こんにちは
ブログにご訪問いただきありがとうございます。
UMIで心の勉強修行中の、かほ です。
我が家に起きた不登校の経緯を、時系列で書いているシリーズ
前回に引き続き、今日は7回目です。
これまでの不登校の経緯シリーズはコチラ
のろのろとカメの歩みで振り返っているこのシリーズですが
前回は娘と一緒に学校へ行き、そこで怖がる娘の様子に
「これはただ事ではない」と感じたことを書きました。
今回は、その後の、主に私の気持ちの変化についてです。
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ただ事ではない娘の様子に、
「これはただの行き渋りではなく、本格的に不登校になるのかもしれない」
と感じた私は、そこから不登校の書籍を読み漁ったり、ネットを見たりし始めた。
有効な情報もたくさんあったけれど、
同時に、見たくなかった情報もたくさん入ってきて。
不登校は、それまでの親のかかわり方が原因
そのままうつ病などを発症する場合も多い
社会復帰には、少なくとも1年から3年はかかる
そんな中、一番怖かったもの。
市の図書館で借りた、不登校についての本だったのですが、
子どもが不登校になったお母さんの手記で、
「子どもを不登校にしてしまったこと、その現実に耐えられず、遺書を書いて家を出ました」
とありました。
あまりに怖くなって、そこまでで読むのをやめてしまったけれど、
その言葉は私の心にズシンと残りました。
パートの帰り道、車を運転しながら、遺書を書いたそのお母さんのことを思い出し、
気持ち分かるかもしれないな
家に帰りたくないな
帰れば不登校っていう現実が待っている
このまま交差点に突っ込んだら
何も考えなくてすむのかな
そんな考えまでよぎっていました。
当時、なんとか毎日の生活はこなしていたけれど、
食欲がない
味がしない
朝起きれない
音楽を聴けない
ドラマが観れない
歯をみがけない
のないないづくし、ギリギリ生きているっていう感じで、まさに人生のどん底期。
でも、今振り返れば、不登校っていう現実を受け入れるのがとても難しかった私の、
現実を受け入れるための最初の難関が、この時期だったのかな、と思います。
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書いていても、少し苦しいこのどん底期ですが、
自分にとって必要な時期だったのかも、とも感じます。
そして、辛いのに、不登校=悲劇 と思わされるような情報ばかりを見つけてしまっていたのは、
当時の私の中に 不登校=人生の終わり というイメージがあったから。
あの時は分からなかったけれど、UMIで心の仕組みを学ぶと、色々なことが分かってきます。
まとめ
~不登校になり3-4週間~
人生のどん底期
娘の様子:
学校には行けない。門タッチが精一杯。
情緒が不安定で、ちょっとしたことで泣き出す
私の様子:
不登校という現実を受け入れようと情報を集めるが、
受け止めきれず苦しむ。
怖い情報ばかりが目に入る。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました