ハーディ「テス」2-2 | 世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

P96-200

物語もここにきて、意外な展開を見せる。
これまでの丹念な描写が、うねりとなって、いよいよ面白くなってきたところ。
残り100ページ。どういう結末を迎えるのだろう。楽しみ。

主人公は、物理的にも精神的にも過酷な環境の中で、絶え間ない誘惑を受け続ける。
気丈にふるまっているが、いかにもあやういので、読者としては、ハラハラドキドキの連続である。
物語の作者に対して、もうやめてあげてよ。そっとしておいてあげてよ。

と、心をざわつかせながら読み進めている。

主人公が、手紙を書くシーンがある。
文庫本で4ページにわたって綴られた主人公の思いは、ここまでの彼女の長い人生に寄り添って読んできた分、凝縮して胸に響き渡った。
そこにあるのは哀れを誘う駆け引きや、単なる愚痴ではない。
今まさにここで地獄の業火に焼かれる恐怖に直面した、悲痛な叫びであり、心から相手を思う純粋な愛の叫びであった。

と、上に書いたことは本当に心から思ったことなのだけど、ちょっとだけ気になったことを書いてみる。

問題はこの手紙である。
手紙の書き手である主人公は女性なのだが、あまりにも従順で、卑屈で、相手を思うあまり、自分はどういう対応をされてもしょうがないというような文面なのである。
最初は、小説に出てくる主人公の女性の造形自体、男性作家が書いた理想の女性像という臭味をかすかに感じたものだったから、それがここに凝縮してしまったかなというのはあった。
僕は感動して読むことができるけれど、女性の人が読んだら多分違う感想を抱くんだろうなとも。
そういうことは考えたのだけど、おそらく、これは著者の趣味嗜好というよりも、もっと大きな社会の背景があるのかなあと感じるようになった。
つまり、イギリスで150年前に書かれたこの作品の背景にある社会は、男性上位だったのかもしれないということ。

この物語は、大きく言えば、恋愛小説のカテゴリーに含まれるし、平成の頃に流行ったトレンディドラマのような類型なのかもしれないけれど、恋愛小説と並行する部分である、登場人物の労働の描写にかなりの比重がおかれている。
主人公は乳しぼりの娘であり、後半は、蕪菁(かぶら)掘りの娘になった。それ以外の職務遍歴でも、多くの情報が与えられ、彼女のこれまでの来し方を仕事の側面からもうかがうことができる。
この小説の読み応えのある部分は、登場人物が、食べるために働かなければならないという生活の部分を描き切っているところだと思う。
主人公がある農場で働くこととなった際に、以下のような記述がある。
「いまどき、女で野良仕事をしようというものはほとんどなかったし、女手で男同様にできる仕事なら、女を雇うほうが得だった」(P104)
とある通り、女性が一人で生きることを社会が想定していなかったのかもしれないし、また「得だ」とあるのは、実際に女性の方が、男性に比べて賃金水準が低かったのかもしれない。

主人公が明るく前を向いて生きているので忘れがちなのだが、主人公の父親は酒飲みのろくでなしで、母親も実務的な人間ではなく、家庭の経営としては破綻しているのだが、主人公の下には幼い弟妹がたくさんおり、そういう貧しさの中で生きていかなければならない、ということが、この物語の中でも、重要な要素として、あちこちに影響を与えていた。

実際、小説のわずかな断片から、当時のイギリス社会を規定するのは無理があるし、著者の中だけにある社会なのかもしれないから、多くの言及は無益であろう。
ただ、現代の男女同権の物差しを使うと、小説そのものを歪んで解釈してしまう可能性があるのかもしれないなと思ったので、あれこれ思ったことを書いてみた。
「もし、あなたの妻として暮らせませんでしたら、召使としてでも、ごいっしょに暮らすことで、あたしは満足いたします。いいえ、うれしゅうございます。そうなれば、せめてあなたのお近くにだけでもいられますし、あなたをお見かけすることもできますし、あなたをあたしのものだと思うことさえできますもの」(P192)
こんなけなげなこと言うんだけど、これが本当の愛だなあなんて、手放しでは思えないところはあるよね。
もうすっかり主人公の味方になっているからさ、そんな男見限っていいし、そんな窮屈な想いなんかする必要ないよ、あなたはあなたらしい素敵な生き方をしてきたんだもの、と思ってしまったよ。
あと、男の方は、前回に引き続いて、呼び出して説教します。まじ説教。

ただ最後、どんな二人の立場になったって、あなたの姿さえ見ていることができたら、実際はどうあれ「あなたをあたしのものだと思うことさえできますもの」って書いているのが、したたかなところがあっていいなと思った。
おじさんはね、あなたには幸せになってもらいたいんだよ。と、ある種の祈りを込めながら、伝えられたらいいなと思っている。