森羅万酒

森羅万酒

all drinks in the universe
コ ノ ヨ ノ サ ケ ノ ス ベ テ


テーマ:

 

 11月16日(火)13時までの展示にぎりぎり間に合う。三鷹市役所1回ロビーのオープンなスペースに10数個の縄文土器を展示。市役所利用のついでに立ち寄る人が多い。

 三鷹市では、考古史料を常設で展示する施設がないため、年に1回、こうした企画を行っているとのこと。

 今回は、初展示や修復完成一歩手前の縄文土器も展示されている。今夏、トーハク「縄文展」を始めさまざまな自治体博物館・資料館の縄文土器を数多く見る機会を得たが、ここに並ぶ土器はどれも技巧が繊細で見応えがある。

 その魅力を引き出しているのが、自然光のもとで間近に観察できることだ。

 最近では、土器片に触れることができる展示が増えているが、修復後の土器はほとんどの場合、ガラス越しだ。多摩センター駅の東京都埋蔵物センターでは、一部縄文土器に触れることはできるが、照明のもとでの観察になる。

 

 土器が作られた時、もちろん電気的な発光照明はなく、太陽の光や炎の揺らぎの中で、制作も使用もなされたわけで、自然光のもとで見られる・触れられる・近づけるをすべて体験できるのはとても貴重なことだ。

 

 

加曽利式の櫛状のヘラ書き文様の美しさは、均質な力加減でていねいに付けられたのだろうと目と指先で確認できる。

 

 

 こちらの3点は「持ち上げる」こともできる。右端の小型土器はずっしりと重く、左端の称名寺式土器は薄く、大きさから受ける印象よりかなり軽い。

 

 展示された土器は、いずれもていねいな修復で、オリジナル部分と復元部分も違和感なく違いを明確にしてあり、それがオリジナルの技巧の素晴らしを再確認させる。多摩地区の他の土器より几帳面な文様や表面の磨きに感じたが、それは修復技術が引き出した魅力かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 現在の井の頭公園の池周辺は、石器から江戸期までの生活が継続的に続いていて、各時代の考古史料も多いようだ。

 武蔵野市でも武蔵境駅もよりの武蔵野ふるさと歴史観に展示がある(下の写真)。

 

 

 多くは、江戸東京たてもの園の前身である武蔵野博物館に収蔵されていたようだ。江戸東京たてもの園では、2019年(平成31)2月5日(火)~5月12日(日)に「武蔵野の歴史と考古学 -江戸東京たてもの園収蔵品展-」が予定されている。

 

【Ⓒ神楽出版企画 文章・写真の許可の伴わない転載は禁止】

須恵器・土器ギャラリー

http://www.kagurasyuppan.com/sueki.html

編集・ライター作品紹介webサイト(企画から制作進行・執筆までワンストップ対応)

http://www.kagurasyuppan.com


テーマ:

縄文土器と統制陶磁器が同じ部屋で展示されていて、「人と社会と器」の歴史を振り返る意味でも興味深い空間になっています。

終戦前、西東京市市域には軍需関係の工場や社宅が多くありました。下野谷(したのや)遺跡の発掘調査では、中島飛行機武蔵製作所の工員寮で使われた「統制陶磁器」も発掘されています。

 

統制番号がふられた茶碗。展示説明では、工員たちは金属食器を使っていたので、寮の職員等が使ったものではとの説明がされています。

 

 

廃校になった校舎内に設けられた展示室。今年、春にリニューアルされ、当時の集落の様子や生活をイメージしながら土器の観察ができるようになりました。北側廊下からのやわらかな自然光を受けた土器からは、使われていた当時の生活感も伝わってきます。

 

 

展示位置が低いので、子どもでも見やすく、土器の内面もよく見えます。

遺跡の詳細は、西東京市のWebサイトに詳しくまとめられているのでご参照ください。

http://www.city.nishitokyo.lg.jp/enjoy/rekishi_bunka/rekishi_bunka2/sitanoyaiseki.html

 

現在の練馬区にまでおよぶ、関東有数の規模の遺跡で、とくに下野谷(したのや)遺跡は、数棟の環状集落が1000年ほど続いた地域の拠点と考えられ、縄文期早期から後期までのさまざまな土器が発掘されています。

 

 

 

 

 

左から

中期の土器。独特な装飾が施されています。

中央は、「ふせがめ」。子どもの遺体に被せて埋葬したという説があります。

茂木は、炉に埋めて灰などの管理をした土器。

 

