愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
この言葉は、初代ドイツ帝国宰相オットー・フォン・ビスマルクの言葉です
自分が経験できることなど本当にごくわずか。
歴史には多くの〝気づき″ あります。
ナポレオンの初恋の相手、デジレ・クラリー。
ナポレオンとデジレは婚約していたのでもしかしたら彼女がフランス皇后の座についていたかもしれません。
しかし彼女は不運なことにフランス皇后にはなれませんでした。
そして出世前のナポレオンと知り合い婚約。
しかしその後ナポレオンは軍の上司と衝突し減棒処分になってしまいます。
それを知ったデジレの父はそんな不安定な職の男に娘はやれない
と婚約破棄を申し出ます。。
しかしデジレはそんな危険をおかすことを避ける女だったのです。。
できるだけ危険を避け、自分が安穏として暮らせることを第一とする女性でした。
傷心のナポレオンはパリで功績を挙げ、未亡人ジョセフィーヌと結婚しイタリア方面の総司令官にまで出世
逃がした魚は意外と大きかった。。そう思ったデジレはナポレオンに手紙を書きます。。
「あなたは私を見捨て、他の女性(ジョセフィーヌのこと)と結婚なさったのね。でもいいの。わたしのことは忘れて幸せになってください」
といった意の手紙を書きます。
その後のデジレの行動をみるとそんな感じがします。
一説ではデジレはジョセフィーヌの事を「年老いた高級娼婦のような評判の悪い女性」と口にしたと伝えられています。
そう、デジレは相当あざとい女!!
しかしまだまだ初心で若いナポレオンはこの一見可憐な手紙に胸を打たれ、デジレに素敵な結婚相手を探してあげます
(有能な軍人だったデジレの夫、ベルナドット)
お相手はベルナドットという軍人で彼は後のスウェーデン国王になります。
しかしその頃デジレの心の中では嫉妬の炎がくすぶっていました
あの時反対を押し切って結婚していれば私がフランス皇后だったのに!!
デジレはスウェーデン入りします
その後ヨーロッパの支配者となったナポレオンですが、ロシア遠征の失敗、エルバ島への流刑をえてヨーロッパ各国から見捨てられ1821年死去。
この時デジレは夫ベルナドットの意向に従い、ナポレオンを助けることはせず傍観していました。
つまりナポレオンを見殺しにします
しかしおかげでデジレは1860年、83歳で死去するまでスウェーデン王妃であり、ノルウェー王妃であり続けます。
子供、孫にまで恵まれたデジレの血は現在でもスウェーデン王室にまて続いています。
(ナポレオンの血筋は断絶してる)
なーんにもしなかったおかげでデジレは幸運に暮らしました
そして自分が幸せになるのは誰とつきあい、どう振る舞えば一番得かを心得ていた女性のように思います。
たとえ恩義あるナポレオンを見殺しにしても自分の幸せは絶対にはなさず確保する女性
さらにデジレは首相のリシュリュー公に一目惚れし、リシュリュー公爵を熱烈に追いかけ回して人々の耳目を集めています。
肝心のリシュリュー公には相手にされず、終始デジレには冷淡だったようですが、テジレのこの行動はなんとリシュリュー公爵が死去する1822年まで続きました
幸運をつかんで離さない女性、デジレから学べることは、
危険な時には勝負を避けて傍観し続け、時勢を読み、焦らず静かに好機が来るのをまつこと。