「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデンの好きな言葉を引用

(フィービーとアントリーニ先生の言葉も内含)


・ホールデンは学校を退学を繰り返す高校生。

・フィービーはホールデンの最愛の妹です。まだ小さい10才の妹。アリーは白血病で死んでしまった弟。



1、今行ってる学校のスペンサー先生の家へ行って諭されるシーン:


「競技だってさ、クソくらえ。たいした競技だよ。
もしも優秀な奴らがずらっと揃ってる側についてるんなら、人生は競技で結構だろうよ ― そいつは僕も認めるさ。ところが、優秀な奴なんか一人もいない相手方についてたらどうなるんだ。そのときは、人生、何が競技だい?とんでもない。競技でなんかあるものか」

とても共感できる。ホールデンは欺瞞に満ちた社会やインチキな大人にウンザリしてる。



2、NYの博物館を語る場面:


僕はどんどん歩き続け、歩きながら、昔の僕と同じように今はフィービーが土曜日にあの博物館へ行っているということを考えていた。昔僕が見たのと同じ物を、今フィービーはどんなふうに見てるだろう。そしてまた、それを見に行くたびごとに、フィービー自身はどんな変わり方をしてるだろう。

(中略)

ものによっては、いつまでも今のまんまにしておきたいものがあるよ。そういうものは、あの大きなガラスのケースにでも入れて、そっとしておけるというふうであってしかるべきじゃないか。それが不可能なことぐらいわかってるけど、でもそれではやっぱし残念だよ。とにかく、そういうことをいろいろ考えながら、僕は歩いて行ったんだ。

ホールデンは視界に入るものの多くに反感を持っている反面、純粋なものを何より好んでるのが分かるセリフ。




3、酔っ払って公園のベンチで震えて、自分がもしも死んだらどうなるかと想像するシーンより


墓地の中に押し込められるのだけはごめんだな。日曜日にはみんながやってきてさ、ひとの腹の上に花束をのっけたり、いろんなくだんないことをやるだろう。死んでから花をほしがる奴なんているもんか。1人もいやしないよ。

 天気のいい日には、おやじとおふくろとがそろって、よくアリーの墓へ花束をさしこみに出かけるんだ。二度ばかし僕もいっしょに行ったけど、それきり僕はやめちまった。第一、あんな馬鹿馬鹿しい墓地なんかにいるアリーを見るのが僕は不愉快なんだ。あたりはみんな死んだ奴らや墓石やなんかばかしじゃないか。太陽が照ってるときはそんなでもないけど、二度ーー二度だぜーー墓地にいるときに雨が降りだしたことがあるんだ。そのときはひとかったな。アリーの墓石にも雨が降る。あいつの腹の上の芝生にも雨が降る。そこらじゅうが雨なんだ。墓参に来てた弔問者たちは、みんな、いちもくさんに駆けだして、めいめいの車に逃げ込んだんだ。それを見て僕は気が狂いそうになったね。(中略)しかしアリーはどうなるんだ。それを思うと、僕はがまんならなかった。僕だって、基地にあるのはアリーの肉体やなんかだけで、魂は天国にいるとかなんとか、そんなたわごとは知ってるさ。しかし、やっぱし僕にはがまんならなかった。あいつはあそこにいてくれなきゃいいんだ。(P240ー241から)


4、遠くへ旅立つ前に親には内緒でこっそり実家の妹の部屋へ行き、会話する心温まる場面より


「兄さんは一つだって思いつけないじゃない」


「いや、思いつける。思いつけるよ」


「そう、じゃあ言ってごらんなさい」


「僕はアリーが好きだ」僕はそう言った。「それから、今してるようなことをするのも好きだ。こんなふうに君といっしょに坐って、話をしたり、何かを考えたり―」


「アリーは死んだのよ ― 兄さんはいつだってそんなことばかり言うんだもの!誰かが死んだりなんかして、天国へ行けば、それはもう、実際には - 」

「アリーが死んだことは僕だって知ってるよ!知らないとでも思ってるのかい、君は?死んだからって、好きであってもいいじゃないか、そうだろう?死んだからというだけで、好きであるのをやめやしないね-ことにそれが、知ってる人で、生きてる人の千倍ほどもいい人だったら、なおさらそうだよ」


 フィービーはなんとも言わなかった。何といったらいいか、言うべきことが思いつかないときには、彼女は黙っちまうんだ。


「それはとにかく、僕は今みたいなのが好きだ」と、僕は言った。「つまり、この今のことだよ。ここにこうして君と坐って、おしゃべりしたり、ふざけたり-」


「そんなの、実際のものじゃないじゃない!」


「いや、実際のものだとも!実際のものにきまってる!どうしてそうじゃないことがあるもんか!みんなは実際のものをものだと思わないんだ。クソタレ野郎どもが」


「悪い言葉はよしてよ。じゃいいから、何か他のものを言って。兄さんのなりたいものを言って。たとえば科学者とかなんとか」




とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしてるとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕があぶない崖のふちに立っているんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえてやることなんだ。(中略)一日じゅう、それだけやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういうものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げていることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げていることは知ってるけどさ」
(269ページ)

