フランス、ナポレオンの第一執政時代、パリ社交界の華として一世を風靡したジュリエット・ベルナール。
さらにフランス美人の代表的存在とされ、世界の歴史の中でも最も美しい女性
そのジュリエットの清楚で慎ましやかな美しさは多くの男性を魅了しました。
スウェーデン国王ベルナドットはレカミエ夫人の美しさを
“その美しさと優雅さはヴィーナス神にも比すべきもので、あたかもオリンポスの山上から下界へと降り立ったような女性”
と書き残している。
最も有名なのがフランス皇帝ナポレオン
そしてスウェーデン王カール14世、プロイセン王子アウグスト、ナポレオンの弟リュシアン、作家シャトーブリアンなどそうそうたる面々がジュリエットの美しさの虜になった
そしてジュリエットはどうもかなり頑固な性格だったようです
強く美しい目をしており、髪は短く、ギリシャ風の衣装を好んだ。性格は、聡明であり、非常に信念が強く、忍耐も強く、教養が高かった
さらにジュリエットの養女によると、
『しなやかで優雅な体つき。
形がよく均整のとれた首と肩、深紅の小さな唇、真珠のような歯、ほっそりとした魅力的な腕。自然にカールした栗色の髪、繊細に整ったフランス的な鼻、比類なき肌の輝き。。』
1777年リヨンで生まれたジュリエット・ベルナール。
ジュリエットの母親はリヨン一の美人と言われたが、その娘であるジュリエットは外を歩くだけで人が集まってしまうほどの美少女でした
1793年、ジュリエットはわずか15歳で30歳も年上のジャック・レカミエと結婚。
ジュリエットと夫レカミエとの間には夫婦関係はなかったと言われています。
実はジャック・レカミエはジュリエットの母の愛人でジュリエットにとって実の父。
やり手の母親がフランス革命の混乱期のため、ジャック・レカミエの財産を正当にジュリエットへと相続させるために結婚させた、と言われています。
なんともややこしい関係ですがらこれほどまでに2人の結婚生活が人々の注目を集めたのはジュリエットがそれだけ美しかったからでした
時の皇帝ナポレオン妹ポーリーヌでさえジュリエットに憧れていたとされています。
ナポレオンの弟、リュシアン・ボナパルトは、ジュリエットに何度も、熱烈なアプローチをしていたと言われています
どんだけモテるんだ。。
(ダヴィッドの描いた長椅子に座るジュリエット。ルーブル美術館所蔵)
ジュリエットがパリで開いたサロンには一流の文化人が集まる文化的意義をもった最後のサロンとまでいわれました。
さらにサロンを開き有名になると、ジュリエットはテレジア・カバリュス、ジョセフィーヌ・ド・ボアルネジョセフィーヌ・ド・ボアルネと並びパリの三美神と呼ばれるまでになりました。
(若き日の皇帝ナポレオン。パリ、カルナヴァレ美術館)
ジュリエットは白いドレスを好み、いつも身につけるアクセサリーは真珠で、真珠以外身につけませんでした
ジュリエットの清楚な美貌と優雅なものごし、何より相手を夢中にさせる天使のような微笑みで男たちを虜にしましたが、ジュリエットは聡明で意志の強い女性だったので、決して誰とも一線を越えようとはしませんでした。
白い服しか着なかったり、一線は越えないけど媚態を凝らして胸も露わなポーズの肖像画を恋人に贈ったりするジュリエット
ジュリエットの魅力を作家シャトーブリアンは、「彼女には処女と愛人との奇妙な魅力が入り混じっている」
と評しました。
ジュリエットは23歳のとき、夫レカミエと離婚し、プロイセン王子アウグストと結婚しようとしますが夫は離婚を受け入れず、2人は別れることになりました
その時自分を忘れないで欲しい、とジュリエットがアウグストに送ったのが、現在はフランス、カルナヴァレ美術館にあるこのジェラールの描いた下の絵です
ナポレオンがフランス皇帝になると、ジュリエットに恋したナポレオンが権力を使って愛人になるように迫ってきました
(ジュリエットに恋した皇帝ナポレオン)
夫レカミエの銀行はフランスから融資を受けていたので、ナポレオンの求愛を拒否した結果、レカミエの銀行は破産。
ジュリエットはパリ追放処分になってしまいます
フランスを追放されたジュリエットはローマ、ナポリに向かい、最終的にはスイスのコペへ行きました。
ここに反ナポレオンの友人スタール夫人がいたからでした
そしてジュリエットに転機が訪れる。。
親友スタール夫人の紹介で出会った50歳の天才作家シャトーブリアンと恋に落ちます。
1818年ジュリエットはなんと41歳にして初めて肉体的な一線を越え、女性としての喜びを味わったとされます
ジュリエットとシャトーブリアンはシャンティイのある館で結ばれたと言われています
しかしモテモテだったジュリエットは40歳になるまでなぜ今まで誰とも肉体関係を持たず処女妻だったのか
ジュリエットは常に男性の取り巻きをはべらせて周りに集めることに余念がありませんでした。
実はジュリエットには性的関係を結ぶ上で肉体上の欠陥があったと推測されています。
少なくてもジュリエットの方は自身が女性として完全ではない、(膣に関する外科手術は麻酔がないため手術はおろか診察さえ容易ではなかった)欠陥がある、と思い込み苦しんでいたふしがあります
その欠点を隠すため、恋心を抱く崇拝者たちに媚態を振りまいていたとされています。あぁ可哀想なジュリエット!
それから30年間にわたり、2人の愛は続きました。
やがてジュリエットは全財産を失い、さらに白内障になり、目が見えなくなってしまいますが、互いにいたわり合いシャトーブリアンが死ぬそのときまでずっとそばに寄り添い、真実の愛を貫きました。
シャトーブリアンが死んだ翌年、ジュリエットも静かに世を去った。