  

 

 

土器表面の圧迫痕を樹脂で型どりし、それを顕微鏡観察することで、当時の植物の種子を分析する研究が行われています。

 

 

 

西東京市は、田無市と保谷市が合併して誕生しました。旧保谷市には、日本初の野外の「民族学博物館」がありました。その説明パネルと再現ジオラマも展示されています。

 

 


テーマ:

触れる土器片の1つ。円空の把手部分の欠け口を見ると、芯状のもの土紐まいたようにも見えます。

意外に複雑な構造。

 

 

6月23日(土)~8月12日(日)まで開催され、2度、観に行きました。

練馬区内には、石神井川、白子川、中新井川流域に83か所の縄文期の遺跡が発見されてて、今回は白子川、中新井川流域の遺物を中心に展示されています。

 

石器・土器約100展の4割強が縄文土器です。縄文期の前期・中期・晩期、出土地の違いなど、器種の違いなどから、それぞれに個性の異なる存在感があり、見応えのある展示となっています。明るく、広い室内も、土器の文様を見ながらその使用目的を想像するのに程よく、来場者は子どもも含め、あれこれ自由な意見を出し合っていて、それを聞いているのも楽しい展示でした。

 

縄文期早期の底尖土器。尾崎遺跡出土。右が高さ20cm。左が高さ6cmで「ミニチュア土器」とも呼ばれる。用途は不明だが「子どものおもちゃ」説もあります。

 

 

左から

八ヶ谷戸遺跡出土(中期・高さ41.6cm)。東北の大木式土器の影響が見られるそうです。

川北遺跡出土(中期・高さ10.8cm)。土に雲母が含まれ、その破片が白く転々と光ます。

富士見池遺跡群出土(中期)。ヘラ状工具の文様がていねいに刻まれています。

 

 

左から。

貫井二丁目遺跡出土の深鉢(後期)。

他の2つは堀北遺跡出土(中期)。

右のものは、床に逆さの状態で発見され、子どもを埋葬した「うめかめ」と考えられています。

 

 

小型の土器は、さまざまな個別の用途があったのではないかと考えられています。

 

 

右は口の周囲に孔があいている。酒造時のガスを抜くためという説もあります。

  

 

ゆとりのある展示。

土器の質感も分かる、間近で観察できました。

 

 

 

西に隣接する西東京市の国史「下野谷(したのや)遺跡」の土器も展示されていました。「下野谷遺跡」は1000年続いた地域の拠点集落と考えられています。西東京市の郷土資料室には、数多くの出土土器が展示されています。

 

 

企画展は終了しましたが、同館の常設展では、縄文・弥生・古墳期の展示もされています。なかでも「縄文のカゴ」は竹の網目もくっきり残り、土器とは異なる見応えがあります。

 

  


テーマ:

東京国立博物館・平成館・考古展示室の展示替えとなった「須恵器の展開」(2018年3月6日(火) ~ 2019年6月9日(日))。現在は特別展もないので、まったりした状況でゆっくり観られる。

 

 

昨年(2017年3月7日(火) ~ 2017年9月24日(日))とは展示内容が違っている。

↓昨年の全体。

 

前回も思ったが「展開」とあるので、概要説明だけでなく、経年変化的なことが分かる解説があるともっと良いのだが。前知識ゼロの人にとって「須恵器」てフックが少ないかと。もうちょっと理解の橋渡しがあると、興味を持つきっかけが増える気がする。

 

今回、目を引くのは3点並べられている「はそう」。個人的に「はそう」好きだから、だが。左上のものは、頸に波状文も見えた。「はそう」を持つ埴輪の写真くらいあるといいのにといつも思う。「すっごく、使いにくそう」という印象からでも当時の器への関心は生まれるのでは。

 

 

面白いのは、子持ち「へいへい」や「三脚付坩」など。これらも前回はなかったかと。

器台は前回と同じかと思うが、「子持高坏」は前回は4つの子持ち、今回は5つバージョンに。自然釉のかかった「ていへい」も。個人的に、自然釉が多いのは好みではないが、焼き物好きな人は釉薬が多いほど、興味を持つ方も多そうなので、こういうのが1つあるといいのだろうな。

 

   

 

定番のトーハクお勧めの「角杯」。福井県出土のもの。朝鮮半島の様式が取り入れられる過程で、倭では先っちょが平らになる。「別にいいじゃん」という倭っぽい判断なのだろうか。朝鮮半島では、下のように先が尖っている(マイ・コレクション)。まあ、本物の角ではないのだから、尖ってなくてもいいちゃあいい。

