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ロココ、あまりのみだらさのため美術史に名を残せなかった華麗で官能的な時代。


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1720年代~1760年代の終わりまでが40年間が、真のロココと呼ばれる

贅沢、優雅、快楽

を最高とする時代の最盛期。




789年以前に生きたものにしか、人生の甘美さはわかるまい

あの頃は老人なんていませんでした。老いも若きも皆人生を楽しんでいた

とジョルジュ・サンドの祖母は語ったといいます。


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(ジョルジュのサンドの祖母で若い頃らヴェルサイユで暮らしていた)



フランス王はルイ15世。王妃はポーランド王女マリー・レグサンスカ

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(マリー・レグサンスカ王妃)

1725年、15歳のルイ15世の王妃に迎えられることになったのが、この年22歳になるマリー・レクザンスカでした。

美人ではないが信心深く教養豊かな女性であったといわれるが、健康で年齢的にも子供がすぐにでも産めそうだというのが、元ポーランド王とはいえ弱小貴族の娘に過ぎないマリーが王妃に選ばれた理由でした。


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(少年王ルイ15世。国民から愛された王でした)


王妃は2男8女を産みました

時は流れ、ルイの世はこの7歳年上の妻に12年で10人の子どもを産ませた後は完全に興味を失い、もっと気の利いた、もっと自分を愉しませてくれる美女たちの間を渡り歩くように




夫からも臣下からも見捨てられ、愛人を作る才覚もなく、ファッションにも政治にも関心のないとにかく影の薄い王妃様なのでした。

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(ロココ時代最も自由に生きた色事師カサノヴァ)

マリー・レグサンスカは、地味な王妃様で色事師カサノヴァが王妃と食事を共にした際、王妃は一言も発せず食事を続けた。
優雅とエスプリこそすべてのヴェルサイユにとってマリー王妃のような女性はとても珍しく

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このようなかび臭い女性がフランス王妃とは!

と感想を残したほど。実の父親にすら娘は真面目で世界一つまらないんだ~と言われてしまいました

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贅沢、優雅、快楽こそが最高とされた時代に生まれてしまったマリー・レグサンスカ王妃現代なら生きやすかったのかも。。


7歳年下の夫ルイ15世は、ネール家の三姉妹、ポンドール侯爵夫人、まだ15歳のオ・モルフィ、絶世の美女マドモアゼル・ロマン、そして有名なデュ・バリー夫人など。

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(黒髪の絶世の美女だったらしいルイ15世の愛人マドモアゼル・ロマン

マドモアゼル・ロマンは地方の小貴族の出で、弁護士の娘でした。


幼いころからたいへんな美少女で、幼いころからルイ15世は目をつけていたといわれ、また背が高い威厳ある女性だったらしいです。





ロマン嬢の髪は黒く、マントのように長く豊かで目がさめるほど美しい人でした。

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ルイ15世との間に男の子を授かりますが、要求が多い女性だったため、ルイ15世とはだんだん疎遠になりました。

しかし子供(後のリュック公爵)の認知だけはしてもらえたようです。




ポンパドゥール侯爵夫人の死後、マドモアゼル・ロマンを公式寵姫にしようという動きがあったが上手くいかず、彼女はカヴァック侯爵と1772年に結婚させられました。


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(ブーシェのモデルにもなった、ルイーズ・オモルフィ

アイルランド系のルイーズ・オモルフィは〝鹿の園″で一年間教育され、わずか14歳のときに王の愛人になりました。

ルイーズはルイ15世のお気に入りで規則を破ってヴェルサイユ宮殿に連れてくるなどしましたが、ルイ15世の子供を出産した後、ポンパドゥール夫人のはからいにより、財産家と結婚し、フランス革命まで生き延びました。


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マリー・レグサンスカ王妃の趣味であるコレクションは、なんと髑髏でした

中でもお気に入りの頭蓋骨は、17世紀の高級娼婦で当時の社交界の華、ニノン・ド・ランクロだったらしい
(少なくとも王妃はそう信じていた
 
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(髑髏に向かって瞑想するのが流行っていたそうなのですがそれにしても。。

いまから約400年前の絶世の美女ニノンは、枢機卿リシュリーやら劇作家モリエール、箴言集で知られるラ・ロシュフーコー伯など、そうそうたる人物を相手にした17世紀の伝説の高級娼婦。





あまりに派手に動いたため、いっとき修道院へ入れられてしまったほど

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ニノン・ド・ランクロ(1620-1705))


本名アンヌ・ド・ランクロといい、ルイ十三世からルイ十四世の時代に生きた高級娼婦(クルティザーヌ)とされるが、実際には理財の才と文筆の才、それに美貌と才気で自活の道を探りながら独身を貫いたインテリ女性

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しかし悪名高い二ノンにスウェーデンのクリスティーナ女王が興味を持ち二ノンのもとへ会いにきます。

しばらく話しただけでクリスティーナ女王は二ノンを大変気に入ってしまいます。

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クリスティーナ女王の尽力で修道院から解放され、高級娼婦から引退し、今度はマレ地区にサロンを開いて女主人として君臨



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70歳になってもニノンの美貌は衰えなかったようで、男たちの求愛はとどまらなかった奇跡の美人

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かつて捨てた息子がそうと知らず言い寄ってきて、あげくに自殺してしまったとの伝説さえ残っているほどのモテっぷり。

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当代の最高の男たちと次々交際した二ノンとマリー・レグサンスカ王妃。

 まるで共通点がない二人ですがルイ15世の妃はそんなニノンの髑髏に一体何を語りかけたのでしょうか?


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王妃は二ノンのような自由な生き方に憧れたのでしょうか?