと本音で語れる仲間が見つかると思います。


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どうも海舟です。

大分春らしくなったと思ったらきっきに夏か!!と思うくらい、
気温が上がってますね。昨日、外の温度計は24℃を指していました。
帰りは14℃でしたが・・・。

体調にはきをつけましょ~

さて、宇都宮のオフ会は4名のメンバーで盛り上がりました。
がくさん、Aさん、Tさん、海舟の4人です。

Aさんはつくばから参加するというつわものです。

個人的には、牛久へ行くことは会っても、茨城から参加する方はここ何年か無かったように思いますので
気合が入りました。

テーマは「命の重さ、価値とは?」というテーマでディスカッションしました。
宇都宮では、この形式が定番になりつつあります。
私の目指していた形なのでうれしいです。

これからもつづけられるようにしますね。

メンズで固まることが多いので、レディの参加もお待ちしています(><)

それでは5月のオフ会で会いましょう~
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どうも海舟です。

どうしてもタイムリーにかけないですが、4月のオフ会の状況を連絡します。

ジョイフルでのオフ会は忘年会以外では最多の人数の参加となり、非常ににぎわいました。
一角を占拠する形になってしまい。お店にはご迷惑をおかけしたことと思います。

人数が多いため、簡単な自己紹介の後、4つのグループで勉強会を行いました。
どのグループも盛り上がり、ちょっと早めに終えるということも忘れ、活発な
話ができてよかったです。

最後にお世話になったまよさんにサプライズを準備しました。

きっと感動ですね。

それでは来月のオフ会であいましょう~(><)
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どうも海舟です。

先日、エルトゥール号の話をしましたが、この話が詳しく載っている物を
発見しましたのでおすそわけです。

心があったまり、目頭が熱くなります


(引用スタート)


■エルトゥールル号の遭難

 明治23年(1890) 9月16日。
 約600人が乗船するトルコのエルトゥールル号が、
 紀伊半島南端の大島付近で台風に遭遇した。
 怒濤にもまれ、航行不能となり、
 午後8時半ごろに、樫野崎付近の岩礁に激突。
 船は爆発を起こして沈没してしまったのである。
 乗組員は、荒れ狂う暴風の中、真っ黒な海へ投げ出された。

 幸いにも海岸へ泳ぎ着いた人の中で、まだ動ける男たちが、
 断崖から光を放つ灯台を目指して歩き始めた。
 ドアをたたく音に驚いて、灯台職員が外へ出てみると、
 服が破れ、裸同然の外国人が9名、
 血だらけになって立っている。
 とっさに、船が難破したことだけは理解できたが、
 言葉がまったく通じない。

 しかし最優先すべきは、人命救助である。
 応急処置をして、近くの村へ助けを求めに走った。

 村にも、不気味な爆発音が聞こえていた。
 不審に感じた村人が、海岸近くで倒れている外国人を発見。
 すぐに村じゅうに非常事態が告げられ、
 男たちが総出で海岸へ救助へ向かった。
 生存者があっても、この冷たい雨にさらされたままでは命が危ない。
 必死の捜索が続いたのである。

 続々と、負傷者が小学校や寺に運ばれてくる。
 海水で体温を奪われ、手も足も氷のように冷え切っている人が多い。
 意識も朦朧(もうろう)としていた。

「早く、裸になって温めるのだ!」
 昔から、こういう場合は人肌で温めるのが最良の方法だとされてきた。

 生死の境をさまよう男たちを布団に寝かせ、
 村の男たちは裸になって抱きかかえ、代わる代わる温めた。
 見ず知らずの外国人であろうと、彼らには、何のためらいもなかった。
 尊い命がかかっているのだ。
 そのかいあって、救助した69人全員が命を取り留めた。

 大島は離島であり、約400戸のこの小さな村である。
 こんな大勢の負傷者を手当てするには、医療品も食糧も不足している。
 そんな中、医師たちは不眠不休の治療に当たり、
 村人は食べ物や衣服を提供した。
 非常用に蓄えていたサツマイモやニワトリまで、
 すべて持ち寄って一日も早い快復を願ったという。

 事故発生から四日、ようやく大島へ救助船が到着。
 負傷者は神戸の病院へ運ばれ、
 傷が癒えてからトルコへ送り届けられることとなった。

 トルコと大島の人たちの間では、言葉は通じなかった。

 しかし、心と心は、温かく固い絆で結ばれていた。

 それが約100年も後に「恩返し」を受けることになるとは、
 日本人の誰が予想しただろうか。


 台風に遭遇したトルコのエルトゥールル号を救った日本人たち…
 トルコの人たちはそのことを忘れてはいませんでした。


 1985年3月17日。
 イラン・イラク戦争が激化する中、
 突然、当時のイラクの大統領サダム・フセインが、
「イラン上空を飛行するすべての飛行機を、二日後から攻撃する」
 と発表した。
 
 無謀な宣告に、生命の危機を感じたのは、
 イランの首都に滞在している日本人約500名であった。

 このままイランに残っていると戦争に巻き込まれる可能性が高い。
 少しでも早く国外へ脱出する必要がある。
 かといって、一方的に指定された時間内に乗れる飛行機が、
 どれだけあるというのか。

 緊急事態なので、どの航空会社も、
 まず自国の国民から先に座席を埋めてゆく。

 日本の航空会社はイランへ就航していないので、
 日本人を優先して脱出させてくれる航空機は一機もないのだ。

 翌18日、空港に詰めかけた日本人のうち、
 かろうじて座席を確保できたのは約半数だった。

 あと一日しかない。

 だが、ついに日本からは、救援機は来なかった。
「外務省の対応が遅れたためだ」とか、
「日本航空が、安全を確保できないと言って断った」とか、
 いろいろ言われているが、
 結果として、日本人約二百数十名が、
 危険な場所に置き去りにされたのだった。

 その時である。

 トルコ航空機が危険を冒してイランへ乗り入れ、
 空港で途方に暮れていた日本人全員を救助したのだ。

 まさに間一髪であった。

 なぜ、日本政府さえ躊躇した危険な場所へ、
 トルコが救援機を飛ばしたのか。

 その大きな理由は、約百年前の「エルトゥールル号の遭難」であった。

 痛ましい事故ではあったが、トルコの人たちは、
 日本人から受けた温かい心遣いを忘れることができなかった。

 歴史の教科書にも掲載され、子供でさえ知らないものはないほど
 重要な出来事として、語り継がれてきたという。

(引用終わり)


★「情けは人のためならず」ということわざがあります。

「どんな時でも、人が困っているときには親切しよう。
 それは巡り巡って自分のためになるのだから」という意味ですね。


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