 

 

「須恵器」は、同室の常設展示のほか、本館「日本の美術」の入口にも装飾須恵器が展示されている。

 

 

「須恵器」に興味を持ったなら考古展示室の土師器や弥生、縄文だけでなく、「東洋館」にも足を運ぶのがお勧め。10室で展示中の「朝鮮の陶磁」(2017年10月17日(火) ~ 2018年4月22日(日))は、原三国時代から朝鮮時代までの陶磁史を時系列で展示。担当時代区分が決まっている博物館で、こうした時代をまたいだ展示をするのは、なかなかめずらしいこととのこと。

 

須恵器・土器ギャラリー

http://www.kagurasyuppan.com/sueki.html

編集・ライター作品紹介webサイト(企画から制作進行・執筆までワンストップ対応)

http://www.kagurasyuppan.com

 


テーマ:

いわゆるガチャガチャの「フチ子」シリーズなのだろうか?

2017年10月にリリースされた、「PUTITTO 土偶と埴輪 」。

土偶は、遮光器土偶、縄文のビーナス、みみずく土偶、ハート形土偶の4種。

埴輪は、埴輪、馬埴輪の2種がラインナップ。

 

これがなかなかの造形美。もとのディティール再現に加え、過度に「おもしろく」ならないよう配慮されたフォルム。

 

こうしたグッズには興味はなかったが、たまたま考古セミナー受付にあったものに挑戦し、遮光器土偶を手に入れて感動。埴輪2種も手に入れた。

いずれも土器との相性がとても良い。

 

 

 

 

 

 

 

かなり楽しめる。

 

 

須恵器・土器ギャラリー

http://www.kagurasyuppan.com/sueki.html

編集・ライター作品紹介webサイト(企画から制作進行・執筆までワンストップ対応)

http://www.kagurasyuppan.com

 


テーマ:

 

3月18日(日)は、大田区立郷土博物館へ。同館が編集した『ものづくりの考古学 原始・古代の人々の知恵と工夫』(2001年刊)を入手して以来、そのこだわり過ぎ感が気になっていた。1月に同区の多摩川台古墳群や古墳展示室を見て回った時にも訪れたのだが、その時は、特別展展示で常設展の土器展示がない、というまさかの事態。

 

再訪の機会を検討しようとHPを見ると、常設展再開、しかも「土器展示の説明会」があるというので行くことに。前回、常設展はなかったが、1階に「かまどの変遷」とこれまたこだわり過ぎなパネル展示があり、実はそれだけでも満足していたのだが、今回はすでになし。ああいうのは、展示終了後はネットで見られるようにしたらいいのでは。良くできていたし。告知があれば、パネル展示だけでも見に行きたいし。

 

1月には展示されていた「台所から見た 古墳時代後期の大田区」のパネルの一部。

「芯材の分布図」とかもあって、このパネルコーナーだけで小一時間かかった。

 

「展示ガイド」の時間までは1時間ほどあり、念願の土器展示をゆっくり見る。モース博士由来の土器から、なかなかの充実。ただ、須恵器は「はそう」と「へいへい」の2個くらい。そういえば「古墳展示室」にあったフラスコ型須恵器はレプリカで、本物はこちらにあると聞いたのだが……。

 

2時から1時間の予定の展示説明会は、館員の情熱的な説明でガンガンと進む。土器の知識おさらいではなく、「土器の変化・変遷」を「そこにどんな人や物の交流があったのか」「どんな気持ちの変化があったのか」という視点で「考える」ものとなっていて、これはかなり刺激的だった。弥生土器で文様が消えてく一方で、「いや、そんなのは許さない。俺たちの文様を徹底的に極める!」という情熱を幾何学文壺から感じてみる、とか。須恵器展示は少ないが「須恵器模倣土師器」に関してかなり詳しく紹介がされ、参加者もかなり深く理解できたと思うので、内心嬉しかった。その向こう側に見えない須恵器が見えて来る、と考えると面白い。

 

予定時間は1時間。しかし、「説明30分。あとの30分は別室で実際に土器に触っていただきます」との説明。これは予想外。そして会議室に準備されたのが、トップ画像の布団になかされた土器の数々。そしてここになんとフラスコ土器の本物がいた。

 

 

こちらは古墳展示室のレプリカ。

 

