前回のブログ、

 

 

の続きです。

  

 

妊娠八ヶ月、週数でいうと、おそらく32、33週目あたりに内科にて、

自分が妊娠していることを告げられ、衝撃を受けた私ですが、

  

 

その病院の帰りに電話で、子供の父親にあたる人にもすぐに報告しました。

  

  

 

彼も最初はすごく衝撃を受けていましたが、

すぐに受け入れて、素直に妊娠を喜んでくれました。

  

 

と同時に、彼も私が不健康で体調不良が続き、お腹が膨らんでいると思っていて

私の健康状態を心配してくれていた人だったので、

  

 

妊娠のせいでそうなっている事を理解して、

同じく安心していました。

  

  

内科の先生に、すぐに産婦人科を受診するように言われ、

その病院には産科がなかったので、他の病院を紹介され、

予約を取れたのが1週間後。

  

 

 

私は八ヶ月も妊婦検診を一度も受けていない未受診妊婦なので、

リスクが高いために受け入れてくれる病院が、

私が住んでいる地区だと1つしかなく、

出産する病院の選択肢はありませんでした。  

  

 

 

そして1週間後に彼と一緒に産婦人科を受診しました。

  

 

 

まず、色々質問攻めに遭いました。

  

 

「なぜ8ヶ月になるまで気づかなかったのか?」

 

「つわりや胎動といった事で妊娠に気づかなかったのか?」

 

「生理が止まっていることを不自然だと思わなかったのか?」

 

  

などなど、担当の看護師さんが、めっちゃ眉間に皺を寄せて、

 

『こんな妊婦初めてみた、理解不能やわ』

  

オーラ全開で問題児扱いされた感満載でした。笑

  

 

胎動は後から言われてみればあったのですが、

自分が妊婦だと思っておらず、初めての妊娠で

「胎動」がどういうものか知らなかったので、

  

 

私は腸が動いているだけだと思っていました。笑

  

 

診察の結果、現在私は妊娠8ヶ月相当で、

性別は男の子だということが分かり、

赤ちゃんは問題なく成長していると言われました。

  

 

ただ、子宮口が1センチ開いてしまっていて、

切迫早産の可能性があると言われ、

薬を処方されました。

  

 

「また1週間後に診察を受け、

その時もし子宮口が閉じていなければ、赤ちゃんの為に入院しなければならない」

ということを告げられました。

  

 

切迫早産って何?

何で入院しないとあかんの?

そんなに子宮が開くことって悪いことなの?

  

 

今まで妊婦だという自覚が全くなかったために、

妊娠や出産に対する予備知識も何もなく、

先生に言われた事が初めて聞く単語ばかりで訳がわかりません。

  

 

本当は妊婦って絶対に無理はしないほうが良いんですが、

私は妊婦だと思っていなかったので、

しんどくても多少無理をしてバリバリ仕事をして動き回っていましたし、

 

 

不健康だと思っていたので、

健康になるために筋トレなどの運動もしていて、

  

 

さらに妊婦が本来やっちゃいけないこと、

思い返せばやりまくっていました。笑

  

 

例えば、

 

遊園地でジェットコースターに乗る(しかも何回も遊びに行って乗っていた)

 

時々お酒を飲む(元々お酒を飲む方ではないので少量ですが)

 

お腹が大きくなっても自転車に乗る

 

自分が不健康なせいで体調が悪いんだから、他人に迷惑をかけないように無理をしてでも動く

 

切迫早産になりそうなのに筋トレを日常的に取り入れる

 

などです。

  

 

こういうことが積み重なって、自分の体的には無理している状態だったんだと思います。

  

 

 

1週間後の2回目の妊婦検診で、

 

「やっぱり子宮口が塞がっていないから、入院してください」

 

と先生に言われ、診察を終えてそのままその病院へ入院。

  

 

私は家に帰れるとばかり思っていたので、

予想外の急な入院に戸惑いました。

  

 

しかも、緊急性が高い入院だったらしく、

家に荷物を取りに帰らせても貰えなくて、

何の準備も一切していないまま強制入院させられることに。

  

 

子供の父親にあたる彼に頼るしかなく、

私の家の鍵を渡し、病院と何度も往復して私の荷物を持ってきてくれました。

  

 

彼と私は、同居はしておらず離れて暮らしているのですが、

今置かれているお互いの状況を加味して、

出産しても婚姻届は出さない選択をすることにしました。

  

 

でも、仲は良いですし、

ちゃんと子供や私の人生に対して責任を背負ってくれています。

  

 

籍は入れていないけれど、

お互い良い関係を今でも築けているので、

ここでは彼のことを「パパ」と呼ぶようにしますね。

  

 

切迫早産で入院した場合、

「絶対安静」を厳守させられるみたいですね。

  

 

私は、お風呂とトイレ以外は動き回ることを許されず、

それ以外はずっとベットの上で過ごすように言われました。

  

 

  

八ヶ月間も体調不良で悩み、

いきなり突然妊娠が分かって自分が母親になると自覚し、

その上、急な入院。

  

 

 

当時私は、自営で仕事をしていたので、

仕事も入院で強制的にストップさせられることになり、

その辺の対応も考えないといけなくて、

  

 

急な環境の変化に心がついていけなくて、

軽くパニックでした。

  

 

パパがまず最初に、

「コウノトリ」というマンガを私に読ませてくれて、

おかげで自分の置かれている状況が理解できました。

  

 

