2011年 3月
【質問】復活について質問です。
ヨハネの福音書11章で、イエス様は死んだラザロを復活させました。
イエス様が愛しているラザロが、病気で苦しんでいると知らせを受けていたのに、ラザロが死ぬまで待ってからラザロのところに行きました。
それは、ラザロの死によって神様の栄光が現されるためでした。
そして、ラザロが蘇ったことはたくさんの人がみており、それによってイエス様を信じた人、信じなかった人がいたにせよ、信じた人はその御業を証しています。
対して、ルカの福音書8章に出てくるヤイロの娘の復活。
これは、十二弟子のうちのぺテロとヨハネとヤコブ、そして娘の両親、この五人の他は誰も部屋には入れず、さらに蘇らせた後も、この出来事を誰にも話さないようにと言っています。
この二つの復活はどう違うのでしょうか??
なぜ娘の時は世に知られてはいけなかったのか。
ただ単に、神様のご計画で、ラザロを使いたかっただけなのか。
ちょっと文章力と思考のまとめが下手なので、これで伝わるか分かりませんが、ぜひ回答を頂けると嬉しいです。
【回答】聖書には、イエス様の奇蹟について、
「誰にも言うな」
と隠された場合と、公然とされた場合と両方ありますね。
私が何十年間も神に問い続けた質問に、
「何故、神は奇蹟を行って、食事も無く飢えている人を助けないのか」
というのがありました。
神様の回答は、
「もしわたしが奇蹟を行えば、信じなかった人々に罪が残る」
でした。
神様は、どんな証拠が有っても信じたくない人々をも愛されているようです。
神の奇蹟を見ながらなお神を否認する人々に起こる悲劇はどんなでしょうか…。
イエス様の例え話も同じでしょう。
明らかに、信じなかった人々の事を考慮されています。
ヤイロの娘の奇蹟を見ても認めない人々が周りにいたのではないかと思いますが…。
海南島のヨハネ
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