「土器に触れる」は本当にいい経験だと思う。しかも今回は「触っても、持ってもOK」なのだ。意外に軽い須恵器や、やたらと重い縄文、なで加工と縄文の細かな仕上げ等々。一瞬一瞬に何かを感じ、発見がある。須恵器は長頸瓶もあった。この説明で頸が欠けているのは、横穴墓での埋葬祭祀の後、意図的に破壊され副葬されたのでは、とのこと。

 

 

なるほど。手元にある長頸瓶もしっかりしているのに口の部分だけ執拗に細かく欠けている。もろいデザインなのかと思っていたが、意図的と考えると、この欠け具合にも違った趣を感じる。

 

 

土器を触りながら、土器のことを質問し、土器のことが話せるという理想的な時間が過ごせた。こういうカフェがあったらいいのに。

 

須恵器・土器ギャラリー

http://www.kagurasyuppan.com/sueki.html

編集・ライター作品紹介webサイト(企画から制作進行・執筆までワンストップ対応)

http://www.kagurasyuppan.com


テーマ:

3月10日(土)に日本大学文理学部百周年祈念館で行われた特別講演会。公益社団法人日本文化財保護協会が初めて主催するものだそうだ。

 

 

同協会は「埋蔵文化財の発掘調査、歴史的建造物や記念物、出土品などの科学分析、修復、復元、保存などの業務に携わっている民間調査機関が集まる内閣府認定の公益社団法人」とのこと。会場には、考古関係の研究者、一般参加者に加え、そうした発掘事業に携わる企業の人も参加し、盛況。

 

縄文の小林達雄氏、武蔵野文化協会会長・坂誥秀一氏の講演と対談。

 

坂誥秀一氏は文献資料に考古学がアプローチしていく研究の可能性を明治期遺跡から時代をさかのぼって事例を紹介。江戸期のものでさえ、発掘調査すると文献資料通りではないことが分かるなど、スリリングな内容。「井伊直弼の豪徳寺の墓所に遺骨がなかった」「織田信長は比叡山全体を焼いてない」など、どれも興味深い。

 

「文献資料に考古学がアプローチしていく」ことの重要性は、最近いくつか参加したセミナーや講演会で共通して語られていた。今後どんどん重要性が増していく気がする。

 

小林達雄氏の講演、その後の対談では、戦後考古学の巨人伝をかね、研究が個々人の熱意で切り開かれてきたことの熱気が伝わってきた。小林氏は、多摩センター開発時の調査にも従事されていたそうだ。

 

「論理空間が異なる縄文期に自分の論理空間を持ち込んで判断するのは研究とは言えない」「当時の人々について考えることは、今の自分が何者であるかを考えること」

 

一見、対立しそうな事柄だが、それが一対となり、その境界線に研究者がいると感じた。

 

実は、登壇者や内容にあまり事前見当もなく参加したのだが、とても充実した内容だった。

 


テーマ:

「原稿はある」けど編集がスタートしない

版元、企業団体、個人など、さまざまなクライントからご依頼をいただいております。「本を作りたい」という点は同じでも、どのような状態からスタートするのか、どこまでを外部に依頼したいのかはさまざま。中には「どう依頼すればいいのか」でスタートそのものが止まってしまっていることもあるようです。

出版物を発行している版元においても「担当者が外部発注にはまだ不慣れ」「新規形態の企画で内部と外部の進め方(業務フロー)が未構築」「素材が未整理でどこまで整理すれば外部に委託できるか見えない」といった個別事情がさまざまあります。

 

そこで、「受託側目線」で、「ここまで外部に任せられますよ」という整理をしてみました。

 

まあ、基本は「どんな段階からでもOK! 丸投げでも対応可能!」なんですが、「どの段階か」が分かるとスケジュール感やコスト感も見えてきて、スタートしやすいかと思います。

 

企画・構成・編集・取材執筆・制作進行等対応いたします。

編集実績と作品紹介はこちら → http://www.kagurasyuppan.com/

 

まず1回目は「原稿はある」という状況です。これはわりと「良い状況」です。家を建てるにたとえれば「建材はある」ぐらい、でしょうか。それなら「組み立てればいい」と気持ちも楽ですが、出版においては「だが、設計図はない!」ということも往々にしてあります。むしろ「山から木は切ってきた」とか「土地は整地していない」ぐらいかも。

 

ある意味では、それくらい「原稿はある」と「本として完成する」の間には距離があるのです。

 

