その個性、魅力は永遠
伝説にまでなったジャクリーンの魅力の秘密を探っていきたいと思います
ファーストレディとしてさまざまな場所に政治キャンペーンとして行かなければいけなかったジャクリーンに対し、キャンペーンに同行した記者の感想
ジャクリーンは、フランス語、スペイン語、イタリア語が話せ、夫、ケネディ大統領の政治キャンペーンを助けた。またジャクリーンには教養がありパリのソルボンヌ大学にも留学していた。
ジャクリーンのその特別な存在感はケネディの大統領選挙に大いに貢献しました
ファーストレディとなってからはアメリカのプリンセス、聖母、女神と称えられました…
2、周囲に才能ある人を置くことを選んだ
大統領選挙キャンペーンの際に、ディオールやシャネルなどフランス人デザイナーのファッションに身を包んだことで批難をあびたジャクリーン。
ホワイトハウスに入るとすぐにカリスマ編集長ダイアナ・ヴリーランドにアドバイスを求め、〝ジャクリーン・ルック″ として一大ブームを巻き起こした、シンプルで洗練された新しいファッションを生み出した
ジャクリーンが交流するのはジャクリーンが〝一流″ とみなした人間だけだった。
ジャクリーンは自分が二流だとみなした人間にはひどく冷淡だった
しかしジャクリーンのおかげで首都ワシントンに文化の香りが馥郁と満ちた
専属デザイナーはグレース・ケリーの恋人でもあったオレグ・カッシーニ。
ジャクリーンには〝自分がこうなりたい姿″というものがはっきりしていた。そしてそれは〝精神的に自立しプライドを持つこと″でした
当時ケネディ大統領の女性関係はひどく、ホワイトハウスに女性を連れ込むこともあったり、マリリンモンローとも関係していた。それはホワイトハウスに近しい人々には隠せず、周囲は皆知っていることだった
しかしジャクリーンは夫から軽く見られることも、みじめに見られるのも嫌った。だから週末に別荘に行って優雅に過ごしたり、小旅行に出かけ〝自尊心″ を守った。
4、最期の瞬間までプライドの高い女でいる
ジャクリーンの男性の好みに、見た目は重要ではないと考えていた。大切なのは知性、生きることへのヴァイタリティー、そしてすこしの危険な香りがあること。
ジャクリーンは夫、ケネディ大統領が暗殺されたのち、世界的大富豪オナシスと再婚。世界中の人々を落胆させたが、ジャクリーンは自分の信じた道をいった。
人生を充実させる環境を追い求めたジャクリーンは、オナシスの死後は46歳で出版社の編集長として我が道をすすみ活躍した。
ジャクリーンはその後宝石商を営む男性と同棲し、64歳で亡くなった。
ジャクリーンのことを書いていると不思議と様とか殿などの敬称をつけたくなってしまいました