妊娠や出産ってどんなものなのか、

切迫早産するとどうなるのか、

 

マンガを読んだら理解が深まりました。

  

 

胎児や母体の安全を考慮したときに、

37週0日以降の「生産期」以降に出産することが望ましく、

それまで赤ちゃんは母体の外に出てしまっては困るので、

37週0日になるまで私は入院しなければならないこと、

  

 

現在32週あたりの週数で、私は子宮口が開いていて、

このままさらに開くことが起これば、陣痛が起こって出産する流れになってしまうので、

そうならないために絶対安静にして入院が必要なことなどを理解しました。

  

 

強制入院になった時が、32週だったか33週目だったか記憶が曖昧ですが、

確か4週間くらい入院したのは記憶にあります。  

  

 

子宮口をこれ以上開かない様にするために、

毎日大量に点滴をしなければならず、

その点滴を打つ頻度が多いので、腕が注射の後まみれになって、

見た目がドラッグ依存症の人みたいに残念な感じになっていて、笑、

最後は針を打つ場所がだんだんなくなってきたのを覚えています。

  

 

洗濯すらも自分ではやってはいけない決まりだったので、

信頼できる友人何人かに連絡をし、事情を説明し、

わざわざ病院に来てもらって洗濯をお願いしました。

  

 

 

洗濯ぐらい自分でできるのに、

友人の時間を割かせてやってもらうのが、

本当に申し訳なかったのを今でも覚えています。

  

 

(文句を言う人はもちろん誰もいなかったですし、みんな快く引き受けてくれましたが。)

  

 

 

入院している間は、本来八ヶ月の間の妊婦検診の際に受けるべきであった性病の検査や、

妊婦教室への参加、必要なベビー用品の準備などを一気にやることになりました。

  

 

仕事の方も、同じ自営業仲間と連絡を取り、

仲間が私が入院している間、私の仕事を代わりにやってくれることになりました。

    

 

やることはありましたが、

トイレとお風呂以外はずっとベットの上で寝ていなければならなかったので、

1日が過ぎるのはとても長く感じました。

  

 

 

生産期に入った37週0日に、これからはいつ産んでも良いと言うことで、

陣痛が来て出産するまでの間、一時的に退院できることになり、

約一ヶ月ぶりに自宅に戻れることに。

  

 

4週間もベットの上で過ごしたのと、

点滴の副作用もあって全身の筋肉が落ちて、

座っているだけでもしんどく、歩くのも辛かったです。

  

 

体が元気じゃないので、動き回れるわけでもなく、

自宅に戻ってもいつ陣痛が来て出産するか分からないので、

出産の準備やベビー用品の購入、引っ越しの準備などに時間を充てました。

  

 

 

当時住んでいた家は、完全にひとり暮らし用で、実は子供はNGだったんですね。

  

 

生まれてしまっては一緒に暮らせない、と言うことで、

子供がOKな賃貸住宅を探しました。

  

 

ちょうどパパの家の近くに良い家があったので、

そこに決めましたが、

  

 

入居できるタイミングが最短で、子供が生まれてから一ヶ月後になってしまい、

一ヶ月は子供がNGの部屋でなるべく音を立てないように気をつかいながら生活しました。

  

 

今考えると、もういつ産まれるか分からないお腹の大きな状態での引越し作業は大変だったと思うので、

産んでしばらくしてから引っ越しできて、

タイミング的には良かったんだろうなと思います。

  

 

話は生産期を迎えて一時退院した後に戻るのですが、

 

一時退院した4日後の早朝に、寝ているときにくしゃみをしたら、

そのまま破水。

  

 

自分でタクシーを呼んで病院へ。

  

 

4日ぶりに病院に戻っただけなので、

新鮮味は全くなく。笑

  

  

 

そのまま順調に陣痛が来て、8時間後に無事出産しました。

  

 

  

ただ、2574gと少し小さく生まれたせいか、呼吸がうまくできなかったようで、

産んですぐに抱っこをさせてもらえたものの、すぐに呼吸器に入れられてしまいました。

  

  

その後も呼吸がうまくできない時があると言うことで、

私が退院してもしばらくは息子だけ病院に入院して様子を見ることに。

  

  

 

結果的に2週間後に無事退院でき、

ひとり暮らし用の部屋で一緒に暮らしながら、引っ越しの準備をして、

無事子供OKのマンションに引っ越すことになりました。

  

 

 

そして今に至ります。

  

 

 

長男は生まれてすぐは呼吸器に入れられてしまいましたが、

それ以降はすくすく成長して、今は健康上に全く問題はなく、

元気な5歳児です。

  

 

 

長男の妊娠は思い返せば、自分は死ぬかもしれないくらいの不健康だという思い込みや、

つわりも、次男、3番目の子に比べると相当キツくて、心身ともにしんどいことばっかりで、

自分の妊婦生活もたった一ヶ月でしたし、幸せな妊婦生活を送れなかったことが正直不満でした。

 

 

次男は、流石に妊娠を一度経験しているので、

つわりで吐き気がする体調の変化ですぐ妊娠に気づきました。

  

 

そしていわゆる普通の妊婦生活を送ったので、

長男の時の幸せな妊婦生活を送れなかった不満は、

次男の妊娠で解消されました。笑

  

 

今回の3番目の子の妊娠で思ったことは、

つわりが本当にしんどくてしんどくて生き地獄だったので、

妊娠はしばらく良いなと思いました。笑  

 

 

 

長文でしたが、読んでくださり、ありがとうございました。