「原稿はある」は、本作りの「スタート前」の状況と考える

以下は、「私の場合」の作業手順です。「編集」のノウハウは、たいてい個々人が誰に教わるでもなくさまざまな山場・修羅場を乗り越えて、自分に最適化したものを使用しています。斜め横に転がしながら前に進む人もいれば、エイやっと前に放り投げて最短距離を狙う人もいます。

 

校了に向けた道のりがジグザクでも、破線でも、終わりよければすべてよし。……となりがちですが、本来は関わるスタッフ、前後の作業工程へのしわよせ無く、1工程ずつが「よりよくする最善の作業」となるよう目配せ・気配り・実務を担うのが「編集」であるべきです。そこを念頭に「後にリスクや負荷をなるべく残さない・持ち越さない」を業務フロー化したのが、以下の個人流です。

 

「しっかりした原稿があり、それの原稿整理・入稿からのスタート」ではない、その手前で「少し困ってる」状況を例に説明します。

 

●「原稿がだいたいあると思う」状況を確認していくと……

論文やすでに雑誌等で発表したテキストがある。もしくは書き終えた原稿がある。仮目次があり、全体の並び(章立て、原稿の順番)がある。入れたいと思っている後送要素(コラムとか資料とか)もある。しかし、「まだ編集部で原稿を読んでいない」「そのままの構成でいける内容かどうか未確認」「どれくらいのボリュームになるのか見えていない」……。という状況です。

 

いきなり「取りあえず組んでゲラ出してみる」というアバウトな進行も10年くらい前までならありました。その結果得られるものは「全体の頁数が見えた。安心」という程度のもので、いざそれを「初校」としたら手当てが大変で、校了までには原型をとどめない、ということも。しかし、現状の時間なし、低コスト時代には、むしろ「初期にほど実務を熱く・厚くする」が重要です。

 

「まだ編集部で原稿を読んでいない」というテキストデータと仮目次だけがある。という「原稿はあがってるんだ。でも……」を例にしてみましょう。

 

[1]版元との打合せ。

・スケジュールと予算の確認

 「予算」に関しては、不確定要素が多いので「万が一予想外の業務が増えたら再度相談」です。スタート時点で要素が見えないとコストも見えない、だから外部発注しにくい。というそもそもがあります。そして「仕事が増えたら業務委託料も増える」も「そもそも」です。

・企画内容と現状の把握

 「ゴール」としての企画内容の目指すものを共有。それに対し、現状の原稿がどの程度と考えているかのメドも共有。もちろん「読んでない」場合は、メドは立ちません。その「メドを立てる」所からの委託であることを確認します。

・原稿取り扱いの認識共有

 発刊予定とスケジュール、ゴールとして目指す品質が共有されたら、それに対し、原稿をどう取り扱っていくかの編集部の認識を確認します。たとえば「構成を組み替える提案」「重複内容の大胆な整理と追加原稿を著者に依頼」「頁数の削減も最終手段」「いや発刊延ばすのも有り」等々。場合によっては「誤字、内容の間違い以外は目をつむる」ということもあるかもしれません(でも、意外にないですね)。

・「原稿」内容の確認

 「原稿」とは、「テキスト」だけを意味する言葉ではありません。仕上がりの本に含まれる要素はすべて「原稿」です。写真も図版もイラストも。図表はもちろんですが、表に使う数値がデータ化されていないことがあります。「コピーしたグラフ」とか。するとそこから図表作成のデータを誰かが拾い「原稿」を作らないといけません。それを誰がやるのか。そのコストはどう考えるのか。こういう細かな点は、最初にしておくのがベストです。どうせ自分がやるのですから。

・作業の判断基準の確認

 たとえば「原稿整理は表記統一や誤字確認程度か」とか。その場合でも表記統一表は誰が作るのか。必要な原稿修正の提案はどの段階で行うのか。それは鉛筆書き提案か、それとも踏み込んで修正稿の文面提案までするのか。

 不足する素材の後工程での対応はどうするのか、など。思いつく不安は、発注者から引き出すくらいの気持ちで確認しましょう。口に出した分だけ発注側の気持ちが軽くなり明るい表情になっていくのが分かるでしょう。

 それは、受注者側の業務の拡大をも意味します。なので、打合せに最後にもう一度、その段階での委託料金の「業務範囲」と「万が一予想外の業務が増えたら再度相談」について再確認しましょう。

