マリオン・ド・ロルムは、1613年10月3日に名門貴族ジャン・ド・ロンの5女として生まれました。
マリオン・ド・ロルムはニノン・ド・ランクロと同時期に活躍したクルティザンヌです。
ニノンド比べるといささか見劣りがするといわれるマリオンですが、どのような女性だったのでしょうか?
マリオンは、12人の子供達の中で最も美しい少女に成長しました
一家はシャーパーニュ地方にあるバーユというところに住んでいました。
母親は信心深いキリスト教徒で真面目な女性でした。
マリオンは姉2人よりもはるかに美人だということを自分でも気がついていたので田舎であるバーユは退屈な田舎に過ぎませんでした。
美しく成長した娘を見て、マリオンの両親は宮廷での出世を願い、マリオンに家庭教師をつけて教養を身につけさせようとします。
しかしマリオンの家庭教師として雇われたジャック・デ・バローは、放蕩者で美少女のマリオンをみて、激しくいいよります。
マリオンの父親はこれに気がついてデ・バローを追い出しました
この隙を狙ってデ・バローはマリオンに再びいいより、遂にマリオンは根負けし、未婚の身ながら、デ・バローに処女を捧げました。
やがてマリオンはデ・バローと別れ、もっと金持ちで地位もある美男子に乗り替えていきました。
こうしてマリオンは、ニノン・ド・ランクロと同じく高級娼婦となり、大金持ちや大貴族をパトロンとし、自由な生活を送るようになります
その頃のフランス国王はルイ13世で絶世の美少年だったサン・マール公を寵愛し、主馬頭にまで出世させていました。
ルイ13世から深い寵愛を受けていたサン・マール公ですが、絶世の美女マリオン・ド・ロルムの恋人になります。
サン・マールとマリオンの熱愛の噂を聞いたルイ13世は大変落ち込んでしまいます。
それを心配した宰相リシュリューは一計を案じます
恋人を取られたサン・マール公は大激怒
宰相リシュリューを恨んだサン・マールは陰謀を企てますが失敗し、すぐ処刑されてしまいます。
しかしその頃リシュリューもまた、病気がちですでに死相がでていました。
リシュリュー枢機卿は浸蝕性潰瘍を患い、また眼精疲労と頭痛にひどく悩まされており、他の多くの疾患も抱えていた。担架に乗って戦場で軍隊の指揮を執っていた
(戦いにでるリシュリュー枢機卿)
かかりつけの医師であるキエはマリオンの体を今まで診た中で最も美しい体だったと話しています
マリオンは次々恋人を変えながらも、いつでも今の恋人が1番好きだと信じていた、と言われています
マリオンは、3、4回身籠った形跡があるらしいのですが、最初の恋人デ・バローから堕胎の方法を教えてもらい、私生児を産まずにすんだと言われています。。
根っから結婚生活に向かない美女だったのでしょうか?
しかしながら、自我を貫き自由な人生を楽しんだ女性のようです。
マリオン・ド・ロルムが二ノン・ド・ランクロ同様有名だったのは、後の高級娼婦たちとは違い由緒正しい貴族の血を引いていたからでした
またパトロンたちの選択はマリオン自身の完全な自由選択
しかしマリオン39歳の時またも身ごもり、堕ろそうとしてアンチモニーの薬剤を大量に服薬した。これがマリオンの命取りとなった。
ほんの2、3日死の床についた間に10回も懺悔したという。