この小説(ホールデン)を象徴するセリフ。親や学校には反抗するが、まだ小さい妹や死んだアリーには優しくて大事に思っている。こういうところがどこか魅力的。



5、昔いた学校でお世話になったアントリーニ先生の言葉、ホールデンを諭すように語るシーン


「君がいま、堕落の淵に向かって進んでると思うと僕は言ったが、この堕落は特殊な堕落、恐ろしい堕落だと思うんだ。堕ちて行く人間には、さわってわかるような、あるいはぶつかって音が聞こえるような、底というものがない。その人間は、どこまでも堕ちて行くだけだ。世の中には、人生のある時期に、自分の置かれている環境がとうてい与えることのできないものを、捜しもとめようとした人々がいるが、今の君もそれなんだな。いやむしろ、自分の置かれている環境では、捜しているものはとうてい手に入らないと思った人々と言うべきかもしれない。そこで彼らは捜し求めることをあきらめちゃった。実際に捜しにかかりもしないであきらめちまったんだ。わかるかい、僕の言うこと?」(P292)



「いまにも君も自分の行きたい道を見つけ出さずにいないと思う」

「そのときには、そこへ向かって出発しなければならない。しかも、すぐにだ。君には一分の余裕もないんだから。君の場合は特にだ」



「君は、人間の行為に困惑し、驚愕し、はげしい嫌悪さえ感じたのは、君が最初ではないということを知るだろう。その点では君は決して孤独じゃない、それを知って君は感動し、鼓舞されると思うんだ。今の君とちょうど同じように、道徳的な、また精神的な悩みに苦しんだ人間はいっぱいいたんだから。幸いなことに、その中の何人かが、自分の悩みの記録を残してくれた。君はそこから学ぶことができるー」(P295)

ホールデンに再び学校へ行くべきだ、ということと、勉学の重要さを教えた。

とても共感できる言葉である。社会や人間に辟易したホールデンやそういう人にとって救われるような言葉。

終盤で良き理解者のアントリーニ先生が一番核心をつく事をホールデンに伝える場面だ。



6、最後フィービーに合う前ヒッチハイクで西部へ行こうとするシーンにて



でも、仕事の種類なんか、なんでもよかったんだ。誰も僕を知らず、僕のほうでも誰をも知らない所でありさえしたら。そこへ行ってどうするかというと、僕は唖でつんぼの人間のふりをしようと考えたんだ。そうすれば、誰とも無益なばからしい会話をしなくてすむからね。誰かが何かを僕に知らせたいと思えば、それを紙に書いて僕のほうへおしてよこさなきゃなんない。そのうちには、そんなことをするのがめんどくさくなるだろうから、そうなれば僕は、もう死ぬまで誰とも話をしなくてすむだろう。―――(P308-309より)


一番好きな言葉かも。とても共感できる。でも人生を諦めて何にも干渉せずに自由に生きたいという、子供じみてて無茶な願望だ。ホールデンは精神的に堕落している。幸い前章のアントリーニ先生の言葉が答えを示しているけど。



7、妹と口喧嘩して、メリーゴーランドで妹を見守るシーン


しかし、僕は平気だった。フィービーがぐるぐる回りつづけてるのを見ながら、突然、とても幸福な気持になったんだ。本当を言うと、大声で叫びたいくらいだったな。それほど幸福な気持だったんだ。なぜだか、それはわかんない。 p330


なんか癒される。これがほぼ最後の場面。結局、妹のためにもNYを離れるのをやめるのであった。



やはり史上最高の青春小説である。野崎氏の訳が最高。ページが少なくていつでも持ち運べるってのがイイ。




結論:妹が欲しい!!!


追記:7/29 8/2


その他で好きな場面

・サリーヘイズに学校はインチキ野郎どもの集まりでとか、何もかもがいやでたまらなくなるんだ、どっか遠くで一緒で暮らさないかと説明するシーン。

・カール・ルースと会ったバーの帰り際、クロークルーム?の係の女の子がすごく親切にしてくれてホールデンは感動するシーン

・フィービーが旅立つホールデンになけなしの8ドルちょっとのお金を貸してあげる場面、ホールデンはなぜか急に泣き出してしまう。

・歩いている時に、急に精神的に沈んでいき、「アリー、僕を消さないでくれよ」と言いだす場面。


笑える場面:

・ホールデンは何でも誇張して言うから笑えるw

 ・(16歳なのに)今から五十年も前になるが、僕が子供の時分にも、あの歌をやってたもんさ。これが、回転木馬のいいとこなんだ。いつも同じ歌をやってるってのが。

でもこれはイイ台詞。純粋で変わらないものをホールデンは好む。

 ・寝ている時にアントリーニ先生に頭を撫でられて、「1千フィート跳びあがったな」

・ロビーは葉巻の吸いがら5千万本の匂いがしたな。


豆知識・つながり:(12/1追記)

・Green day[Who wrote holden caulfield]

・「フィールドオブドリームス」の作家は小説だとサリンジャー

・「小説家を探して」もサリンジャーつながり?

・ホールデンの口癖「それには全く参ったね」It killed me.

反対語「気が滅入った」It depressed me.

「インチキ」Phony ←→「無垢」Innocence


11/20追記:

これは子供から大人へ成長する過程の葛藤を描いた物語だが、最近考察の本やサイトを見てわかったことがある。

ホールデンが大人の世界へ旅立つ兆しや立場が変わる描写などが明確にあること。


赤いハンチング

例えば、これはとても重要な暗喩だが、赤いハンチング(ひさしを後ろへ回して被るのは捕手の意)やフィービーやアリーの赤毛。この赤は大人の世界を見てるホールデンにとって、イノセンス(純粋)を感じることができる救いのアイテムだった。だから彼らに近づけるようにハンチングをずっと着用していた。


これを家に帰った際フィービーに渡してしまい、家を離れる際に、

「どういうわけだか、入ってくる時より出て行く時のほうが楽だった。つかまったって平気だ、あるいはつかまえてもらいたい、という気持ちがなくもなかった」と述べている。

この発言から、ホールデンは大人の世界への境界線を越えたと推測できる。

さらには、崖から子供たちをつかまえてあげたいという考えと同時に、本当は自分も崖に立っていてそこからつかまえて(救ってもらいたい)という期待も抱えているという、タイトルの意味もうかがえる。


しかし、アントリーニ先生と別れた後、路地を歩いている途中、誰からも見えなくなり沈んでしまいそうになる。そしてアリーに救いを求め、同化するかのような行動をとる。

この場面から、イノセンスと現実の社会への狭間でいまだに葛藤していることが解る。アントリーニ先生の言葉を聞いてなおさら葛藤か?

-----堕落の底に落ちてしまいそうになるが、アリーに話かけることにより、幻覚から逃れることに成功する。らしい。理想のために死んでしまったら、アリーのように二度と現実に戻ってくることができなくなるという暗示らしい。



16歳で白髪がたくさんってのもポイント。ミットの文字も。

池のアヒル(家鴨)

それと、考察本により納得させられたが、セントラルパークの冬の間凍った池のアヒルはどこへ行くのか?という謎の疑問。これにもちゃんと意味があるんだ。とても納得できた!

ホールデンは、アヒル と 遠くへ離れて自立したいと思う自分 を重ね合わせ、もし慣れ親しんだ故郷や家(守られた保障された場所)が消えたら帰る場所が無くなってしまうのではないかという不安からこの疑問が生まれたのだと推測できる。


「ガラスケースも心身ともに子供から大人への変化を余儀無くされているホールデンにとって、いつ行ってもそこに、そのままでいてくれる信頼と安らぎを与えてくれるものだったに違いない。そのときそのときでめまぐるしく変わってしまう人間の心情や状況にも左右されることなく、標本や展示品は、イモータルなものの永遠を象徴する純粋さをもって、いつもそこにある」


ホールデンの心境の変化まとめ

回転木馬の雨は精神の再生を意味する雨 世界を受け入れつつあるという暗喩であり
 先生から誌を紹介される。(アントリーニ先生こそが「ライ麦畑のつかまえ役」に近かった)
「理想のために卑小な生を選ぶ」ことを決意?(その書かれた詩の紙をポケットに入れたことから)世界から逃げないってことだね。
現実を受け入れ、理想と共に生きていくことを心に留めたからそうした。


フィービーに西部へ行くことをやめさせて怒らせるが、

----「せめて自分の国だけでも秩序を整えてみようか」という心境になったのではないか。すなわち自分の妹のフィービーだけでもインチキな世界から守る「ライ麦畑のつかまえ役」になろうと決心したのだ。そして西部へ行くことをやめ、NYに留まる決意。


現実を拒否して生きていく生き方から、現実を受けいれ、理想と共に生きていく生き方に変化してきているのである。 すなわち、成熟した人間の方向に。


回転木馬にフィービーを急がせて乗せたことで、災いの雨から守ることができた。同時にホールデンは「純真無垢な世界」の象徴である回転木馬を見守る、新しい「ライ麦畑の捕まえ役」つまり「ライ麦畑の見守り役」が誕生した。弟アリーの墓参りに集まった大人たちのように雨から逃げるのではなく、雨に濡れながらも、回転木馬に乗り、生き生きとするフィービーを「見守り」続けるのである。ホールデンはこの瞬間「ライ麦畑の見守り役」というアイデンティティを獲得した。この雨は、ホールデンの新たな人生の始まりを告げる雨でもある。それゆえ「突然、とても幸福な気持ちになったんだな」と語る。


短いが奥が深い小説。


『「ライ麦畑」の正しい読み方』より引用。