・打合せの内容はすぐに整理して相手にメール

 上記確認事項は、その場で箇条書き整理し、最後に口頭で確認。そこで終わらずに、当日か翌日には整理してメールで担当者に送ります。「打ち合わせ内容を整理しました。共有まで」と。もちろんこれは「万が一予想外の業務が増えたら再度相談」に備えたものですが、自分の作業フローを整理する上でも重要です。そしてそれが、発注側の「委託の内容」にもなるのです。

 

何となくスタートさせずに、「何をやるのか」を客観的に自分に確認する。

フリーランスにとって大切なのは、「自分をマネジメントする自分」を育てることです。わりとダラクサな性格の人でも、自分を変えることはできなくても「自分に厳しい自分」を業務用に作り出すことはできるものです。「自分にとって不都合な自分」は最強のパートナーです。


さて、長くなりました。書き始めたら、「発注側への説明」だけでなく「受注者へのヒント」的な内容になりそうなので、それも含めて続けます。あくまでも「私の場合」ということで、読み流していただければ。

 

実務前[1]の段階で、ずいぶん字数を取ったので、「原稿を持ち帰ってから」はまた次回。

次にやることは「はたしてこの素材で本はできるかどうかの確認」からです。

 

次回:その2 作業の最初

   まずやるべきは仮台割りを作成し、全体のボリュームを把握する

 

 

紙媒体も、Webも、企画から制作進行・執筆までワンストップ対応

神楽出版企画の作品紹介webサイト

http://www.kagurasyuppan.com


テーマ:

2月12日(祝)国分寺市本多公民館で開催された講演会に参加。会場は140名ほどと盛況。

講師は文化庁の近江俊秀文化財調査官。古代道路の専門家として関連著作も多数。

 

 

「東山道武蔵路」は7世紀の第三四半期に整備された七道の1つ。現在の府中市の国衙とを結ぶ支路だ。

 

幅12mの古代道路は西国分寺駅近くの旧国鉄用地の発掘によって確認され、現在は地下に埋設保存された遺構の上に敷かれたアスファルトなどにその姿が紹介されている。

 

 

講演内容は蝦夷との戦争、古墳期の巻頭の勢力分布などを絡めながら、「武蔵路」が必要とされた理由を解説。さらにその支路が消えて行く時代背景を「お役所」と「住民」双方の目線を交差させながら分かりやすく紹介するもので、75分間が短く感じた。

 

ラストの、考古の知識をマニアックに楽しむ、考古史料を観光資源としてだけ活用する、そのどちらにもとどまらず、今の地域社会に関心を持つきっかけにしてほしい、というメッセージに共感。

 

須恵器・土器ギャラリー

http://www.kagurasyuppan.com/sueki.html

編集・ライター作品紹介webサイト(企画から制作進行・執筆までワンストップ対応)

http://www.kagurasyuppan.com


テーマ:

2月3日(土)、川崎駅最寄りで開催された公開セミナー「遺跡から見た『古代武蔵・相模の社会』」に参加。定員730名となっていたが5〜6割は来場していたのでは。盛況だった。

 

東京都埋蔵物文化財センター、かながわ考古学財団、埼玉県埋蔵文化財調査事業団の共催。3都県だからこそ俯瞰できる古代・武蔵国・相模国の姿に迫る最新研究の発表だった。

 

土器(須恵器・土師器)から見る宮都との関係、地域性の特徴。出土品から見る「生業」について。記念講演も渡来人と須恵器。など、どれも個人的興味に合った内容。もう1つの火葬墓についても、骨壺と土器という意外にもど真ん中の切り口で面白かった。

 

配られたレジュメがそもそも充実していたが、研究者自身の生の声での発表に、考古研究の現場の空気のようなものが感じられた。「それまで古墳墓から遺体を焼く火葬に対し、人々がどのような感情を持ったかまでは分からない」とか、「政治の中止が土器制作の現場を自分のことと捉えることはなかったのでは」など、遺構や遺物の写真だけでは伝わらない風景や距離のようなものを疑似体験させてもらった。

 

会場は年配の人が多かったが、そもそも私も開催を知ったのは直前。応募締め切りを過ぎた後だった。せめてSNS等、もっと幅広い層に発信すれば、足を運ぶ人もいるかと。満席でなければもったいない。

 

須恵器・土器ギャラリー

http://www.kagurasyuppan.com/sueki.html

編集・ライター作品紹介webサイト(企画から制作進行・執筆までワンストップ対応)

http://www.kagurasyuppan.com

 

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス