「漣」(P147-190)
この頃、戸田城聖の法華経講義は、第七期を迎えていた。
毎回の講義のあとは、さまざまな質問が飛び出した。
主に生活の問題、教学についての質問であったが、質問は、社会、経済、政治等々の問題にも及んだ。
戸田は、法華経の哲理を根底に、冗談を飛ばし、人びとを笑わせながら、的を射た回答を与えていった。
政治腐敗が騒がれていた昭和23年頃、世相に憤慨した青年が戸田に質問をした。
このような世相の混乱に対して、正しい宗教を広めていくというのは、手段として生ぬるいのではないかと。
戸田は未来の構想を語った。
創価学会から政治、経済、教育、文化、科学など、あらゆる分野にわたって人材を輩出していかなければならない。それを可能にできるのも、創価学会には日蓮大聖人の大生命哲学が最高の指導理念としてあるからなのだと。
釈尊の仏法はそのことを理屈としては説く。
しかし、日蓮大聖人の仏法は、それを現実のものとして可能にするのだ。
当時の創価学会の会員規模は、せいぜい1000人程度の小さなものである。しかも、生活苦にあえぐ庶民の団体である。その場にいた人たちには、戸田の話し自体が信じられるものではなかった。
「しかし、この座に一人の青年がいた。
彼は、戸田の言々句々を、そっくりそのまま、己の脳細胞に吸収して、ほとんど抵抗を感じなかった。彼は、一点を凝視するように、目を開き、身じろぎもせず、戸田のメガネの奥の瞳を見つめていた。
それは山本伸一であった。彼は、このころ、第七期の受講者の一人だったのである」(P174-175)
彼はこの感動を日記に綴る。
戸田にはじめて会った時に、正しい人生とは何か、本当の愛国者とはどういう人を指すのか、と質問した青年は、日記の中で、祖国を救うのは他でもない自分自身なのだと結論し、戸田と共に宗教革命に身を投ずる覚悟と、身の栄光を喜んだ。
「戸田の志は、あらゆる遮蔽物を越えて、そのまま、山本伸一の心の底で育ち始めていた」(P178)
師を求めるということの純粋であれということ、その厳粛なことを改めて感じた。

