今夜は恐ろしい夜。我が運命のように…
ードニゼッティのオペラ 『ランメルモールのルチア』より。
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(ビアンカ・カッペロ 1548〜1587)

屋根のない美術館と讃えられる古都フィレンツェ。ここにルネサンス芸術の大輪の花を咲かせたメディチ家。


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両替商から身を起こし、やがてフィレンツェ専制君主、トスカーナ大公へとのぼりつめたメディチ家は一族からローマ教皇、フランス王妃をも輩出した。


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メディチ家の人々はボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなどルネサンスの巨匠たちと交流し多彩な美術品を蒐集した。


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(ミケランジェロによるピエタ)



1548年、ヴェネツィアの裕福な貴族カッペロ家に生まれたビアンカ・カッペロ

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後期ルネサンス最高の宝石と讃えられたビアンカは、聡明で情熱的な絶世の美女でしたニコ

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ビアンカはわずか15歳の時、銀行家サルヴィアーティ家に仕えるピエトロ・ボナヴェンチュリという没落貴族のフィレンツェ人と恋におち、1563年11月に駆け落ちして結婚ショックビックリマークビックリマーク


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ピエトロの故郷フィレンツェでビアンカは長女ペレグリーナを出産しました。


しかしビアンカの実家、カッペロ家は大激怒ムキーメラメラメラメラ



カッペロ家の当主は娘ビアンカを奪ったピエトロを殺害したものには多額の報酬を払うと公言しました。


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(ルネサンス期の貴婦人のドレスニコニコ


二人はヴェネツィア政府から追われる身になった。

ビアンカは夫ピエトロの貧しい実家で身を隠すように生きていた。ヴェネツィアの名門の令嬢だったビアンカには苦しい暮らしだった。



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(幼少期のフランチェスコ。繊細で神経質そうですが、反面残忍な部分もショック


年少の頃から科学と芸術に目覚め、一日中錬金術の実験にはまっていたと言われる、二代目トスカーナ大公、フランチェスコ・デ・メディチ(フランチェスコ一世)は、ヴェネツィア一の美女で駆け落ちスキャンダルを起こしたビアンカに興味を持った。

そしてビアンカはフランチェスコ一世から見初められた。


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(ビアンカと結婚したフランチェスコ・デ・メディチニコニコ


フランチェスコはビアンカに実際に会い、その美しさ、物腰の優美さ、ヴェネツィア人特有の赤みがかった栗色の髪にすっかり魅了されてしまったのだ。



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(美女の誉れ高かったビアンカ・カッペロ)



フランチェスコ一世はロマンチストである一方、冷徹で策略家の一面もあったと言われている。

フランチェスコはビアンカ夫婦のために屋敷を用意してやり、ビアンカの夫ピエトロには宮廷での職務を与えてやった。 

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(二人が暮らしたヴェッキオ宮殿ニコ



そしてフランチェスコはビアンカには宝石、ドレス、金、ありとあらゆる贈り物を貢いだ。





好青年だったと言われるビアンカの夫ピエトロもしだいに宮廷の見目麗しい貴婦人たちとの情事に溺れていった。


じわじわ周りから固めていく作戦ですね。。アセアセ

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(ヴェッキオ宮殿内にある五百人の間)
 



特にピエトロは美女の誉れ高いカッサンドラ・リッチオと深い仲になっていた。


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そして1572年夫ピエトロはフィレンツェの路上で殺害された。

全身25ヶ所の刺し傷があった。そして同時刻ピエトロの愛人カッサンドラも25ヶ所刺され自宅の寝所で殺されていた。


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この殺人事件はビアンカとフランチェスコが共謀してピエトロとカッサンドラを殺したのだと噂されましたショック

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実はフランチェスコにはオーストリアの名門ハプスブルグ家から輿入れしてきたジョヴァンナと結婚していた。

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しかしフランチェスコは身分が高く周囲からは魅力的と言われていた妻ジョヴァンナを一切かえりみず、ビアンカをひたすら熱愛した。

妻ジョヴァンナ大公妃のことをフランチェスコは、〝青白く痩せぎすで魅力に乏しい〟と評価した。

好みのタイプではなかったんでしょうか。。ショック

ビアンカのいうことはなんでも叶えてやった。

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(フランチェスコの妻、ジョヴァンナ大公妃)


ジョヴァンナ大公妃は舅コジモ一世や兄の皇帝までに自身の不遇を訴えるが効果はなかった。


ジョヴァンナ大公妃は12年間の不幸な結婚生活で8人もの子を産むが、1578年謎の急死を遂げました。




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(ジョヴァンナ大公妃は夫フランチェスコから見放され不幸な一生を閉じましたぐすん

しかしジョヴァンナ大公妃の娘はフランス王妃になることができましたニコ
ジョヴァンナ大公妃が産んだマリーはフランスに嫁ぎ、アンリ四世妃マリー・ド・メディシスとなりました。


この時もまたビアンカとフランチェスコによる毒殺だと噂されました。



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ジョヴァンナ大公妃が急死するとわすが2ヶ月後にビアンカはフランチェスコと結婚し、トスカーナ大公妃となりました。





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(ビアンカ・カッペロ)


そして2人の愛は死がふたりをわかつまでなんと24年間続いたびっくり

結婚式はサン・ロレンツォ教会で盛大に行われ、豪華な祝宴が一週間も続いた。街角にある水飲み場からはワインが流れ出たという。

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この罪深い二人はミステリアスな最期を遂げることになる。


1587年10月の夕方、狩りから帰ったフランチェスコは突然高熱で倒れた。続いてビアンカも高熱に倒れた。

ビアンカ大公妃はトスカーナの国民にも、メディチ家の一族にも軽んじられていた。だからビアンカはフランチェスコがいなければ自分の命など無価値であることも知っていた。


フランチェスコの後、トスカーナ大公を継ぐ、フェルディナント枢機卿はビアンカのことを毛嫌いしていたからだったあせる


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(ビアンカを嫌い抜いた新大公フランチェスコ)


夫フランチェスコが死んだときくと、ビアンカはため息をついてこう言った。

『では主人とともにわたくしも死ななくては。』

そして夫フランチェスコが死んで11時間後、覚悟したかのようにビアンカは息をひきとった。

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新しくトスカーナ大公っなったフェルディナントは、ありとあらゆるビアンカの肖像画や記念品からビアンカの名前を消し、ビアンカの紋章も前妻ジョヴァンナ大公妃の紋章に取り替えられた。

フランチェスコは盛大な国葬が行われたが、ビアンカだけは粗末な棺に入れられフェルディナント新大公により、フランチェスコとは別の場所に葬られたため、現在もまだビアンカの墓は行方不明となっている。


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