2017年 9月26日
昨年に死にかけて、もう一年以上になった。
昨年の夏は非常に暑く、一寸暑さが和らいだ頃に油断して、熱中症の様になった。
8月の末頃、胃腸は動きをやめ、睡魔の様に意識が中断した。
居眠り運転と同じである。
もう毎分の様に我に返り、努力して起きようとした。
確か9月6日の日曜日の礼拝で、全員にお別れの挨拶をさせて貰った。
大抵の人は信じてないようであった。
帰りの車の中で、
(ああ、もう死んでもいいな)
と思った時、最近、我が家のベランダから見えて来だした天国のことを思い出した。
死に際に天国が見える人の記録を書けば、神様は喜ぶであろうかと思い、その後ノート3冊に記録したが、今回メールに残す事にした。
我が家のベランダは現在でも見晴らしは良い。
大阪平野が一望に出来る。
多分、昨年の春頃と思うが、夜景を見ていると、東端から西端まで帯状に星の様なものが見えだした。
何十年も同じ景色をみているが…。
双眼鏡で確認したが、同じである。
その後も何十回も見たが、星にしては不思議である。
ある夜、そのひとつが拡大して見えた。
小さい四角い窓で、一人の人が上半身乗り出す様にして、こちらに手を振っている。
それで分かった。
あれは星ではなく、私を歓迎している人々…又は、天使の集団である。
それが天国である事も分かった。
それからも何十回も見ていたが、段々と詳細が分かってきた。
その歓迎集団は実は、巨大なスタジアムの観客席であった。
そのトラックを数十人が数十人に取り囲まれながら行進している。
入場ではなく凱旋の様である。
母なるイエスも私たちを守る様に、そして誇るように同行している。
この2、3日、天国の様子を思い出している。
最初に見たのは、イエス様を信じて教会の帰りであった。
60年も前である。
証集にあると思うが…。
水平線の上、帯状の天使集団の大声援であった。百万とか千万とかでは表せられない。
現在迄に幻は何十回もあるが、鮮明に見えたのは多くはない。
次に天国を見たのは何十年後で、見たと言うよりも行って来た感じで、その後しばらくは立ち上がれなかった。
これも証集にあると思う。
その時の状況を何とか絵に残そうと、大分苦労した。
濃い桜色を残そうと画材店で探したが、それはオーストラリアで発見したガラスの裏から書いた絵である。
ステンドグラスと同じである。
教会のステンドグラスは最初、天国を見た人が…描いたのかな…。
天国と此の世の境界線の濃い桜色は、何十年たっても忘れない。
私が見た天国と同じ画像をネットで探してみたが、近い物すら見つからない。
今まで何人の画家にも頼んでみたが、私が見た天国とは大違いであった。
何とか此れは残せないか。
神様の思いであれば奇跡が起こるかも。
イエス様の顔も奇跡が起きて、白黒画像とイコンが残っている様である。
私も繁々と顔を見たのは、イスラエルで湖畔の道路であった。
よく覚えているので、今でも100枚の中から一枚でも選べると思う。
大分 前であるが 天使の合唱を聞いた。
「こんな美しい朝に」のCDだったと思うが…。
前から思っているが、天地創造の神との会話や天国の様子を見えるのは、世界に百数十人はいると天使から知らされている。
進化論や地動説は神様からの返答は簡単なものであった。
こんな事が世界中で何百年も議論や騒動になるとは、私には不思議である。
それを神に聞いた人はいたと思うが。
経験で知っているが、聖職者も含め、「認めたくない 」というのが殆どであろう。
「組織にある人は、キリストの忠実な僕にはなり得ない」
…と結論した。
現在でもアフリカや南米等、貧しい人々には神の奇蹟は多いようである。
日本でもペンテコステ教会の数百人の聖会でも一人くらいは異言を語り、またそれを解き明かす人、預言する人を何回もみた。
大抵はごく普通のおばちゃんであった。
その結果を考える立場の人には、神の奇蹟は現れないのかも…。
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